ようこそ里山へ 茨城笠間・青葉って永遠

茨城県笠間市。観光と陶芸の町の知られざる宝。穏やかな里山と田園は心の原風景。庭と山川草木、体感する旬の言の葉たち。

岩手に育つ青年の森に寄す⑨

2018-09-21 08:15:08 | 里山の言の葉
 岩手の森の続編は、雨の中の碑文から。



お陰様で先人の遺訓に寄り添い、若木は無事に育ったが。
光陰矢の如しと、わが身振り返りつつ、41年ぶりに青鹿(あおじし)寮仰ぐ。
田野畑に棲むあおじしことカモシカ、その地元の呼称を冠した、木造二階建ての拠点。



正面から撮り忘れたので、一枚をトリミングしつつ想い返すと。
雨天時に機能する広い軒端が有り難く、その上はミーティング用に、十分な広さの板の間がある。
大学のセミナーハウスながら、事実上、思惟の森の会の合宿所。



二階の北側は寝室だが、睡眠は快適だったと記憶している。
この寮は、敷地と木材は田野畑村の皆様より無償で頂き、大学が建設した。
設計された先生は、ル・コルビジェ(→実例)の日本人の三人の弟子の一人であったとは、記念誌で初めて知った。



幸い、不勉強を恥じつつ仰ぐ、てっぺんの鐘楼の音は昔のままであった。
さらに昔、寮建設以前の宿の一切は、村の皆さんのご自宅のお世話になっていた。
そのような草創期以来60年近く、高速インターも間もなくつながる時代だが、田野畑の懐は今なお深く。



有難き村への再訪を機に、寮の設計者の概念・「不連続統一体」の一端も垣間見(→かなり相似形!)。
現役女子の記念誌記事の助けで、あたらめて実地にも体感させて頂いた次第だが。
ブログ主的には、建築の心臓に相当する部位にある階段の存在が、際立って印象に残った。

 それは、玄関に入ってすぐに正面、二階に向けてまっすぐ駆け上がる階段だ。
そこでの記憶を想い返して考えるほどに、村内での二つの階段が連想される。
すなわち、大震災ゆかりの二か所だ。



それは、既に書いた、羅賀荘裏手の山に登る避難階段と、賢治の碑とともに残った島越駅の階段なのだが。
荒波越えて、現在の村に植樹すべく設置した現役諸君作の階段を、新潟の草創期先輩は静かに登って行く。
階段や佐渡へと続く天の川、と。(続く)
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