「浦川の歴史探究」の第1回目の講座が浦川ふれあいセンターで開かれました。来年の2月まで続く講座です。
新東名と三遠南信道路を使えば掛川から1時間ちょっとでセンターに到着します。
浦川には鮎釣りで30年以上通っています。また遠い親戚にあたる旅館があった町でもあり、親近感があるんです。深い歴史と素朴で落ち着いた佇まいが好きなんです。地元民ではないですが、不思議な魅力をもっている浦川の歴史を学んでみようと思いました。
第1回目は「ふたりの榮三郎」という内容でした。尾上榮三郎彼岸祭りも浦川歌舞伎にも参加見学したことはありませんが、どんな役者だったのかとても興味をもっていました。
講師の伊東明書(あきふみ)さんの聞き取り調査、書物の研究などに裏打ちされた考察は驚くべきものでした。「ふたりの~」というタイトルが意味深で考察が事実であれば残念な面もありますが、大きな歴史のロマンを感じます。
伊東さんのお話しは、ユーモアを交えながら、ゆっくりと強弱をつけ、とても心地よいテンポでわかりやすかったです。パワーポイントに頼ったお決まりのプレゼンが多い中、そのようなアイテムは使わず、知識、経験と洞察力をベースにした含蓄のあるオーセンティックな講義でした。寄田のおばさんが生き証人として紹介されていました、何か嬉しかったです。
第2回の「矢高濤一の光と影」も楽しみなのですが、入院、手術に重なってしまい参加できなく残念です。センターの方に資料を取っておいていただくようお願いしました。録音できないかな~。
四代目 尾上榮三郎 1829-58。 二代目の養子。飯田で公演中に倒れ、現在の静岡県浜松市佐久間町浦川で死去。享年29歳。
初代尾上菊之助 → 四代目尾上榮三郎
(尾上榮三郎) 二代目尾上菊次郎の養子、生没年不詳。実父は市川當升とも。
尾上覚之助 → 尾上榮三郎 → 二代目河原崎國太郎 → 河原崎國三郎 → 喜勢川露紅
(尾上榮三郎) 出自続柄不詳。上記とは別に明治8年に尾上榮三郎を名乗った役者がもう一人いたことが記録に見える。襲名歴不詳
Wikipediaでは、四代目榮三郎が何人も紹介されていますが、本物はどの方なのでしょうか。最初に浦川の榮三郎が紹介されてるってことは・・・。
下川合の簗作りが始まりましたが、どの程度鮎が残っているんでしょうかね~。
今シーズンは7月の1か月が大増水の連続で相当数の鮎が流されてしまったのかもしれません。
講座に参加していた組合員のMRさんとお話ししましたが、1か月間あれだけの増水が続くことは滅多にありません。せっかくの琵琶湖産が流されてしまった感じはありますが、琵琶湖産を投入したことは正解だったと思います。解禁当初から綺麗な鮎が掛かっていました。7月の異常な出水がなければ十分に残っていたはずです。
全国的に見ても、琵琶湖産の放流に頼っていた河川は、今シーズンどこも不調でした。天候はどうすることもできなかったのです。天然遡上が良かった神通川、九頭竜川、四万十川などは好調でしたが、放流のみの河川にとっては試練のシーズンだったと思います。
琵琶湖産、海産(天竜川河口産)を中心に、人工産も加えていくのが理想じゃないですかね~。