かつて里山という言葉はなかった。
「集落の近くにあり、かつては薪炭用木材や山菜などを採取していた、人と関わりのふかい森林」(大辞林)
というように、文字通り、人里近くにある山と解せる。
原生林などではなく、程よく人手が加わった、例えば杉やヒノキが植林されたりと、人為的な二次林で被われている。
だからこそ、特に低山の里山では、人が入らなければ自然植生の原理により常緑広葉樹林に占拠され、暗くジメジメした山に傾斜しやすい。
里山の雑木林の明るさは、人が燃料や肥料を調達するのに山に入り、落葉や枝をかき集め、雑草を刈り、必要に応じて適度な伐採を繰り返してきたからこそ出来たのである。
牧歌的で郷愁を誘い、純粋な人の心を引き付けて離さない里山。
日本の原風景を垣間見せるその里山が、年々その様相を変化させてゆき、悲しいかな、中には荒れ果て消滅しようとしているものもある。
里山という呼び名は、昭和40年頃に人の暮らしに必要な燃料を、先にあげた落葉や木や枝の代替として便利な灯油やガスを使い始め、人が山から遠去かってから使われ始めた。
シニカルな話だが、そんな時代の流れを逆流させるような取り組みをされているのが、米原市、やまんばの森を活動拠点としているボランティアチーム、やまんばの会の皆様である。
そんな場所に、雪の足音が聞こえ始めた2月17日月曜日、4年と丁度5ヶ月ぶりに訪れてみた。
ビオトープの水の流れを遡り、木道を歩いて行くと、先ほどまで今にも降り出しそうだった曇り空から俄かにほの暖かい日差しが差し込み始め、辺りの木々や緑が一斉に活気を帯び輝き出した。
まさに溜息が出るほど美しい。
池の辺を北へ進んで行くと、ログハウスがあり、ここがそのやまんばの会の活動拠点であるが、普段は誰もいない。
まるで天に祈りを捧げ、手を伸ばすようにして。
その意味するのは、人は必要なのか、そうではないのか、問われている気がする。
どう活かすかだろうか。
稜線に出てよく登る日撫山の方ではなく、まずは大谷池へと向かう。
結構長い下りの末、ひと山超えた第2の池に到着。
休憩もそこそこに、すぐにまた登り返すことに。
先ほどの分岐点を今度は日撫山方面へと選択する。
しかし、汗ばむ体には心地よく感じる。
そうだった、この場所だった。
記憶から抜け落ちていたいつかの風景に再会。