ようやっと、土曜日を迎えました。
朝は6時に起きて朝風呂。
そして朝飯。
朝酒といきたいところですが、そこはぐっとこらえて散歩に出かけました。
帰宅して、ゆっくりと、熱い珈琲を飲みつつ新聞を読みました。
もうすでに来ていると思われるコロナの第2波やら、習近平の国賓来日の話だとか、ろくなニュースはありません。
新聞に触れて、この世は苦しいことばかりなのかと嘆きます。
苦しいと言えば、精神病に悩まされていた頃、寛解にいたればすべてが薔薇色になると信じていました。
そんなはずがないのに。
病的な状態が普通に戻るだけで、普通とはかつて私が住んでいた苦界であり、そこに戻るだけのこと。
味気ない仕事と味気ないマンション暮らし。
花を愛でることも鳥の鳴き声に心躍らせることもありません。
まして歌心など。
夏草は 茂りにけれど ほとぎす などわが宿に 一声もせず
新古今和歌集に見られる短歌です。
今、夏の気配は濃厚になりつつあり、しかし私の住むマンションにはホトトギスの声も聞かれません。
古人の嘆きの歌が、私の心を揺さぶります。
季節を重んじ、季節を詠ってきた我が先人の。
夕方、月に一度の精神科の診察があります。
寛解に至ってなお、ホトトギスの声が聞こえない私を、慰めてもらいましょう。