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和名類聚抄から魏志倭人伝の戸数を考える

2018年10月10日 | 宗像史
「邪馬台国の玄関末盧国は宗像」あくまで魏志倭人伝の記述を基本に邪馬壹国へのルートを探るというスタンスでやっているシリーズです。

魏志倭人伝では、戸数の表記として「家」「戸」がありますが同じとして考えて良いのか別なのかはっきりとはしませんが現在の日本語としては同じですので、同じと仮定して魏志倭人伝の記述の戸数から各国を考えてみます。
和名類聚抄自体は10世紀に書かれた百科事典といったような書物ですが、徴税の為の郷里制に基づいて書かれているので各郷で多少の差はあれ1郷の戸数の指標になると考えられます。
2,3の里で郷が構成され、郷がいくつか集まり郡を構成、郡が集まったものが国といった感じになります。

まずは、一支國年て全く異論がないと言って良い壱岐。
有三千許家です。和名類聚抄では石田郡4郷・壱岐郡7郷の計11郷。なので3000/11=272.7
壱岐の場合は1郷当たり273戸と仮定します。

私が想定する末盧国である宗像郡は有四千餘戸で14郷。なので4000/14=285.7
壱岐の273と結構近い286となりました。

続いて伊都国の田河郡だと有千餘戸で4郷1000/4=250
不弥国の京都郡も同じく有千餘家4郷なので1000/4=250
宗像と壱岐の平均の1郷280くらいで計算した場合は、どちらも280×4=1,120となり、見事に1,000余となります。

ここからが問題なのですが奴国の有二萬餘戸を達成するには、1郷280として72郷ほどが必要となります。奴国どれだけ広いんだよ。
ちなみに1国で72を越えるのは九州では筑前102郷、肥後99郷のみです。ただ、豊前と豊後が別れたのは7世紀末なので豊の国として考えると91郷となります。
ということで豊国で考えると数値は十分収まる範囲となります。で、田川郡4郷と京都郡4郷、そしてこの2郡より北にある企救郡2郷を引くと91-(4+4+2)=81
まだ少し多いですね。豊の国でも日高郡(日田)5郷と玖珠郡3郷は筑後川の流域なので筑紫勢力下と考えていますので更に8郷を引くと
91-(4+4+2)-(5+3)=73 となり 73×280=20,440
見事に20,000余
となりました。

しかしここで問題となるのが南の投馬国の可五萬餘戸
一応、可とついているので「5万くらいじゃないかな」との意味のようですが、日向28郷+大隅37郷+薩摩37郷を足して102郷。
102×280=28,560
さすがに半分くらいじゃ厳しい。更にもう一つ、初めに出てくる対馬も上県郡4郷+下県郡5郷=9郷で有千餘戸。
9×280=2,520なのでちょっと多すぎ。この妙に名前の似ている2国だけはどうしようもない。
まぁ対馬の方は上か下のどちらかだけの戸数であれば1,000余となるのはなるけども。

で、邪馬台国の7万だとどうなるかと言うと、邪馬台国連合に含まれると考えられる末盧~投馬までの全部と西九州の合計、要は狗奴国(甕棺文化圏)以外としてみよう。



筑前が志摩7+宗像14+遠賀6+鞍手6+嘉麻6+穂浪5=44郷
豊前44郷
豊後 直入3+大野4+海部10+大分10+速見5+国埼7=39郷
日向28郷
大隅37郷
薩摩37郷
肥前 松浦5+杵島4+藤津2+彼杵2+高来4=17郷
合計246郡(種子島屋久島の馭漁郡熊毛郡の5郷含む)
246*280=68,880 7万くらいで全然問題ない
ですね。

ちなみに狗奴国の合計は247なので247*280=69,160
ほぼ同勢力なので戦いが膠着しますわな。
ただ、全面戦争ではなく例えば投馬国は邪馬台国支持だけども狗奴国ともそう仲が悪いわけでは無かったり、天草と島原も同様でこの辺りでは戦闘は無かったとかも考えられますね。
玄界灘でお互い海賊行為のような戦闘がメインで、陸ではお互いの国が疲弊するのを避けるためと、それぞれ連合国家であったため敵陣営の国であっても戦場になったとき以外は隣接する構成国同士での交流は続いてたりで奴国と狗奴国(の一部)だけが本気でやり合ってて他の構成国は傍観みたいな感じだったとかもw


九州内だと邪馬台国の中心と仮定している宇佐から見ると南の狗奴国、軍事・政治の中心と考える伊都国(田川)からみても同様に狗奴国は南となります。投馬国が広大すぎて無理がありすぎに見えるけど。
また、四国が邪馬台国と考えると、四国全域225郷と淡路島の13郷を足すと238×280で66,640なので7万くらいで、投馬国(宮崎+鹿児島)は別国扱いでも問題ないので大分自然にはなりますね。
あと、畿内の場合はと言うと、奈良85郷+大阪147郷=232郷 280をかけると64,960
郷数は平安時代の物なので奈良から京都に流れた分を考えると7万余りでこれまた良い感じ。
「其南有狗奴國」南の狗奴国というのは、拠点である伊都国から見て南なら破綻はしません。其がどこを指しているのか、前後の文から考えると伊都国では無いような…。女王国が豊の国までという意味であればギリ成立はするけども。

また、本居宣長先生の言われる「邪馬台国は熊襲の類が邪馬台国の名を語っただけ」も戸数の点は問題無しとなります。


ただし、現在有力とされている地域に当てはめると戸数の点でもまったく整合性が取れません。距離・方向に関しては今更書くまでもないですが。
末盧国→松浦郡5郷 5×280=1,400戸(4000) しかもこれは全松浦郡含めての数です。
伊都国→怡土郡8郷 8×280=2,240戸(1000) さらに志摩郡7郷も足してしまうと15×280=4,200となります。末盧と伊都の戸数が逆なら良い感じなんですが…。まぁ、怡土郡のうちの4~5郷だけが伊都国だったと考えることはできるけど。
奴国→早良6+那珂9+席田3+御笠4=22 22×280=6,160(20000) 糟屋郡9のうち5くらいを奴国に入れたとしても2万は程遠いですね。ただし、筑後のうち上妻+下妻(八女)以南の山門・三宅(三池)の17郷&肥後を投馬国と考えると筑前の残り夜須6+下座6+上座7=19と筑後の残り御原4+生葉(浮羽)7+竹野6+山本5+御井8+三潴8=38、豊前の日高5+玖珠3=8、肥前の三養基5+4+5+神埼4+佐嘉5+小城4=27を足すと92
92×280=25,760なので二万位と言えなくはない?
投馬国はさっきの69,160からこれらを足したのを引けば45,000くらいなのでこれも一応問題無し。投馬の領域がもう少し北までと考えればもっと帳尻は合うけどもやはり末盧・伊都の戸数がどうもこうもいきませんね。糟屋郡が不弥国とするにも9郷だと倍くらいになりますし、どうせなら御笠郡(太宰府あたり)が不弥国であれば4郷ですし南へ水行も宝満川などでなんとかなるけども伊都や奴国からの方角がなぁ。方角を考えると席田郡3郷が不弥国というのもありですね。これなら奴国の基準点にもよるけども方角も距離も多分問題無し。
あと、投馬国も無理に狗奴国に組み込まず宮崎鹿児島を投馬国でも良いと思います。
青に塗った地図も無理はありすぎだけどww。女王を立てて従ったのが青い邪馬台国連合、納得できず対立したのが黄色の狗奴国連合であれば不自然な形であってもまぁあり得るっちゃあり得るかな。
狗奴国は博多湾~唐津を押さえているので自前で海外とのやりとりはできるし、国のポテンシャルも互角であれば従わないという選択をとるのも不思議ではないですよね。甕棺葬だったり玉依姫を祭る神社が多かったりと、宗教的にも青の地域とはちょっと違いますし。西九州は宗像を祭る神社が多く邪馬台国(青)に付いたと。
一旦九州全部青でまとまったところで狗奴国が謀反と言うか独立闘争をはじめたと考える方がしっくりくるかな。だから尚更墓制を独自的にすることで結束を図ったとか。

とりあえず投馬国は宮崎の妻説と薩摩説は同じってことになるのかな。中心地は妻で左の妻で左妻(さつま)とか西妻(さいつま)いやいや、さすがにそれは無いとは思うけど。

あと、距離はともかくとして方角をきちんと測ることは別に道具は無くても正確にできますから、目的地のランドマークが見えればある程度アバウトではあるけど南の方でほぼ真東とか東北の方に対象物があるって書き間違いは無いと思うんですけどね。

フェスブックのフォロワーさんに言われて「ああっ」ってなった。

ん?末盧国の方向の記述が無いのは手前の島影なんかで直接目視が出来なかったからとか?
松浦半島は壱岐から問題なく目視できるよね。なんで南って書かなかったんだろう。
例えば宗像から田川を目指すのであれば南東方向に福智山を目視できます。頂上付近だけ木の生えていない独特の山容なので遠くからも判別がしやすく、この山を目指して進めば直方を経て田川に付きます。現在の福岡県道29号、かつての唐津街道木屋瀬ルートを通る感じで、後は彦山川(遠賀川)に沿って進めば良いだけです。


いせきんぐ宗像歴史講座2018その4距離を測って宗像

で、実際には距離も方角も、数学的にきちんと測れていたことは上の動画でもよく解ります。

和名類聚抄のデータは国立国語研究所で閲覧したものをエクセルに移しました。
他の巻はこちらから見れます。
また、明らかな誤字についても(席田郡など)も表の方ではそのまま原本通りにしています。


宗像と魏志倭人伝 その1
その2 末蘆国って宗像じゃないの?
その3永嶋文書
宗像と魏志倭人伝 その4 座談会しました
邪馬台国の玄関末蘆国は宗像(宗像と魏志倭人伝その5 2018年3月シンポジウム)
邪馬台国の玄関末盧国は宗像 第6回シンポジウム」動画あり

海の民宗像 ―玄界灘の守り神 改訂増補版クリエーター情報なし梓書院

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