東京では、傾向的統計的にいつもより少なめに出る月曜日とはいえ、感染者がかなり目減りしてきた。

新型コロナウイルスがいつか終息するのは間違いないが、またぶり返しがあるか知れず、予断を許さない情勢であるのは変わりない。

焼肉竹も、落ち着くまで、感染の拡大の可能性がかなりなくなるまで、当分の間店を閉めているのであるが、昼間、不謹慎ではあるが、県境を越境することのない県内のあちこちの山に出かけている。

こんな時だからこその最低限のマナー、ルールはヤマレコ(登山仲間のグループ)の提案をベースに決めている。
県を跨がない自宅から近くの山であること。
グループではなくソロ、もしくは少人数の家族で出かけて、移動には人と接する公共交通機関を使わずに徒歩や自転車、あるいはマイカーで行き、寄り道はしない。

逼迫した医療や警察。
迷惑をかけないよう細心の注意をはらい、遭難や事故などの危険の少ない安全な山を選択している。

横山環境保全林のドウダンツツジ


それにしても、状況的に自由とは言えずとも、こんなに豊かな時間を持てるのは、おそらく現役を退いた時か、老後を楽しめるもう少し先のことだったはず。
ある意味、本当に恵まれて、これまでやりたくても出来なかったことや、じっくりと未来に備えたり、これまでやこれからの生き方を腰を据えてみつめることができる。

夫婦滝(長浜)の緑の絨毯敷き詰めた山道


とは言え、そこは皆同じ。
かと言って、実際は思ったほど、いや、ほとんど何も出来なかったりする。
深夜までの店の営業がなくなった分、早寝早起きができているのにもかかわらず、時間があまり余ったはずなのに、1日が過ぎると結局平常通りに
何も出来ていない。

夫婦滝(長浜)


それでも山と森、山の懐に流れる川のささやきに耳をそばたて、麓に咲き乱れる春の様々な花を愛でられている。
自然の美しさ、大切さをあらためて認識。

五色の滝(米原)


頂上を目指さないトレッキング。

でもそろそろ高い山も目指してみようか。
もう登れなくなるまでにと言っても、80歳を超えてなおエベレストに上った三浦雄一郎氏や癌になってもそれでも山に登った故田部井淳子さんの生き方が脳裏を過ぎる。

ウマノアシガタ 可憐な姿形のくせに実は超有毒で食べるのはおろか触れるのも危険だという

ただ現在、山で遭遇する景色はしかと見えても、ポストコロナの店のあり方がよく見えてこない。

明らかな時代の流れの変わり目。

あのペストが蔓延した後に、暗いところに菌糸を伸ばすジメジメしたきのこが、明るく眩しく咲く大輪を咲かせたように、今度は芸術や学術などの相対的文芸復興よりも偉大な、全人類、全地球、宇宙まで包摂する総体的な心のルネッサンスの時代の到来を予感させる。

今が盛りのサトザクラ


もう物質主義、目に見えるもののみの科学時代が終焉を迎える。

皮肉にもそれはコロナにより明らかになった。

こんなにいとも簡単に、これまで築き上げたものが次々と崩壊するのを目の当たりにしたから。 
大切な1人1人の命まで奪われてなお。
あの震災や、あの戦争よりも被害が大きく。

オニタビラコ


目に見えないもの、ミクロの世界をあまりにも顧みなかったこれまでの人類は嘲笑われているのだろうか。

時代の流れに肌で触れ、この空気感の意図を読み取ることを課せられた気がする。

ハナニラ


ピンチはチャンス。
これは紛れもなく神仏の恵み。
人類の気づきを呼び込む春の嵐。

そう思っている。

ツルニチニチソウ