トップリーグ、
3回のワールドカップで活躍された
名ラグビープレイヤーラグビーキラキラ

42歳の大野均選手が、
遂に引退されました流れ星

この冬、 
試合が開催されなかったから、
最後の勇姿を
拝見出来なくて、
ファンとしては
寂しかったけれどねえーん

本当に長い間、
沢山の夢、勇気、感動を
ありがとうございましたクローバー

引退会見花束

 

仲間と仕事とふるさと。大野均、現役引退会見 | ラグビーリパブリック規格外の逸材だ。だけど、まさか、そこまでやるとは思わなかった。 積み上げた日本代表キャップ98。大学で初めてボールを触った時の彼を見た人は、きっと今まで何度もそうつぶやいただろう。 2020年5月22日午後、東芝社内で大野均選手が現役引退の心境を語った。ウイルス感染拡大の影響で、オンラインでの記者会見となった。 日本代表として98キャップ(出場数)は、日本史上最多。大学の地域リーグ所属、「日大工学部」でラグビーを始め、縁をつかんで東芝(当時は東芝府中)に加入したのが2001年。当時はまだトップリーグ 創設前で、東日本社会人リーグが戦いの舞台だった。2004年に日本代表に選出され、ワールドカップには2007年、2011年、2015年と3大会に出場した。 引退の理由は両ヒザのケガによるもの。東芝での現役生活は19年におよび、現役ではトップリーグ 最年長選手だった。 会見の冒頭は、応援を続けてくれたファン、選手として自分を見出してくれたチームと、農業・牧畜を営む両親、地元・郡山の後援会への感謝を口にした。会見は周りの人や恵まれた環境への謝意が繰り返された。 「大事にしてきたことは激しさ。大学からラグビーを始めて、パスもキックもへた。どうしたらチームに貢献できるか考えたら、走ることと激しさだと思った。自分にとってはごくシンプルなことで、それがよかった。あれもこれもできる選手だったら、迷ってしまって、ここまで長く現役でい続けられたか、わからない」 まさか、そこまでやるとは思わなかった。2011年の「老兵」は、2015年になってより成長しチーム内で重要な存在になっていた。リンクラグビーリパブリック

 



光栄な事に、
何回か演奏を
聴いていただく機会がありました音符

前にも載せたけれど
これは去年の春ビックリマーク

物静かで、
お優しい方ですまじかるクラウン

これからも、
ずっと応援しています星