KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2024

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

悲しい気持ち。

2020年04月01日 | 歳時記
次兄が死んだと
電話を受けた朝

私は仙台に居て
仕事で山形へ向おうと
玄関先にいた。

その悲しい知らせに
私は嗚咽し

いつまでも
受話器を握りしめていた。

震える私の背中を
妻がさすってくれた。

父の他界。
その知らせを聞いたのは
上海のホテルの一室。

泣きながら外へでて
妻と街を彷徨い
深紅の絹布を求めた。

札幌に帰ると
母は私の手を握り

私の悲しみを
しっかりと
受け止めてくださった。

私は涙を拭いて
父に絹布をかけてあげた。

妻が逝ったとき
私のそばに妻はいなかった。

そしてこのたび

長兄と母が
相次いで他界した。

母は95歳。

95歳は
天寿を全うした
年齢とも言えるが
やはり寂しい。

兄も病気が重く
少し覚悟はしていた
とはいえキツイ。

だけど

悲しいけれども
泣いてなんかいられない。

いま

だれかの悲しみを
受け止めるのが私の役目。

いただいた恩を
送るときはいま。

強く心にそう決めている。kyokukenzo

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« だけど。 | トップ | しれとこ旅情。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歳時記」カテゴリの最新記事