台風一過。

各地の甚大なる被害に心痛める。

死者や行方不明者まで出て、これから先も、自然災害だけとは言えない、人為的な犯罪とまでは呼べないとしても、未来世代に無責任な私たち大人のこれまで欲望のままに無秩序に社会を発展させてきたつもりの行動に対するしっぺ返しが続いていくだろう。


そんな大型台風の中の土曜日。


カミさんが昼間の間に夜に予約して頂いていたお客様へ来店の意向をお尋ねして、店を開けるかどうか判断しようとしたのだが、一軒目から行きますとの即答。

反対に暴風雨が吹き荒れる夕方になってからのキャンセルが1組のみ。

どうあれ、こうなればお1人でも来られるなら店を開けざるを得ない。

スタッフたちにも申し訳ないが車で送り迎えをすることを伝えて出勤をお願いした。

世間では最近、こんなこともブラック企業と言われる要因らしい。


それでも目指すのは皆が喜ぶ店づくり。

お客さんをはじめ、スタッフもステークホルダーも近隣の人たちにも、営業することを認められる存在でありたい。


その際、利他的仕事が根本になければならない。

自己満足の仕事をしてやしないか。

それは他者にとって本当に喜ばしいことか、疑問に思う時が正直言ってある。

何かを決める時に、それが正解かどうかだなんて、絶対ではないのに店主として決断しなくてはいけない分岐点がある。

それに思い立ったらあと先のことを考えず、軽薄にすぐ実行する傾向がある私。

何故なら自分の感性を信じるから。

しかし、掘り下げて考えると、そこには自分が優れていると錯覚している面がある。

逆説的に凡人ゆえに考えること。

結局は浅はかな人格と言える。


そんな時、心の奥の声、天の采配を意識することが肝心。

それは自利か利他のためか、常に天に問いかける必要性がある。





先日、亡母の部屋を整理、掃除していたら、今は形見となったある物を、デイケアの施設で作っている時の彼女の笑顔の写真を見つけた。


彼女の遺品はほとんどすべて、身内や知人に譲り渡したのだが、この作品だけは手元に残り、仏壇の引き出しに大切に保管してある。

マザコンゆえにか、時折取り出しては愛おしみ、彼女の心を感じようとしてる。












いつも、いつも心配していたこの店のこと。

入院中も夜、病室の窓を見つめ、病院の清掃婦として働いていた知人に「竹はどちらの方向になるんかな?」と訊いていた。


お袋の生きた証、命そのものの店を守り進化させていくことが我が使命。

思い出だけではなく、私の中に頑と、また厳としてお袋がいることを自覚して働き続けていく。


まだまだ究極の焼肉屋には達してはいないが、それは永遠に追い求めるものではあるけれども、どれほど求道しているか心許ない自分を叱咤しつつ、今日もまな板で彼女から渡された愛を刻み込もうとしている。