翌日。
目覚まし時計が鳴るよりも30分も早く、まひるは目覚めた。
いつもよりも早起きだったのは、昨夜の余韻で興奮していたせいか、短い夢を繰り返しみていて、あまり眠れなかったのだ。
トントントントン…
<午前1時ごろ、新宿の駅構内で…>
台所からは母が朝ごはんを作っている音と、
父が見ているテレビのニュース番組の音が聞こえている。
まひるはそっと手を伸ばして目覚まし時計のタイマーを切ると、
そのまま また掛け布団を被って、しばらくの間、朝のまどろみを楽しむかのように、昨夜の出来事を振り返っていた。
まひるは初めての<ずる休み>を経験した。
それはとても勇気のいる、大きな嘘だった。
もちろん、嘘をついて学校を休んだことに対しては、罪悪感や後ろめたさを感じていた。
けれど、
結果としてはそれが吉となり、まひるは夢のような時間を手に入れることができたのだ。
少しだけ雄大に近づけたような気がした特別な時間。
本当に(あれは夢だったのではないか?)と疑ってしまうほどの、幸せなひととき。
後悔の気持ちを救ってくれる、まるで夢のような1日だった。
掛け布団を少し上げて、薄目を開けて時計を見てみると、起きる予定の時間まで、まだ20分ほどある。
まひるは再び目を閉じて、映画館のスクリーンと雄大の姿を思い浮かべた。
あの時のスクリーンの曲が忘れられず、再び脳裏に蘇ってくる。
とても幸せな朝だった。
けれど、ほんの少しだけ余韻に浸っていようと思っていたのに、いつの間にかウトウトしてしまい、まひるは夢の中へ落ちていた。
「まひる!目覚ましもかけないで、いつまで寝てるつもりなの?もう起きる時間でしょ!」と、布団を母に無理やり剥がされ、結局、起こされる羽目になってしまったのだ。
あ~あ。
せっかく早起きできたのに、なんてカッコ悪い起き方なのだろう…。
「おはよ~」
まひるは昨夜の嘘がバレないように、努めて明るく挨拶をしてみた。
けれど
「そういえば…。
昨日も帰りが遅かったみたいだけど、どこか行ってたの?」
と母から言われてしまうと、「…え?…」と、思わず言葉を詰まらせた。
「…あ、うん…。
もうすぐ文化祭だから、その打ち合わせとか色々あってね…」
「そう…。夕飯作って待っていたんだけど、あんまり遅いから冷蔵庫にしまっちゃったわよ。
心配するから、遅くなる時はちゃんと電話しなさいって言ってるでしょ」
「はい…。ごめんなさい…」
母が怒るのも当然だ。
しかも、嘘をついている手前、とても気まずい。
まひるは学校をサボって映画を観に行ったことに対しては後悔はしていないが、何も連絡せず、両親に心配かけてしまったことに対しては、深く反省した。
「…ホントにごめんね…。お母さん…」
「わかればいいの。
文化祭の用意も大変かもしれないけど、心配するから、遅くなる時はちゃんと電話するのよ?」
「…はい…」
「さ。ごはん冷めちゃうから、おまえも早く食べなさい」
母はとても心の広い人だ。
一度叱った後は、いつまでもグズグズ言わず、すぐに笑顔に戻ってくれる。
再び家族の朝に 笑い声が響いた。
いつもと変わらぬ家族との朝。
父はとても仕事熱心なので、職場に誰よりも早く出社する。
まひるが朝食を食べ始めた時、父はいつものように「じゃあ、行ってくる」と、自転車に乗って仕事へ出かけた。
弟は卓球部の朝練のために、いつものように素早く食事を済ませると、元気に「行ってきま~す!」と、迎えに来てくれた友達のY君と一緒に学校へ出かけていった。
これで、いつもどおり、母とふたりの朝食。
いつもなら、ギリギリの時間まで母と会話しながら朝ごはんを食べているのだが、今日は会話でボロが出るうちに早く学校へ出かけてしまいたい。
まひるは母との会話を避けるように、父の新聞を手にとった。
朝刊の映画欄をみてみると、昨日の映画館では別の映画が上映開始になっていた。
(ああ…本当に終わっちゃったんだなぁ。
思いきって観に行って良かった…。
やっぱり昨日で最後だったんだ…)
朝食を終えたまひるは、素早く着替えを済ませると、昨日の新聞の切り抜きをまるで宝物のように丁寧に伸ばして手帳の内側のカバーに挟みこんだ。
この切り抜きは、大事な<雄大との思い出>だ。
「それじゃ、お母さん。行ってくるね!」
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね~」
病み上がりの(?)この日も、まひるはいつものように学校にギターを持ってきた。
文化祭までは、少しでもうまくなれるように練習をしたい。
そんな気持ちから、まひるはたとえ部活がない日でも毎日学校にギターを持ってきていたのだ。
「あ!まひる。おはよっ♪」
まひるの姿を見るやいなや、ミカと葉月が彼女の席に駆け寄ってきた。
「大丈夫?私たち、心配してたんだよ。
風邪ひいちゃったんだってぇ?」
心配そうな顔をして葉月が尋ねる。
「熱は?もう下がったの?」
ミカも不安そうな顔でまひるの顔をみた。
「どれどれ?ちょっとおでこ貸してみ」と、ミカはまひるのおでこに手をあてて熱がないことを確かめると、「あぁ…。良かった。もう大丈夫みたいだね」と微笑みながら、まひるの肩をポンポンと軽く叩いた。
「ホントは昨日、まひるんちに電話しようと思ったんだけど、熱があるっていうから、もしかしたら寝てるかなと思って電話しなかったんだ。…もう大丈夫なの?」
「うん…」
まひるは咄嗟に(良かった…)と、胸をなでおろした。
もしもふたりがまひるの家に電話をかけていたら、家族にも昨日の嘘がばれていたかもしれないと思ったからだ。
「まひるぅ。
文化祭まであと少しなんだから、ホントに気をつけてね…」
まひるはそんな風にふたりに心配されて、とても気が重かった。
嘘をついているのはとてもツライ。
けれど、まさか嘘をついて学校を休み、映画を見に行ったなんて…とてもじゃないけど言えそうになかった。
まひるは本当のことを言えないまま、
「うん…。
…心配かけて本当にごめんね」
そう謝るのが精一杯だった。
けれど、昨日のことは昨日のこと。
嘘をついて授業をサボったことは決して関心できることではないが、あれはあれで良かったと、まひるはそう思っていた。
なぜならば、
昨日のことをきっかけに、まひるの夢や目標がさらに大きくなっていたからだ。
特に、「スター誕生」。
この映画を観た時の感動はとても大きく、ヒロインが恋人の死という悲しみを乗り越えて大きなステージで歌うシーンは、まひるの胸に深く焼きついていた。
英語の歌をもっと上手に歌いたい、
いつか自分も大きなステージで歌ってみたい。
できることなら
映画も字幕なしで観られるようになりたい。
そして、
いつか海外にも行ってみたい…
そんなたくさんの夢が、まひるの中に芽生えてきたのだ。
(とりあえず、文化祭だわ。
もっと練習しなきゃ…)
しかし、まひるは音楽だけでなく、
目の前のすべてのことに対して手を抜かず、あらゆることを貪欲に吸収しようとしていた。
授業中は目の前の勉強に全力投球し、ギターや歌の練習時間もさらに増やした。
お風呂に入っている時でさえ、カセットテープに録音した音楽を流し、英語の勉強のためにラジオの英語講座をカセットテープに録音して何度も勉強したりした。
そして、音楽以外にも…。
(やっぱり、私は雄大先輩のことが好き。
両想いになりたいなぁ…。
私のこと、好きになってもらいたいな…)
そんな風に
雄大を想う気持ちも さらに強くなっていた。