ShortStory.498 失われたもの | 小説のへや(※新世界航海中)

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 1話完結の短編小説を書いています。ぜひご一読ください!
  コメントいただけると嬉しいです。無断転載はご遠慮ください。

 

 前回の更新から、だいぶ間が空いてしまいました。

 このアメブロを9年やっていて、こんなに空けたのは初めてかもしれません。

 といいながら、もう9年も続けていたのかと驚きつつ…(汗)

 なかなか更新できず、生存メッセージを残す余裕もなく申し訳ない。

 ちなみに病んでいるわけではありませんw まだ来訪者があるか

 どうかはわかりませんが、幽霊船でひとり小説を書き続ける気持ちで

 またそろりそろりと再開したいと思います(ホントは誰かに読んで欲しい←え)

 

↓以下本文

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 晴れた空、活気のある店々。日常という安心に

 包まれながら、誰もが笑顔だった。

 画家が描くなら、極彩色に塗るであろう

 生気に満ちた昼の城下町である。

 

 雨が降るなら雲が予兆となるだろう。しかし、

 その出来事は突然に襲ってきた。市場に面した通りから

 尋常ならざるいななきとともに馬車が駆け込んできたのだ。

 原っぱの草を踏み倒すように、その跡には道ができた。

 その道に呻く人影もある。動かない体もある。

 馬を止めるべき御者は、すでに振り落とされ地に転がっていた。

 

 澄んだ青空に、皆の叫び声が響く。

 暴れ馬は車を右に左に振りまわしながら、

 突き当りの店に突っ込んだ。

 そこには店主と、ハラーノ家の3人がいた――

 

 

 

 

  失われたもの

 

 

 

 

 ロッシが部屋に入ると、妻のミサは窓辺にいた。

 そよ風に彼女の髪が揺れるのがわかる。

 近くの花瓶には、ヒマワリが数本首をもたげていた。

 

「ねえ、あなた。いい天気ね。家族3人で散歩にでも行きましょうよ」

 

 ミサが振り向いたが、逆光でその表情は影になった。

 声色から、彼女が笑顔であることがわかる。

 

「ほら、この子も外に行きたいって」

 

 彼女はそう言って、抱いている人形を見た。

 数年前に馬車の事故に遭い、息子のシンは命を落とした。

 夫の次に目を覚ましたミサは、記憶の一部を失っていた。

 病室の端に置いてあった人形を、息子のシンだと思っている。

 

「そうか。そうだな」

 

 唯一すべてを覚えている彼も、妻の記憶を取り戻そうとは

 もう考えていなかった。何度か試みたが、その度に

 彼女は錯乱状態になった。息子の話もそう、

 馬や市場など、事故を想起させるものも同じである。

 いま彼女に残るのは、自分の心を守るための記憶だけだった。

 

 彼女にとっての息子は、今腕に抱く人形なのである。

 彼は目の前の妻の姿を受け止め、生きていくことを決めた。

 

「君だけでも生きていてくれてよかった」

 

 ロッシは不意にそう呟くと、彼女とともに部屋を出た。

 

「奥様は、わが子を亡くした記憶を失ってよかった」

 

 厨房の裏。メイドが出入りの農夫に言う。心優しく愛情深い彼女(ミサ)は、

 目の前で子どもを亡くした現実に耐えられないだろう。

 記憶を失っていたのはせめてもの救いだと、彼女は思った。

 その言葉を聞いて、農夫の男はため息をついた。

 

「いっそのこと、全員一緒に死んでいればよかったんだ」

 

 最近家畜を殺され、仕事が滞っているらしい。

 日に焼けた顔を歪めて、男は出ていった。

 

 妻を連れたロッシは、つい先日新しく雇った執事を呼んだ

 ミサは車椅子に座っている。事故の影響で、もう二度と

 歩くことのできない足になっていた。本人は、階段から落ちて

 負った怪我が原因だと思っているらしい。

 それについて、彼は別段訂正はしなかった。

 

「久しぶりにレヨンの海を見てくる」

 

 執事が人をつけるかと訊く。それを断ると、

 ロッシは妻の車椅子を押して、廊下を進んでいった。

 ミサの腕の中には大事そうに人形が抱えられている。

 この前仕立てた赤い服が目に眩しい。

 途中で会ったメイドにも、行き先を告げた。

 彼女は心配そうな表情になると、頭を下げながら言った。

 

「くれぐれもお気をつけて」

 

 ロッシは返事の代わりに微笑むと、そのまま車椅子を押していった。

 屋敷の外に出ると、あの日と同じ澄んだ青空が広がっていた。

 夏の乾いた風が頬を撫でる。

 

「気持ちのいい風だな」

 

 そう言うと、彼は微笑んだ。

 

「そうね」

 

 城下町から海までは遠くない。

 以前の彼らであれば、近くに出かけるにも馬車を使っていたのだが、

 あの事故以来、馬車に乗ることはなかった。

 

 それだけではない。

 この町には、一切の馬がいなくなった。

 

 領主である彼――ロッシの命により、

 町の馬は一頭残らず処分されたのである。

 

 それに伴い御者も姿を消した。

 農家の人間たちも、馬のことを公で話さなくなった。

 領主が妻と出かける際、『馬車をお呼びしますか?』と

 つい口を滑らせたどこかの執事が、町はずれの川辺に

 磔にされたのを知っているからだ。

 

 静かな町。穏やかな町。

 市場もなければ、活気もない町。

 

 他の町から来た旅人が言った。

 この町は生きているのに、死んでいるようだと――

 

――――――――――――――――――――――――――――

<完>