サポート校の奇跡: 聖進登山隊富士山に登る presented by 聖進学院 

サポート校の奇跡: 聖進登山隊富士山に登る presented by 聖進学院 

さまざまな事情を抱え、自分や他人に苛立ち、いまにも消えてしまいそうな子どもたちが、一泊二日の富士登山を成し遂げ少し成長する「軌跡」であり、「奇跡」をつづったブログです。

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「先生ー、今日お弁当何食べたの?」
「先生ー、俺、出席率ヤバい? ヤバい?」
「先生ってブルドッグみたいだよね!」

昼休みの職員室。

カウンター越しに、生徒たちがひっきりなしに声をかけてくる。
みんな「誰か」にかまってもらいたくて仕方がないのだ。

私は冗談ぽく一人ひとりに答える。
「超高級弁当。うまかったぞ~」
「どうしたんだよ、いきなり来なくなって。けっこう調子よかったじゃないか」
「はあっ!? ブルドッグ~!?」

笑って弁当の話をする女子生徒は、その陰で両親の離婚問題に悩んでいる。
出席を心配する男子生徒は、小学校・中学校時代に不登校を経験している。
軽口をたたく女子生徒は、九年間のいじめを一度も親に明かさずに耐えた過去がある。
聖進学院は、そんな生徒たちが通ってくる学校だ。

「全日制高校の硬直したカリキュラムについていけない生徒や自分の居場所を見つけることができない生徒に対し、居心地の良い場所を与え、夢の達成を支援する」というコンセプトのもとに生まれた新しいタイプの学校「サポート校」である。

私は昭和五八年、法律を学ぶために熊本から上京した。大学卒業後、司法試験の勉強をしながらできるアルバイトを探していたところ、知り合いに聖進学院の講師の仕事を紹介され、三年間勤めた。
一度辞めて勉強に専念したものの、一〇年間にわたって苦戦した。
その間、何度か「戻ってこないか」と誘われ、平成一三年に司法の道に終止符を打ち、正式に聖進学院の教師になった。
現在は、統括学院長として東京、神奈川、千葉、埼玉各校をまとめている。
学校全体の運営、教師への指導を行いつつ、授業やクラス担任も受け持っている。

教師になってすぐの頃は、生徒とどう接したらよいかわからず、悩みの相談をされてもうまく答えられなかった。
しかしここに通う「さまざまな事情あり」な生徒たちと日々向き合っているうちに、「誰かにかまってほしいんだ」と気づいた。
突然学校を休むことや軽口もすべて「かまってほしい」のサイン。
私は、「とにかく生徒と話すこと」を大事にしている。信頼関係はコミュニケーションからしか生まれないと思っているからだ。たくさん話すことで、その子の性格がわかる。
どの程度の冗談が通じるか。どの程度までなら叱って大丈夫か。生徒指導はこれを知ることからだと思う。
ただし、気をつけなければならないこともある。安易に生徒に迎合しないこと、どんな生徒に対しても分け隔てなく接すること、そして何より一番大事なことは「約束を忘れないこと」だ。
教師が一回でも約束や時間を忘れると「この先生はまた忘れるかもしれない」という不安を与え、二度と信じてもらえなくなってしまうのだ。
聖進学院の教師は、すべて同じ思いで生徒と接している。
人によって異なる対応は絶対にしない、ということを徹底している。
子どもたちが最も不安がるのは、「先生によって対応がちがうこと」そして「相手にしてもらえないこと」なのだ。

そんな聖進学院で、恒例になっている行事がある。
「富士登山」だ。

不登校を経験してきた生徒の中には、集団行動に苦手意識を感じている者が多く、体を動かすことが好きではない者も多い。そんな彼らに「日本一の山に登った!」という達成感と自信をもたせたい。そして、「みんなでやれば一人でやるよりずっと楽しい!」という思いを味わわせたい。
そんな思いから始まった学校行事だ。

一泊二日の富士登山だが、山登りの歩き方指導や、体力のない生徒への事前トレーニングなど準備は三ヵ月前から始める。
当日は一人も脱落することがないよう隊列を組んで、生徒から目を離さない(四年前の脱落者は、私だけだった)。東京、神奈川、千葉、埼玉の四校が合同で登るのも、この行事の特徴だ。

「日本一の山に登った!」という自信は、今までの人生がつらければつらいほど大きな心の支えになり、社会に出て厳しい場面と向き合ったとき「自分ならできる」という大きな武器になる。
登山隊に参加した生徒は必ず「登って良かった」と言う。
そして「聖進学院に来て良かった」と(だから卒業式のたびに私は号泣するはめになる)。
このブログのタイトルは『サポート校の奇跡』である。
さまざまな事情を抱え、自分や他人に苛立ち、いまにも消えてしまいそうな子どもたちが、一泊二日の富士登山を成し遂げ少し成長する「軌跡」であり、「奇跡」である。
このブログを読んで、いじめや不登校・今後の進路に悩みをもつたくさんの人の心が、少しでも軽くなれば幸いである。
富士登山、備えあれば憂いなし。



水滴がやけに頬に当たるな――と自覚したときには、すでにシャツが水分を吸いはじめていた。

私はすぐにザックからレインコートとザックカバーを取り出した。

冷えはじめた体に急いでまとい、カバーでザックを覆った。

山の雨をなめると痛い目に遭う。去年の今頃、生徒を連れて富士山に登ったときにいやというほど味わった教訓だ。ゴミ袋でザックを覆うという応急処置もむなしく、着替えがすべて濡れた。



体を支えてくれるストックを頼りに、再び次の一歩に体重をかける。

七月下旬、富士山が山開きをしてから約ひと月。前はほんの三、四メートル先までしか見えない。

朝の八時ではなく夜の間違いじゃないのか、と言いたくなるほど暗く、視界はさえぎられる。内心弱気になる。

――まずいなぁ、こりゃ。今日中に頂上まで行けるか怪しくなってきたな。誰だよ雨男は……。俺じゃないぞ。

振り返ると、三名の教師がびしょぬれになりながら必死で足を進めていた。



「寒いっすねぇ」



若杉先生がそうこぼすのをきっかけに、和田先生も同感だと言わんばかりに苦笑いを浮かべ、何かを訴えるような目でこちらを見た。

そう、今回のメンバーに生徒は一人もいない。

生徒が参加する「本番」は一週間後である。教師だけの登山は、本番に備えての「下見」――予行練習なのである。

今年の冬は積雪量が多かったという情報が入っていた。雪がどのくらい残っているのか。

頂上をぐるりと回る「お鉢巡り」が安全に行えるかどうか。どこで休憩すればほかの登山者に迷惑をかけずにすむか。雨や高山病など、いつどんなアクシデントが想定されるか。

それらをまず教師たちが体感することで、全員が無事に富士登山を達成できるようにしたい。下見にはこんな目的があった。

下見の前日は教師四名で学校に泊まり、富士山へ向かうことになっていた。準備が整い、睡眠をたっぷりとって明日に備えようとした矢先に、職員室の電話が鳴り響いた。

生徒からのSOSだ。対応がすべて終わったのは出発の二時間前だった。

眠気と闘いながら車で五合目近くまで来たとき、大粒の雨が窓をたたいた。三名の教師たちは明らかに帰りたいという表情で、口々に言った。

「……行きます?」

「どうします?」

「やめましょうか?」

私はなかばやけくそだった。




通信制高校の聖進学院
「ここまで来て何言ってるんだ。行くだけ行ってみるぞ!」

そもそも今日の下見はかなり無茶なスケジュールで組まれていた。

生徒を連れた本番では二日間かけてゆっくり登るのだが、今日は夜明け前に五合目を出発して頂上を目指し、その日の夜に東京に帰る。そのうえ疲れが完全にとれる前に本番だ。

やっとの思いで我々は本八合目に到着した。

「雨は降ったけど、なんとか来られたなぁ。俺もまだまだ行ける」

「自画自賛っすか……。まぁでも確かに、頂上まで行けるんじゃないかな」

教師たちはこの状況をどこか楽しんでいた。

「よし、こんな天気だけど、行けるところまで行こう。頂上をめざすぞ!」

「オー!」

大荒れの天気の中、頂上方面を見据え勢いよく歩き出す。

しかし、五メートルほど歩いたところで足が溶岩に引っかかり、思いきり地面につんのめった。

助けを求めようにもみんな自分の足を進めるのに精一杯で、他人に構っている余裕などない。

雨は容赦なく背中のザックを攻撃していた。

よろよろと起き上がり泥砂にまみれた眼鏡をかけなおすと、中山先生はひどい股ずれで座り込んでいた。一週間後には生徒を連れた「本番」が待っている。我々はここで体力を使い果たすわけにはいかない。まして、ケガをするなどもってのほかだ。

私は決断した。

「……撤退!」

引き際も肝心だ。生徒の安全を考えるなら、当日だって撤退しなければならないかもしれない。

それがわかっただけでも、下見の意義は十分にあった。

聖進学院は私にとって、文字どおり「家」である。これは比喩でも何でもない。実際に週のうち五日間は学校に寝泊まりしている。学校を離れるときは、電話がすべて私の携帯に転送されるように設定している。夏休みも、年末年始も「サポート校」にサポートできない期間があってはならないと考えているからだ。


通信制高校の聖進学院
ここで、「サポート校」について説明しておこう。



「サポート校」とは、一言でいえば「どんな生徒にも高校の卒業証書をとらせる努力をあきらめない」学校だ。

入学しやすいと言われている定時制高校や通信制高校は、よほどの目標や自己管理能力がないと続けるのが難しく、中卒で入学した生徒で順調に卒業できる者は少ない。

しかし、聖進学院はどんな生徒も受け入れ、必ず卒業させることを約束している。

聖進学院がこだわっているのは、「全員が卒業する」こと。

しかも、「笑顔で卒業していく」ことである。



聖進学院は昭和五六年、高校再受験予備校として東京都文京区に開校した。六四年より通信制高校に在籍する生徒へのサポートを始める。

「執着と情熱」「絶対約束、高校卒業」――を合言葉に、東京、神奈川、千葉、埼玉の四校で授業を行っている。

学科は、普通科、個別指導科、福祉科、音楽科があり、それぞれの適性や希望する進路に合わせて入学することができる。

普通科の目標は、自分のやりたいことを見つけること。

個別指導科は人とコミュニケーションが取れるようになること。

福祉科は人の役に立つ人間になること。

音楽科は音楽を通して人を幸せにする人間になること。



しかし、それが本当の目的ではない。「これだけはやり遂げた」という自信をつけさせることが目的だ。それぞれの科によってカリキュラムは違うが、生きていくための「自信」をもたせたいということは共通である。親はいつまでも守ってくれない。いつか必ず別れが来るからだ。



一人でもできるという自信は、生きていく上で支えになる。

富士登山は一年に一度、夏の二日間行われている。三七七六メートルという日本最高峰の登山に挑戦することで、さらに自信をつけてほしい。また、集団で登ることで他人とコミュニケーションを取ったり、配慮できるようになってほしい。そんな思いで希望者を募る。

希望した生徒とは一人ひとり面談を行い、これらの目的が理解できているか、体力に不安はないか、登山の準備はしっかりできるかということを確認して登山隊のメンバーに加える。

四校合同の行事は珍しいため、初対面での富士登山では生徒たちが緊張する。そこで、事前に顔合わせを行うことにしている。それが「決起集会」だ。




通信制高校の聖進学院
決起集会の日



「よーし、みんな席に着いたかな。それじゃあ、これから決起集会をはじめます」

下見の二日後。夏休みまっただなか、東京校の教室で登山に参加する各校の生徒たちが期待を胸に集まっていた。

生徒一人ひとりに配る「しおり」には「目的と意義」という見出しで、以下の三つを挙げた。



①協調精神

体力のある人間は体力のない人間を気遣い、体力のない人間は周りの期待に配慮し、応えるために努力する。

具体的には、体力がある人はない人のペースに合わせたり、荷物を持ってあげたり、ない人は集団から遅れないように頑張り、配慮に感謝する。

お互いに気遣い、思いやる心を持つこと。それが社会で求められる精神。



「One for all , All for one.」



②体験する

誰でも「富士山に登る」と言うことはできる。しかし、実際に経験(登頂)したことがある人間のみ、十何時間歩くことがいかに辛く、また雲を眼下に眺め、頂上で吹く風を浴びることがいかに気持ちのいいものであるかを知っている。

意識と現実の違いを理解する。自分の目で、耳で、体で実感することが大切である。



③他者への配慮 ~「きれい」を知る~

環境を守らない人は、いつか環境からしっぺ返しが来る。富士山では、トイレは汲み取り式で、出したゴミは持ち帰るのが鉄則。「きれい」は連鎖する。身の回りを整えてきれいにすることが、自分だけでなく周りの人の心もきれいにすることにつながる。その「共同」という意識が生きるための力になる。



この三つの「目的と意義」は、すべて普段から教師が生徒に伝えていることだ。

つまり、富士登山は普段の生活に必要なことをぎゅっと凝縮した「教育の場」。どのくらい生徒が意識してくれるかはわからないが、三つのうちどれか一つだけでもいい。心に留めて、意識してくれることを願った。


通信制高校の聖進学院