ShortStory.480 変わらぬ味 | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 そう。あなたは、世界にひとつだけの――

 

↓以下本文

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「やっぱりこの味だよなあ」

 

 カウンターの向こうで声がした。

 広くない店では、料理していても客の声が

 なんとなく聞こえるものだ。

 炭に脂が落ちて、じゅうと音が鳴った。

 

 白飯の上に焼いたものをのせ、

 その上から秘伝のたれをたっぷりとかける。

 

 この店を始めたころから、

 幸いなことにこの味は誰にも認められ、

 出せば喜ばれ、出せば褒められた。

 最初はそんなものかと思ったが、

 自覚するにつれて、こちらも良い気分になっていった。

 

 他の店のものが褒められているとき、

 無性に腹が立つこともあったが、最近では

 そんな気持ちになることもほとんどない。

 私は私だ。この店の味は、他と比べるものではない。

 

「このたれがいいのよねえ」

「昔から変わらないんだよなあ」

 

 何度か味を変えようと思ったこともあった。

 もっと良くしたい。もっといろんな人に、この味を

 認めてもらいたい。そんな気持ちが湧いてきたのだ。

 ただ、いざやってみるとうまくいかなかった。

 自分でも納得できるものができず、落ち込んだ。

 

 そんなときに、馴染みの客が言ってくれたのだ。

 変わらないのがいいのだと。

 この店の味は、このままでいいんだと。

 そう励まされた。

 

 私が、たれのこの部分が気に入らないんだ、

 この部分が他に比べて欠けていると思うんだ、

 そんな風に口にすると、彼らは決まってこう言った。

 

「そんなところがいいんじゃないか」

 

 この味のすべてが、この店らしさ。

 この味の良さ、この店の良さだと言ってくれる。

 なんと嬉しいことか。

 

 私はそんな言葉に背を押され、

 自慢の味を、今でも何ひとつ変えることなく提供し続けていた――

 

 

 

 

 

 

 香ばしい匂いが店の中に漂っていた。

 焼いたものを白飯の上に乗せ、たれをたっぷりとかけた。

 

 たれ壺には年季が入っている。

 外見はお世辞にもきれいとは言えないが、

 それが秘伝の証であるし、自分の自身の源だった。

 上からのぞけば、継ぎ足し継ぎ足し守ってきた

 秘伝のたれが見える。

 

 私が物心ついたときにはもうすでにあった。

 それから、ほとんど味は変わっていないだろう。

 

 店内の客は少なかった。

 最近になって、客が減ってきたのだ。

 家族や知り合いが客として来ることもあった。

 

 カウンター客に料理を出す。

 作りたてだ。おいしいに決まっている。

 彼の疲れた顔も、きっとすぐに明るくなるはずだ。

 仕事終わりなのか、老年のその男は箸を持つと

 そそくさと料理を口に運んだ。

 

『やっぱりうまいなあ』

『この味がいいんだよなあ』

 

 一度来た客なら、そう口にするだろう。

 男は皴の浮いた頬を動かし、咀嚼していた。

 ゆっくりと飲み込むと、息を吐いた。

 

「変わらないな」

 

 やっぱりそうだろう。

 私は微笑んだ。いや、微笑みかけた。

 目の前の客の表情は実に渋いものだった。

 全く旨いものを食った、そんな表情ではない。

 

「昔のまま。何ひとつ変わっちゃいない」

 

 変わらないでいることを認めてくれる。

 変わらないでいることを喜んでいる。

 そのどちらでもない。私はごくりと息をのんだ。

 彼はひとりごとのつもりだろうが、

 その言葉は私に向けられているも同然である。

 

 よせばいいのに、気づけば私は

 カウンター越しにその客の正面に立っていた。

 

「お客様、何かお気に召しませんか」

 

 店員のいない、私だけのこの店。

 店主らしからぬ言葉を吐いてしまった。

 男は様子を変えずに、先ほどの言葉を繰り返した。

 

「変わらないなと思ってね。

 そりゃあ、最初は……昔はいいと思っていたよ。

 他のみんなもそうだろう。喜んだし、褒めた。

 あの言葉に嘘はないさ。でも、あれからどのくらい時間がたった。

 その間も、ずっと変わらないまま。

 流れる月日の中で、うまくいかないこと、

 気に入らないこと、直すべきこと、もっと良くしたいこと、

 いろいろなことがあったはずじゃないか」

 

 気づけば私はカウンターの向かいで、

 台の上にあった布巾を握りしめながら彼の話を聞いていた。

 

「それが、まったく変わっていない。

 進歩がない。成長がないんだよ。

 そんな事実も認められず、昔から何も

 変わらないことを認めてもらおうなんて、無理な話だ。

 変わらないといけない部分もある」

 

「一体何をおっしゃっているのか、わかりません」

 

 すでに男は箸を置いていた。

 料理はまだ残っているというのに。

 昔からみんな、何の文句もなく

 旨い旨いと残さず食べてくれたものなのに。

 

「それは、現実を見ようとしないからさ。

 成長していないことから、目を背けている。

 だから何も変わらないんだ。成長もしない。

 厨房の奥、ごみ箱の中も見えないのか?

 最近じゃあ、料理を残す客も多いんだろう。

 いや、その客さえも減り始めた。

 見えないふりをして、このままやっていくつもりなのか。

 そのままずっと、やっていけるとでも思っているのか」

 

「もちろんです。うちは秘伝のたれ一本でやってきました。

 同じ料理をずっと変えないまま。それでも皆さん、

 旨い旨いって食べてくれるんです。成長していないんじゃない。

 この店らしさを守っているだけです。この味がいいんだと、

 変わらないこの店らしさがいいんだと、皆言います」

 

 男は目を背けることなく、こちらを見ていた。

 

「少なくとも、俺は言っていないよ」

 

「そんなに気に入らないなら、お代は結構です。

 今すぐに出て行ってください。もう二度とこの店に来るな!」

 

 静まり返った店内に私の声が響いた。

 ちらと見れば、我々以外に誰もいなくなっていた。

 男はゆっくりと立ち上がり、代金をカウンターに置いた。

 コートと鞄を持つと、入口へ向きこちらを横目で見た。

 

「まあ、他の誰が認めてくれなくなっても、

 あんたの家族や身近な人は褒めてくれるだろう。

 気休めやお世辞かもしれないがな」

 

 私は先ほどから一歩も動かず、男の方を向いていた。

 手に掴んだ布巾。その表面はすでに乾き始めている。

 

「勘違いしないように言っておくが、

 俺が話していたのは、全部、料理の味のことじゃない」

 

 彼の言葉の途中で、私は掴んでいた布巾を投げ出して、

 その手で両耳を塞ごうとしたが、間に合わなかった。

 叫んだ声で彼の言葉を掻き消そうとしたが、

 それもまた間に合わなかった。

 

 目を背けようとしたが、間に合わなかった。

 男がこちらを指さしているのが見えた。

 

「君のことだ――」

 

―――――――――――――――――――――――――――――

<完>