人々は笑い合っていた。


緑の山に包まれた慈愛溢るる琵琶湖の故郷。


ここに産まれて来て、ここで育った。


歳を食い、人世の垢が染み込み燻んだ顔に深く刻まれた皺は、重厚で長い時を引き攣らせていた。


太陽に輝いた湖面を渡る風は偶然を装いながら髪を揺らせ、頰を掠めては花と種子を飛ばした。


出会いと別れの舞台に幕引きはなく、次々と登場する水辺の役者のそれぞれに陽だまりを作り出すスポットライトは、大いなる流れ全体を追いかけ続けている。


ある時には黄昏色に染められ、ある日の朝には神々しいまでの光の讚歌に祝福されて。


真夏の強烈な日差しには、恋を友情をアスファルトの大地に焼き付けられた。


高速で飛ばしたあの道では、赤旗に遮られ切符を切られた。


川の淵源の山奥には、今もあの頃の笑い声が山彦のようにこだまする。


悲しみや苦しみを経てここに立つ一本の木。

やがて朽ち果てて大地に斃れる。

そこからまた若芽が育ち、見果てぬ空へと伸びていく。


その繰り返しをその心象に映し出しては泡沫の如くに消し去ってはまた生まれくる。






死は生のためにある。


老いは若さの肥やしになる。


逆もまた然り。


死とは何か?


老いる意味とは?


病はどこから来るのか?


重たいテーマだが、この問いかけを抜きにして充実した生は得られない。


「明日死ぬように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」


座右の銘としているガンジーの有名な言葉。


生老病死とは光と闇、白と黒、善悪、美醜、上下、左右などはコインの裏表、つまりはこれらと同じく一体。


今この時を強く深く抱きしめてさえいれば、永遠の海に揺蕩う小舟も無という闇に浮かぶことができる。


相対的なこの世で絶対的な安心感を享受できる。


この素晴らしき世界に、人々は笑い合って生きていける。