「高齢者 急性骨髄性白血病 父のこと」として8月に起きた事から今現在の所まで
記録を兼ねて振り返りながらブログをつけています。

今日は振り返りはひと休みして、昨日の事。


激しく父と言い争いがありました。

言い争いと言っても、
一方的に興奮した父が、私に怒りをぶつけ続けると言うサンドバッグ状態を電話で2時間以上。

もう、メンタル的に壊れそうです。

父は痴呆症ではありませんが、
年相応に脳の萎縮は見られます。

また、敗血症にかかった後遺症なのかもしれませんが、怒りっぽく記憶力も低下し、話も支離滅裂、被害妄想、自己顕示が更に酷くなりました。

もともとの性格もありますが、
増した感じは否めない。

頑固な人も歳をとり穏やかになったとか
聞いたりしますが、父はそっちじゃなかった。

頑固が更に頑固になった爺さん。
老化、脳の劣化?萎縮によるものもあるんだろうな。

そんな事考えていた時
池袋の暴走事故の裁判がニュースなっているのを見ました。

高齢の被告に非難が集まっています。

自分はアクセルを踏み続けた記憶はない。
車に異常があったと思っている
と証言したこと。

世の中的には

反省の色がない。
とか
車のせいにしてまだ罪を逃れようとしている
とか
あの年になっても真摯に受け止めて謝罪ができないとは情けない

そんなコメントや非難が殺到していますね。

でも違うんじゃないかな。

決して庇う気持ちはありませんが、
あれが老人なんだよ。
老人の脳の状態なんだよって思うんです。

たぶん本人は、
人を轢き殺した事を反省していないとかではないでしょう。
むしろ、なんでこんな事になったんだ、
と悩み苦悩した日々だったのでは?と思います。

こんな世の中ですから、きっと周囲からの批難や嫌がらせもあったんじゃないかな。

そんな毎日は
犯した罪の現実を受け入れられない。
受け止めたくない。
違う事実があるはずだ。自分のせいではない、
そう思い込む事でしか保てないんじゃないのかな。


あなたの言ってる事間違えですよ。
この証拠もありますよ。
と疑いのない事実を告げても

そうかな、でも自分はそうじゃないと思う。
その証拠だって本当かどうか疑わしい。
当の本人が、違うと言っているんだから、、


訳わからないかもしれないけど、
本気で、そんな主張をするんですよね。


何言ってんだ?
証拠が全てでしょ?
反省してないな!
と思ってしまうかもしれませんけど
本気でそう考えているんです。

自分はたしかにブレーキ踏んだんだ。
それなのに車が勝手に動いて、、、と。

片隅では、もしかしたら、ひょっとしたら、アクセル踏んでたのかもしれない。
でも、そんな事あってはならないと打ち消され
いや、そんなはずない、そんな事してない、車だ、車がおかしかったんだ。
そうじゃないと困る。

そうじゃないと、
そうに違いない、
そうあって欲しい、
きっとそうだ、

そう思い込む事で本人の中では
それが現実になっていく。


亡くなった方には申し訳ないけど、仕方なかった、車の異常が、、、

責任逃れ、逃避、がおきていて
普通の人なら判断できる事ができない。

車に異常はなくアクセルを踏み続けたログがあると聞けば
そうか。やっぱり自分が踏み間違えてしまったんだ、となるでしょうけど、
悲しいけど、正常に理解も判断もできない老化した脳


だからと言って、無罪にはならないだろうし犯した罪みも消えない。

被害者の家族の方には本当に気の毒だけど、
心からの謝罪や後悔はこの先も望めないと思います。
あるとすれば、(自分はそう思ってないけど)
判決がそうならそうなんでしょう。
被害者には本当に申し訳ない。
と言った結論になるように思います。



この裁判のニュースをみて
状況は違えど、まるで父の言い分だな。
でも、父がいなかったら
自分もこの被告の言い分に憤り批難するだけだったな。
老人がどんな思考回路なのか理解できなかったなとも思う。

何を言っても受け入れず否定と拒否
そして思い込みから事実を捻じ曲げてくるところ

父とあの被告の話と
同じにおいを感じるんです。