小説目次 タイトル及び№をクリックしていただくと、それぞれのページに飛びます。
(まだ試験版。うまく行ったら、奇麗に作り直します)
オリジナル
「金の瞳のリゼ」 ストーリーを確認するだけなら、無条件公開版のみでも大丈夫
キャラクターの心理等をより深く味わいたいなら、アメンバー限定ノーカット版をどうぞ。
第一章 アーニーとセディ その1 (無条件公開短縮版)
第一章 アーニーとセディ その1 (アメンバー限定公開ノーカット版)
……まだ未完。がんばってます!
二次創作
「南の真珠、太陽の花」 ONE-PIECE ポートガス・D・アニーと不死鳥マルコのお話
「甘い甘いたまごやき」 家庭教師ヒットマンREBONE 女の子ツナと守護者たちの10年後
「紫 煙」 鋼の錬金術師 女性の大佐と中佐の不倫話
「帰ってきたヨッパライ」 青の祓魔師 燐ねえちゃんと雪男くんのお話。
「ぼくの純情をきみに捧ぐ」 青の祓魔師 雪男くんの過去話。
また動画をあげたよ
もう一本、PowerPointのスライドを動画に変換したものをYouTubeにあげたよ。
こっちが実際の発表実習に使ったもの。
2分足らずで発表を終えました。
ほんとは、こっちの本気で努力して作成したスライドを使いたかったよ。
良かったら、コメントでもメールでも良いので、感想聞かせてください。
こっちが実際の発表実習に使ったもの。
2分足らずで発表を終えました。
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良かったら、コメントでもメールでも良いので、感想聞かせてください。
YouTubeにアップしてみたよ
小説ってんじゃないけど……。
PowerPointで作成したスライドを画像に変換して、YouTubeにアップしてみたよ。
画像変換の際に一部BGMや効果音が欠落してしまったけど
(ほんとは「ゲーム画面(開発中)」の時にもBGMが流れるんだ)
まあ、いいです。
ものすごーくがんばってがんばって作ったので、とにかく誰かに見てもらいたくて。
ほんでは。
これでうまく見られるかな?
もしもダメなら、YouTubeで、「KaworuSakuraba」で検索してみてね。
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ぼくの純情をきみに捧ぐ
AO-EX、雪男くんの過去話。燐はねーちゃんです。……シュラ×雪男、なのか?
ぼくの純情をきみに捧ぐ
だまし絵のように複雑に絡み合う暗く長い階段を下り、雪男が正十字騎士團日本支部・地下トレーニングルームに到着してみると、すでに先客がいた。
「よーう、ビビリー。祓魔師資格取得、おめっとさーん!」
「……シュラさん」
相変わらずへらへら笑いながら手を振るシュラに、雪男は一応、ありがとうございます、と頭を下げた。
よりによって、一番会いたくない相手と出くわしてしまった。
とにかく一心不乱に銃を撃ち、胸の内にたまったいろんなもやもやや鬱屈を少しでも晴らそうと思っていたのに。
――昨夜も、姉さんの夢を見た。
魔神の炎を受け継いでいる燐は、華奢な見た目に反して、人間離れした怪力を持っている。けれど夢の中の燐は、その姿通り非力な少女でしかなかった。
それを自分は、力ずくで陵辱していた。文字通り、悪魔のような笑みを浮かべながら。
中学にあがった頃から、繰り返し同じ夢を見ていた。その夢によって雪男は、自分が燐に対しどんな想いを抱いているか、あらためて思い知らされたのだ。
こんなこと、誰にも言えない。実の姉を性愛の対象として見ているなんて。許されないことだ。
けれどそう思えば思うほど、夢の中の燐が思い出され、頭も胸もいっぱいになってしまう。ほかのことがなにも考えられなくなってしまうのだ。
それを振り払うため、任務終了後にわざわざトレーニングルームの使用許可を得た。腕があがらなくなるまでひたすら銃を撃ち続けよう。この体を酷使し、何も考えられなくなるほどくたくたになれば、今夜くらいはきっと何の夢も見ずに眠れるに違いない。そう思っていた。
なのに、なんでこんな時に限って、シュラがここにいるのだ。日ごろから不真面目で、トレーニングルームになんか、もと師匠である藤本神父に首根っこ引っ掴まれて無理やり引きずられてこなければ、けして足を向けようともしないのに。
「史上最年少祓魔師だって? しかもいきなり、医工騎士と竜騎士のふたつも称号取得したんだろ? たいしたもんじゃねーか」
「ええ、まあ……」
いい加減に相槌をうち、雪男はトレーニングマシンの調整を始めた。
さっさとトレーニングを始めて、さっさと終わらせよう。こんな人間、相手にしないに限る。
シュラから一番離れたマシンを選んだのに、シュラはわざわざ自分が使っていたマシンを止め、雪男の隣に移動してきた。
「なんでこっちに来るんですか」
「いいだろ、別に。競争相手がいたほうがやりやすいんじゃないのか、お前も」
この人の気まぐれはいつものことだ。いちいちまともに相手にしていたら、きりがない。雪男は自分の訓練に集中しようと、銃を構えた。
「へー、すげえ。お前、二丁拳銃かよ。かっこいいじゃん、ビビりのくせに」
「いい加減にやめてもらえませんか、そのビビりっていうの」
「だーって。お前、ビビりだもん」
シュラは軽口をたたきながら、トレーニングマシンから超高速で射出されるターゲットを次々に撃破していく。
こうした実力だけは、雪男も彼女に一目置かざるを得ない。高い戦闘能力に加え、雪男にはない手騎士の能力も持ち合わせ、貴重な魔剣をも従わせるシュラは、実力だけならすでに四大騎士に匹敵する。
「ところで雪男。お前、もう童貞捨てたかあ?」
「はあ!?」
ずがっ。
銃口がブレた。
ターゲットを撃ち落すはずの弾丸はあさってのほうへ飛んでいき、ゴムボールのような疑似魍魎が雪男の顎を直撃した。
「あてっ!」
「やーい、失敗してやんのー。今のが実戦なら、お前、即死だぞー!」
「いっ、今のは! 今のは、シュラさんがよけいなこと言うからでしょ!」
「なーんだ、やっぱりまだかよ」
シュラもいったん訓練の手を止めた。そしてなぜかうんざりした表情でため息をつく。
「お前なー。獅郎に言われてねえのか。童貞の祓魔師なんて、危なっかしくてチームなんか組めたもんじゃねえ。なんでさっさと筆下ろししとかねえんだよ!」
「かっ、関係ないでしょう! ぼくがど、ど……その、なんだって、いいじゃないですか!」
「関係大有りだから言ってんだよ! 莫迦か、お前。童貞のまんまでのこのこ悪魔祓いの現場になんか行ってみろ、それこそ淫魔のおねーさんに『さあ、ボクちゃんを食ってちょーだいな♪』って言ってるようなもんじゃねーか!」
それは……たしかに、そうだ。
この世で最初の女悪魔・リリスを例に持ち出すまでもなく、女性体――あるいはそう見えるもの、というべきか。元来、悪魔には物質界の生物のような明確な雌雄の別は存在しない――の悪魔はすべからく人間の男の精を好物とする。それも、操正しい修道士を堕落させ、骨の髄までしゃぶりつくすのが彼女らの最大の快楽なのだ。
雪男が祓魔師の資格を得たのは、一月ほど前。十三歳、中学二年生での取得は、正十字騎士團始まって以来の快挙だという。
これまでの任務は、養父である聖騎士・藤本獅郎神父の補佐が主であり、別の祓魔師とチームを組んでの出動はまだ経験していない。しかし、いつまでも父の庇護のもとにあるわけにもいかない。やがては父のもとを離れ、一人前の祓魔師として、同等の祓魔師たちとチームを組み、任務にあたらなければならないのだ。
その時に雪男の個人的な事情がチームの弱点になるような事態は、やはり避けなければならない。
「そろそろ雪男にも経験積ませなきゃなあ……。今のまんまじゃ、危なすぎる」
「でも、まさかプロのおねーさんの店に連れてくってわけにはいかないでしょ。雪男くん、まだ中学生なんだし――」
礼拝堂の片隅で、養父と修道院に住み込んでいる祓魔師がぼそぼそ声をひそめて相談していたのも、知っている。
「やっぱり、誰か女性の祓魔師に頼むしかないか――」
「そうですねえ。最初は年上の、経験豊富な相手に任せたほうが……」
――まさか養父さん! シュラさんに頼んだんじゃないだろうな!?
いやだ。それだけは、絶対にいやだ!
「ぼくにだって、理想はあるんです! 好きな女の子だって、いないわけじゃないんだから!」
「お前、まさか『ボクのハジメテは、ねーさんにささげるんだー♪』なんて思ってんじゃねーだろーな!?」
シュラは雪男の眼前に指を突きつけた。
雪男は思わず絶句した。
「ど、どうして、それを……い、いやっ! ち、違う! 違います! ぼく、そんなこと、こ、これっぽっちも考えてません! な、な、なにを言うんですか、シュラさん! だ、だいたい、ぼくと姉さんは、双子の姉弟で、そ、そんな、それは神の教えに反する考えで、それによってソドムとゴモラの街が天の火で――」
「あー、やっかましい! お前の顔見りゃ、一目瞭然だっての!」
シュラは心底面倒くさそうに、ばりばりと髪を掻きあげた。
「お前らがどういう運命に生まれてきたかってのは、あたしだって知ってるよ。お前らふたりに世の中の理屈や常識が通用しねえってことぐらい、あたしも獅郎も百も承知だ! 今さらそんなことで説教しようってんじゃねえよ!!」
雪男は息をのんだ。
十四年前、下一級祓魔師ユリ・エギンがその生命と引き換えに産み落とした二卵性双生児。
その父は、虚無界の神。青き焔の悪魔。
父神の力はなぜか自分には受け継がれず、ほんの数時間先に生まれた双子の姉にのみ引き継がれた。
生まれ落ちた瞬間に、雪男は姉の焔によって魔障を受け、悪魔の姿が見えるようになった。そして闘う運命を義務付けられたのだ。
――姉さんのために。
姉さんを、守るために。
「いいさ。お前の生きる理由のすべてが燐だって言うなら、それでかまわない。獅郎が一度でもそれを咎めたことがあったか? あたしだって同じさ」
「……だ――だったら……」
ほうっておいてください。ぼくたちのことは。
そう言おうと思った。そして、雪男はシュラに背を向けた。
が、
「だけどなあ。それとこれとは話が別なんだよ!」
「なにが別なんですか!」
「お前なあ。処女と童貞がいきなりお手合わせして、上手くいくわきゃねーだろうが!」
ごすん。
木刀の切っ先で、後頭部をどつかれる。
「なにすんですか!」
「それともなにか!? お前の妄想ん中じゃ、燐はすでに“穴あき”か!?」
「あっ、あ、穴あきって……!」
「燐はほかの誰かが開発済みで、お前の理想の初体験は『ボク、経験豊富なねーさんに美味しくいただかれちゃったよー』か!? おう、そんならいいぞ、あたしが燐に話つけてきてやる。お前、さっさとどっかの男とヤッてこいってな。いつも男みてーな恰好ばっかりしてるから見過ごされてるが、燐はあれでけっこう美少女だからなー。いっぺんお相手願いたいって男は掃いて捨てるほどいるぞ!」
「そっ……そんな、そんなこと――!」
そんなこと、許せるはずがない。燐が他の男の腕に抱かれているところなんて、想像しただけで頭のどこかで血管がぶち切れそうだ。
「ま、燐のバカ力に耐えられる男がそうそういるわけねえけどな。そっとハグハグしただけでも、全身複雑骨折、内臓破裂だ」
「なっ、なにを言うんですか! 姉さんがそんなはしたない真似するわけないでしょう! ねっ、姉さんが、ぼく以外の男に抱きつくなんて――!!」
「だったらやっぱり、お前が先に経験積んどくしかねーだろーが!」
シュラはふたたび、びしっと雪男に指を突きつけた。
「いざって時にしくじったら、お前は男のプライドが傷つく程度だからまだいいが、燐は実際、体に傷を負うかもしれねーんだぞ!」
「え……?」
雪男は思わず首をかしげた。燐が怪我をする? 自分が燐に傷を負わせるというのか?
「女のハジメテは、どうやったって痛てえんだ。それを、どうにか我慢して相手の男を受け入れるんだよ。そん時に、相手の男がど下手くそだったらどうする。地獄だぞ!」
「地獄って……」
男と女がどうやって結ばれるのか、そのくらいは承知している。だがそれが、具体的にどういう結果をもたらすのかまでは考えたこともなかった。
「お前、こーして口に指突っ込んで、左右に思いっきり引っ張ってみろ」
そう言ってシュラは、小さな子供がいーっと悪態ついてみせる時のように、自分の口を左右に引っ張ってみせた。
「……こう、れふか?」
「もっと。もっと思いっきり。――もっと強く!」
「い、い……いーっ――!」
シュラに命じられるまま、雪男は訳もわからず、口の端が切れそうなくらい強く引っ張った。
痛い。
「どうだ、痛いか!?」
「あ、うぁい。いらひれふ……っ」
「よーく覚えとけ。それがロストバージンの痛みだ!」
「……い!?」
「ふつうにやっても、そのくらい痛いんだ。まして相手の男も未経験で、ただ闇雲に突っ込んできたら、どうなる。体が傷つかねえわけねえだろ!」
「こんなに、痛いのか……」
口から指を抜き、雪男はなかば茫然とつぶやいた。
世の女性すべてに同情すると同時に、あらぬ妄想が雪男の脳裏をかけめぐる。これほどの痛みに耐え、それでもけなげに自分にすべてを捧げてくれる燐。涙をこらえ、自分を受け入れるために体を開いて――。
「ね……姉さん――」
自然と口元がにやけてくる雪男の横で、シュラははああ……と、深く深くため息をついた。
「しょうがねえ。今回だけはあたしが面倒見てやる」
「結構です! あんたに面倒見てもらうくらいなら、年齢ごまかして、プロのおねーさんにお願いします!」
「ほんで補導されて、留置場まで獅郎にもらいうけに来てもらうか!? 祓魔師資格だって一発で剥奪だぞ!」
「ぐ……!」
雪男は言葉に詰まった。何を言っても、シュラに論破されてしまう。言い訳も言い逃れも、もう思いつかない。
「あのなあ。あたしだってお前みたいなひょろひょろの貧弱坊や、好みじゃねーんだよ! だけどほかに誰もいねーから、しょうがなく相手してやるんだ、感謝しろ! それともなにか。裸にひん剥かれて、ムキムキマッチョなおにーさんの前に放り出されるほうがいいか!? お前がロストバージンしたって、とりあえず“経験済み”にはなるんだからな!」
「やっ、やだ! それは嫌だ!」
「だったらつべこべ言わず、来い!」
「やだあっ! 姉さん、姉さん、助けてーッ!!」
「お! やっと帰ってきたな、雪男! ずいぶん遅かったじゃんか!」
南十字男子修道院、ダイニングキッチンのドアが開き、燐がおたま片手に顔を出した。いつもどおり、屈託のない明るい笑顔だ。
外はすでに日も暮れて、星がまたたく空に冷たい風が吹き抜ける。けれどこの修道院には、いつもと変わらない優しい空気があふれていた。ドアの向こうからは、あったかい良い匂いが漂ってくる。今夜のメニューはおでんのようだ。
「あ……姉さん。うん、ただいま――」
「部活やボランティアもいいけど、あんま無理すんなよ。お前、昔からこういう季節の変わり目にはよく風邪ひいて――って、どうした、雪男!?」
青ざめ、強ばった表情で、玄関先で立ちつくしたままの雪男に、燐は慌てて駆け寄ってきた。
「具合悪いのか、雪男! どっか痛いのか!?」
「ううん……。なんでもないよ、姉さん」
「それがなんでもねーって顔かよ! まさかお前、学校でいじめられてんのか!?」
燐は両手で弟の腕をつかみ、その顔を覗き込んだ。
中学にあがったばかりのころはほとんど変わらなかったふたりの背丈は、現在はすでにかなり差が開いてしまっている。燐はこころもち顎をあげなければ、雪男の表情をまっすぐ見ることができない。
燐はもちろん、雪男が祓魔師として悪魔と闘っていることなど知らない。この頃帰りが遅いのは、学校の部活や修道院のボランティア活動だと信じている。
雪男は逃げるように目を伏せた。
自分を心配してくれる姉の視線が、そのいたいけな瞳が、つらい。
「違うよ。そんなんじゃない……」
「隠すな、雪男! ねーちゃんにだけは全部ほんとのこと話すって、約束したろ!?」
「ほんとに、ほんとに何でもないんだ。心配しないで」
――ああ、姉さん。ごめんなさい。
雪男は懸命に涙を怺えた。
燐の中では、雪男はいまだに泣き虫でいじめられっ子、べそをかきながら燐のあとを懸命に追いかけていた、燐が守ってやらなければいけない大事な弟なのだ。
――ごめんなさい。ごめんなさい、姉さん。あなたに守ってもらう資格は、今のぼくにはもうありません。
今日、ぼくはけがれたオトナの階段を登ってしまいました……。
そろそろ本気でサイト立ち上げて、コピー誌でいいから同人活動やりたいです。
お気に召しましたら、ぽちっとクリックお願いします。
ぼくの純情をきみに捧ぐ
だまし絵のように複雑に絡み合う暗く長い階段を下り、雪男が正十字騎士團日本支部・地下トレーニングルームに到着してみると、すでに先客がいた。
「よーう、ビビリー。祓魔師資格取得、おめっとさーん!」
「……シュラさん」
相変わらずへらへら笑いながら手を振るシュラに、雪男は一応、ありがとうございます、と頭を下げた。
よりによって、一番会いたくない相手と出くわしてしまった。
とにかく一心不乱に銃を撃ち、胸の内にたまったいろんなもやもやや鬱屈を少しでも晴らそうと思っていたのに。
――昨夜も、姉さんの夢を見た。
魔神の炎を受け継いでいる燐は、華奢な見た目に反して、人間離れした怪力を持っている。けれど夢の中の燐は、その姿通り非力な少女でしかなかった。
それを自分は、力ずくで陵辱していた。文字通り、悪魔のような笑みを浮かべながら。
中学にあがった頃から、繰り返し同じ夢を見ていた。その夢によって雪男は、自分が燐に対しどんな想いを抱いているか、あらためて思い知らされたのだ。
こんなこと、誰にも言えない。実の姉を性愛の対象として見ているなんて。許されないことだ。
けれどそう思えば思うほど、夢の中の燐が思い出され、頭も胸もいっぱいになってしまう。ほかのことがなにも考えられなくなってしまうのだ。
それを振り払うため、任務終了後にわざわざトレーニングルームの使用許可を得た。腕があがらなくなるまでひたすら銃を撃ち続けよう。この体を酷使し、何も考えられなくなるほどくたくたになれば、今夜くらいはきっと何の夢も見ずに眠れるに違いない。そう思っていた。
なのに、なんでこんな時に限って、シュラがここにいるのだ。日ごろから不真面目で、トレーニングルームになんか、もと師匠である藤本神父に首根っこ引っ掴まれて無理やり引きずられてこなければ、けして足を向けようともしないのに。
「史上最年少祓魔師だって? しかもいきなり、医工騎士と竜騎士のふたつも称号取得したんだろ? たいしたもんじゃねーか」
「ええ、まあ……」
いい加減に相槌をうち、雪男はトレーニングマシンの調整を始めた。
さっさとトレーニングを始めて、さっさと終わらせよう。こんな人間、相手にしないに限る。
シュラから一番離れたマシンを選んだのに、シュラはわざわざ自分が使っていたマシンを止め、雪男の隣に移動してきた。
「なんでこっちに来るんですか」
「いいだろ、別に。競争相手がいたほうがやりやすいんじゃないのか、お前も」
この人の気まぐれはいつものことだ。いちいちまともに相手にしていたら、きりがない。雪男は自分の訓練に集中しようと、銃を構えた。
「へー、すげえ。お前、二丁拳銃かよ。かっこいいじゃん、ビビりのくせに」
「いい加減にやめてもらえませんか、そのビビりっていうの」
「だーって。お前、ビビりだもん」
シュラは軽口をたたきながら、トレーニングマシンから超高速で射出されるターゲットを次々に撃破していく。
こうした実力だけは、雪男も彼女に一目置かざるを得ない。高い戦闘能力に加え、雪男にはない手騎士の能力も持ち合わせ、貴重な魔剣をも従わせるシュラは、実力だけならすでに四大騎士に匹敵する。
「ところで雪男。お前、もう童貞捨てたかあ?」
「はあ!?」
ずがっ。
銃口がブレた。
ターゲットを撃ち落すはずの弾丸はあさってのほうへ飛んでいき、ゴムボールのような疑似魍魎が雪男の顎を直撃した。
「あてっ!」
「やーい、失敗してやんのー。今のが実戦なら、お前、即死だぞー!」
「いっ、今のは! 今のは、シュラさんがよけいなこと言うからでしょ!」
「なーんだ、やっぱりまだかよ」
シュラもいったん訓練の手を止めた。そしてなぜかうんざりした表情でため息をつく。
「お前なー。獅郎に言われてねえのか。童貞の祓魔師なんて、危なっかしくてチームなんか組めたもんじゃねえ。なんでさっさと筆下ろししとかねえんだよ!」
「かっ、関係ないでしょう! ぼくがど、ど……その、なんだって、いいじゃないですか!」
「関係大有りだから言ってんだよ! 莫迦か、お前。童貞のまんまでのこのこ悪魔祓いの現場になんか行ってみろ、それこそ淫魔のおねーさんに『さあ、ボクちゃんを食ってちょーだいな♪』って言ってるようなもんじゃねーか!」
それは……たしかに、そうだ。
この世で最初の女悪魔・リリスを例に持ち出すまでもなく、女性体――あるいはそう見えるもの、というべきか。元来、悪魔には物質界の生物のような明確な雌雄の別は存在しない――の悪魔はすべからく人間の男の精を好物とする。それも、操正しい修道士を堕落させ、骨の髄までしゃぶりつくすのが彼女らの最大の快楽なのだ。
雪男が祓魔師の資格を得たのは、一月ほど前。十三歳、中学二年生での取得は、正十字騎士團始まって以来の快挙だという。
これまでの任務は、養父である聖騎士・藤本獅郎神父の補佐が主であり、別の祓魔師とチームを組んでの出動はまだ経験していない。しかし、いつまでも父の庇護のもとにあるわけにもいかない。やがては父のもとを離れ、一人前の祓魔師として、同等の祓魔師たちとチームを組み、任務にあたらなければならないのだ。
その時に雪男の個人的な事情がチームの弱点になるような事態は、やはり避けなければならない。
「そろそろ雪男にも経験積ませなきゃなあ……。今のまんまじゃ、危なすぎる」
「でも、まさかプロのおねーさんの店に連れてくってわけにはいかないでしょ。雪男くん、まだ中学生なんだし――」
礼拝堂の片隅で、養父と修道院に住み込んでいる祓魔師がぼそぼそ声をひそめて相談していたのも、知っている。
「やっぱり、誰か女性の祓魔師に頼むしかないか――」
「そうですねえ。最初は年上の、経験豊富な相手に任せたほうが……」
――まさか養父さん! シュラさんに頼んだんじゃないだろうな!?
いやだ。それだけは、絶対にいやだ!
「ぼくにだって、理想はあるんです! 好きな女の子だって、いないわけじゃないんだから!」
「お前、まさか『ボクのハジメテは、ねーさんにささげるんだー♪』なんて思ってんじゃねーだろーな!?」
シュラは雪男の眼前に指を突きつけた。
雪男は思わず絶句した。
「ど、どうして、それを……い、いやっ! ち、違う! 違います! ぼく、そんなこと、こ、これっぽっちも考えてません! な、な、なにを言うんですか、シュラさん! だ、だいたい、ぼくと姉さんは、双子の姉弟で、そ、そんな、それは神の教えに反する考えで、それによってソドムとゴモラの街が天の火で――」
「あー、やっかましい! お前の顔見りゃ、一目瞭然だっての!」
シュラは心底面倒くさそうに、ばりばりと髪を掻きあげた。
「お前らがどういう運命に生まれてきたかってのは、あたしだって知ってるよ。お前らふたりに世の中の理屈や常識が通用しねえってことぐらい、あたしも獅郎も百も承知だ! 今さらそんなことで説教しようってんじゃねえよ!!」
雪男は息をのんだ。
十四年前、下一級祓魔師ユリ・エギンがその生命と引き換えに産み落とした二卵性双生児。
その父は、虚無界の神。青き焔の悪魔。
父神の力はなぜか自分には受け継がれず、ほんの数時間先に生まれた双子の姉にのみ引き継がれた。
生まれ落ちた瞬間に、雪男は姉の焔によって魔障を受け、悪魔の姿が見えるようになった。そして闘う運命を義務付けられたのだ。
――姉さんのために。
姉さんを、守るために。
「いいさ。お前の生きる理由のすべてが燐だって言うなら、それでかまわない。獅郎が一度でもそれを咎めたことがあったか? あたしだって同じさ」
「……だ――だったら……」
ほうっておいてください。ぼくたちのことは。
そう言おうと思った。そして、雪男はシュラに背を向けた。
が、
「だけどなあ。それとこれとは話が別なんだよ!」
「なにが別なんですか!」
「お前なあ。処女と童貞がいきなりお手合わせして、上手くいくわきゃねーだろうが!」
ごすん。
木刀の切っ先で、後頭部をどつかれる。
「なにすんですか!」
「それともなにか!? お前の妄想ん中じゃ、燐はすでに“穴あき”か!?」
「あっ、あ、穴あきって……!」
「燐はほかの誰かが開発済みで、お前の理想の初体験は『ボク、経験豊富なねーさんに美味しくいただかれちゃったよー』か!? おう、そんならいいぞ、あたしが燐に話つけてきてやる。お前、さっさとどっかの男とヤッてこいってな。いつも男みてーな恰好ばっかりしてるから見過ごされてるが、燐はあれでけっこう美少女だからなー。いっぺんお相手願いたいって男は掃いて捨てるほどいるぞ!」
「そっ……そんな、そんなこと――!」
そんなこと、許せるはずがない。燐が他の男の腕に抱かれているところなんて、想像しただけで頭のどこかで血管がぶち切れそうだ。
「ま、燐のバカ力に耐えられる男がそうそういるわけねえけどな。そっとハグハグしただけでも、全身複雑骨折、内臓破裂だ」
「なっ、なにを言うんですか! 姉さんがそんなはしたない真似するわけないでしょう! ねっ、姉さんが、ぼく以外の男に抱きつくなんて――!!」
「だったらやっぱり、お前が先に経験積んどくしかねーだろーが!」
シュラはふたたび、びしっと雪男に指を突きつけた。
「いざって時にしくじったら、お前は男のプライドが傷つく程度だからまだいいが、燐は実際、体に傷を負うかもしれねーんだぞ!」
「え……?」
雪男は思わず首をかしげた。燐が怪我をする? 自分が燐に傷を負わせるというのか?
「女のハジメテは、どうやったって痛てえんだ。それを、どうにか我慢して相手の男を受け入れるんだよ。そん時に、相手の男がど下手くそだったらどうする。地獄だぞ!」
「地獄って……」
男と女がどうやって結ばれるのか、そのくらいは承知している。だがそれが、具体的にどういう結果をもたらすのかまでは考えたこともなかった。
「お前、こーして口に指突っ込んで、左右に思いっきり引っ張ってみろ」
そう言ってシュラは、小さな子供がいーっと悪態ついてみせる時のように、自分の口を左右に引っ張ってみせた。
「……こう、れふか?」
「もっと。もっと思いっきり。――もっと強く!」
「い、い……いーっ――!」
シュラに命じられるまま、雪男は訳もわからず、口の端が切れそうなくらい強く引っ張った。
痛い。
「どうだ、痛いか!?」
「あ、うぁい。いらひれふ……っ」
「よーく覚えとけ。それがロストバージンの痛みだ!」
「……い!?」
「ふつうにやっても、そのくらい痛いんだ。まして相手の男も未経験で、ただ闇雲に突っ込んできたら、どうなる。体が傷つかねえわけねえだろ!」
「こんなに、痛いのか……」
口から指を抜き、雪男はなかば茫然とつぶやいた。
世の女性すべてに同情すると同時に、あらぬ妄想が雪男の脳裏をかけめぐる。これほどの痛みに耐え、それでもけなげに自分にすべてを捧げてくれる燐。涙をこらえ、自分を受け入れるために体を開いて――。
「ね……姉さん――」
自然と口元がにやけてくる雪男の横で、シュラははああ……と、深く深くため息をついた。
「しょうがねえ。今回だけはあたしが面倒見てやる」
「結構です! あんたに面倒見てもらうくらいなら、年齢ごまかして、プロのおねーさんにお願いします!」
「ほんで補導されて、留置場まで獅郎にもらいうけに来てもらうか!? 祓魔師資格だって一発で剥奪だぞ!」
「ぐ……!」
雪男は言葉に詰まった。何を言っても、シュラに論破されてしまう。言い訳も言い逃れも、もう思いつかない。
「あのなあ。あたしだってお前みたいなひょろひょろの貧弱坊や、好みじゃねーんだよ! だけどほかに誰もいねーから、しょうがなく相手してやるんだ、感謝しろ! それともなにか。裸にひん剥かれて、ムキムキマッチョなおにーさんの前に放り出されるほうがいいか!? お前がロストバージンしたって、とりあえず“経験済み”にはなるんだからな!」
「やっ、やだ! それは嫌だ!」
「だったらつべこべ言わず、来い!」
「やだあっ! 姉さん、姉さん、助けてーッ!!」
「お! やっと帰ってきたな、雪男! ずいぶん遅かったじゃんか!」
南十字男子修道院、ダイニングキッチンのドアが開き、燐がおたま片手に顔を出した。いつもどおり、屈託のない明るい笑顔だ。
外はすでに日も暮れて、星がまたたく空に冷たい風が吹き抜ける。けれどこの修道院には、いつもと変わらない優しい空気があふれていた。ドアの向こうからは、あったかい良い匂いが漂ってくる。今夜のメニューはおでんのようだ。
「あ……姉さん。うん、ただいま――」
「部活やボランティアもいいけど、あんま無理すんなよ。お前、昔からこういう季節の変わり目にはよく風邪ひいて――って、どうした、雪男!?」
青ざめ、強ばった表情で、玄関先で立ちつくしたままの雪男に、燐は慌てて駆け寄ってきた。
「具合悪いのか、雪男! どっか痛いのか!?」
「ううん……。なんでもないよ、姉さん」
「それがなんでもねーって顔かよ! まさかお前、学校でいじめられてんのか!?」
燐は両手で弟の腕をつかみ、その顔を覗き込んだ。
中学にあがったばかりのころはほとんど変わらなかったふたりの背丈は、現在はすでにかなり差が開いてしまっている。燐はこころもち顎をあげなければ、雪男の表情をまっすぐ見ることができない。
燐はもちろん、雪男が祓魔師として悪魔と闘っていることなど知らない。この頃帰りが遅いのは、学校の部活や修道院のボランティア活動だと信じている。
雪男は逃げるように目を伏せた。
自分を心配してくれる姉の視線が、そのいたいけな瞳が、つらい。
「違うよ。そんなんじゃない……」
「隠すな、雪男! ねーちゃんにだけは全部ほんとのこと話すって、約束したろ!?」
「ほんとに、ほんとに何でもないんだ。心配しないで」
――ああ、姉さん。ごめんなさい。
雪男は懸命に涙を怺えた。
燐の中では、雪男はいまだに泣き虫でいじめられっ子、べそをかきながら燐のあとを懸命に追いかけていた、燐が守ってやらなければいけない大事な弟なのだ。
――ごめんなさい。ごめんなさい、姉さん。あなたに守ってもらう資格は、今のぼくにはもうありません。
今日、ぼくはけがれたオトナの階段を登ってしまいました……。
そろそろ本気でサイト立ち上げて、コピー誌でいいから同人活動やりたいです。
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帰ってきたヨッパライ 後編
りんねーちゃんと雪男くんのお話。後編
帰ってきたヨッパライ その2
「おッ、おまッ、は、離せ! 離せ、尻尾!」
「やだ。離したら姉さん、どっか行っちゃうじゃないかあ!」
「どこも行きゃしねえよ! 風呂だ、風呂!」
「やだやだやだ! 姉さん、どこにも行かないで!!」
雪男は容赦なく燐の尻尾を引っ張った。
急所の尻尾をロープのように引っ張られたのでは、たまらない。燐は雪男の腕の中へもんどり打って倒れ込んだ。
「なにすんだ、雪男!」
「だって姉さん……姉さんが――」
酔っ払いの弟は、今度はぐすぐすべそをかき始める。
「だぁあ、泣くな! お前、いったい幾つだ!」
「姉さんと同い歳」
「んなこたぁわァってるよ! ヒトの尻尾でハナ拭くなー!」
「うええええん、姉さんが冷たいぃ!!」
とうとう雪男は、赤ん坊みたいに手放しで泣きじゃくり出した。それでも燐の尻尾は離さないが。
「姉さん、どうしてそんな意地悪ばっかりするんだよぅ……」
「はああっ!?」
ふざけるな。それはこっちのセリフだ。
お仕置きだの躾だのと言って、いつもいつも燐に酷い真似ばかりするのは、雪男のほうではないか。
「前は、ぼくがテストでいい点取ったら、ものすごーく誉めてくれたじゃないかあ……。運動会のかけっこで、転んでビリになったって、姉さん、手作りの金メダルをぼくの首にかけてくれて、“おれん中じゃ、いつでも雪男が一等賞だぞ”って……」
「いつの話をしてんだよ!」
「ほらあ。やっぱり冷たいぃー!」
でっかい図体をして、雪男はぐしぐしべそべそ泣きじゃくる。畳にぺったり座り込み、両手で目元をこすって。
その仕草は、遠い昔、いつも燐のあとを追いかけていた、泣き虫で甘ったれの弟そのものだった。
「姉さん。ぼくを置いていかないで……。置いてかないでよぅ……」
「雪男――」
燐はゆっくりと手を伸ばした。
ずれてしまった眼鏡を外し、涙に汚れた雪男の頬をそっと拭ってやる。幼かった日、いつもそうしてやったように。
「どこにも行かねえよ」
こつん、と、おでことおでこをくっつけて。
「どこにも行かない。姉ちゃんはここにいる」
「ほんと……?」
「ほんとだよ。ずーっと、雪男といっしょ」
どうして気づかなかったのだろう。
自分たちは双子の姉弟。どんなに大人びて見えたって、雪男は大事な可愛い弟なのだ。
亡き養父、偉大なる聖騎士・藤本獅郎から、燐の守護者の役目を引き継ぎ、その重すぎる責務をたったひとりで担おうとしている雪男。
いつの間にか燐よりずっと高くなった背丈、広い肩にばかり目を奪われて、つい忘れそうになってしまうけれど。
自分たちは同じ。ふたりぽっちでこの世界に放り出されてしまった子供たち。優しかった父を喪い、声をあげて泣くことすらできずにいる、淋しい、哀しい子供たちなのだ。
「姉さん。姉さん、お願い。ぼくを嫌いにならないで」
雪男はしゃにむに燐にしがみついてきた。まるで迷子の子供がようやく会えた母親にしがみつき、離れまいとするかのように。燐を抱きしめ、肩に額を押しつけて、嗚咽を漏らす。
「ばぁーか。ならねえよ」
燐は優しく、雪男の重みを受けとめた。
「ほんと……?」
「ほんと」
「ほんとに? ほんとに!?」
繰り返される同じ質問に、何度も何度もうなずいてやる。
「ごめんなさい。ごめんなさい、姉さん……。ほんとはぼくだって、姉さんに優しくしたいんだ。でも――でも、どうしても止まんないんだよ……!!」
身体を重ねるたび、雪男は酷く燐を責め苛む。燐はさんざん泣かされ、傷つけられ、気絶するまで苛められる。時にそれは度を超えた暴力に発展してしまうことすらある。
それでも。
――好きだ。好きだ。姉さん、大好きだ……!
熱に浮かされたように同じ言葉を繰り返す雪男を、どうしても拒めない。
「わかってる。ちゃんとわかってっから、心配すんな」
こうやって甘やかしてしまうことは、もしかしたら雪男のためにはならないのかもしれないけれど。
燐は、雪男を抱きしめる手にそっと力を込めた。
そうすると、雪男の体温をさらに近く、しっかりと感じ取ることができる。
――雪男。可愛い雪男。お前、そんなとこは本当になにも変わってないんだな。
お前はおれに、なにしたっていいんだ。
だっておれは、お前から何もかも奪ってしまった。家族も、未来も、夢も、何もかも。おれの弟なんかに生まれなければ、こんなつらい思いをしなくたって良かったのに。
それでもお前が、おれを――こんな魔神の娘を、愛していると言ってくれるなら。
燐を傷つけ、追いつめることでしか、燐の気持ちを確かめられないと雪男が言うのなら、どれほど傷つけられてもかまわない。
雪男に問われるなら、何回でも答える。何回でも、何百回でも、同じ答を。
……好きだよ。
姉ちゃんも、雪男が大好き。
「どこにも行かないで。ずっとここにいて。……だって、ぼく――ぼくには、もう姉さんしかいないんだ……!」
「姉ちゃんもだよ。姉ちゃんにも、雪男しかいない」
世界中から憎まれ、見捨てられた子と。
その子の手以外、何も残されていない子と。
誰からも忘れ去られたような、この古い小さな部屋で、ひっそりといだきあう。ただここだけが、互いの隣だけが、ふたりの居場所だった。
「だから、な。今日はもう布団に入れ、雪男。姉ちゃん、ずっとそばにいてやるから」
「うん……」
ようやく雪男は燐の肩口から顔をあげた。
「コート脱げ。ほら、立てるか?」
「うん」
燐に言われるまま、雪男は大人しく立ち上がる。
ふらつく身体を支えながら、燐はどうにか雪男のコートを脱がしてやった。
が、さすがにパジャマ替わりのTシャツに着替えさせることまでは無理だ。そのまま横倒しにするように、雪男をベッドに入れる。
「姉さん。姉さん――」
それでも雪男は、涙に潤んだ目で燐を見上げ、燐の手を離そうとしなかった。
「お願い。姉さん、ここにいて」
それは幼い日、熱を出して寝込んだ時に、いつもそうやって燐を引き留めようとしたのと同じ声、同じ仕草だ。
「ここにいるよ」
燐はそっと雪男の手を握り返した。
あの頃とは較べものにならないほど、大きく強くなった手。燐を守るために銃を握る手。――けれどまだ、こんなにも燐を必要としてくれる、手。
「姉ちゃん、ずっと雪男と一緒にいるからな。安心しろ」
その言葉に、雪男はようやく幸せそうに微笑み、小さくうなずいた。
そして涙の残るまま、静かに眠りについた。
翌朝。
「あ……た――痛た……。頭が――」
雪男は自分の呻き声で目を覚ました。
頭の芯がずきずき痛む。起きあがろうとしただけで、苦い胃液とともに吐き気がこみ上げてきた。
「う、ぐ……」
どうにも目が開かない。どうしてこんなに体調が悪いのか。
いつも枕元に置いてあるはずの眼鏡を手探りで捜す。が、見つからない。
「あれ……眼鏡、眼鏡――」
普段とは反対側に置かれていた眼鏡を探り当てた瞬間、雪男は昨夜のことをすべて思い出した。
居酒屋での飲み会、シュラに無理強いされた酒。泥酔し、湯ノ川先生と足立先生に寮室まで送り届けてもらったこと。
そして――。
「げ……!」
血の気が引いた。
反射的に室内を見回す。が、燐の姿はなかった。
時計を見ると、午前7時半を回っている。おそらく燐は朝食の準備のため、厨房にいるのだろう。
正直、助かった。昨夜の醜態を思えば、燐に会わせる顔がない。
自分がここまで酒癖が悪いとは思ってもみなかった。泣くわ絡むわ、挙げ句の果てには人前で姉に抱きつき、あんなことやそんなことまで……!
あんなに理性が吹っ飛ぶのなら、せめて記憶も完璧になくなっていてほしかった。
このまま燐には会わず、まっすぐ任務に向かってしまおう。そう思い、雪男はもそもそとベッドから這いだした。
廊下の洗面台で念入りに歯を磨くと、ようやく吐き気が少し治まる。それでも胃は、鉛でも飲み込んだかのように重たい。
昨夜着ていたコートは酒と煙草の臭いが染み付いてしまい、クリーニングに出さなければ、とてもではないが着られない。クロゼットに吊しておいた予備のコートに袖を通し、慌ただしく身支度を整えて、雪男は六〇二号室を出た。
痛む頭を抱えながら一階へ下り、そのままこそこそと玄関へ向かおうとした時。
「こら、雪男! お前、朝飯も食わないで行く気か!」
廊下の突き当たりにある厨房のドアが開いた。おたま片手にエプロン姿の燐が顔を出す。
「あ、ね、姉さん、おはよ……」
「おう。まだ時間あるんだろ? メシできてるぞ」
燐は右手のおたまで、来い来いと雪男を手招きした。
まったく普段通りの燐だ。昨夜のことなどおくびにも出さない。
「ごめん、姉さん。今朝はいいよ。ちょっと食欲が――」
「いーから来い!」
燐に強い口調できっぱり命じられてしまうと、雪男はどうしても逆らえない。我ながら情けないと思うが、子供の頃からの習性が抜けないのだ。
「でもほんとに、今朝はちょっと食べられそうになくて……」
もごもごと言い訳しながら厨房に入った雪男に、燐はそこに座れと、いつもふたりが食卓がわりにしている配膳用テーブルを示した。
「ほら」
雪男の目の前に置かれたのは、湯気を漂わせるみそ汁だった。
ゴボウやにんじん、白菜など、具だくさんのみそ汁。白ごまがふってある。ふわりと立ちのぼるみその良い匂いが、気持ちを落ち着かせてくれるようだ。
「空きっ腹で動くと、よけい気持ち悪くなるぞ。せめてみそ汁だけでも飲んでいけ」
「うん。……ありがとう」
みそとごまの香りに誘われて、雪男は箸を取った。
一口すすると、あったかさがじわっと胸元から胃袋へと落ちていく。昨夜の酒で疲れた体に優しく染み渡っていくようだ。
「旨いか?」
その問いかけに、雪男は素直にうなずいて微笑んだ。
「なんか、ほっとする」
「だろ? 覚えてねえか、それ。親父が飲み過ぎた時によく作ってやってたんだぜ」
「え、そうだったの?」
「ああ。メシは食えなくても、これなら口に入るって言ってな」
火が通って甘みの出た白菜やにんじん、歯ごたえの良いゴボウなどを口に入れると、少しずつ失せた食欲も戻ってくる。そうやって食べ物が入ると、鉛を流し込まれたようだった胃袋もようやく少しずつ動き出し、苦しかったむかつきも治まっていった。
「おかわりは?」
「うん、もらおうかな」
みそ汁のおかわりと、燐はついでに熱い番茶も淹れてくれた。
「昨夜は、ほんとごめん。迷惑かけて」
「謝るんなら、おれじゃなくて湯ノ川先生と足立先生にだろ。ふたりともすっげー汗だくになって、お前をここまで連れてきてくれたんだぞ」
「はい。反省してます」
ぽりぽりと漬け物をかじり、お茶をすすりながら燐は言った。
「ま、おれは気にしてねーから、心配すんな」
「姉さん……」
「けっこう楽しかったぜ。ひさびさに“泣き虫雪男”を見られたしなー」
燐はにかっと、心底楽しそうに笑った。
「お前ってさー、昔からいつもああだったよな。風邪とかひいて熱出すと、急に甘えんぼになっちまって、ひとりじゃ寝てらんなくてさ。“姉さん、姉さん、ここにいて。どっか行っちゃやだー”ってさ。ほんと、可愛かったよなー」
「ね、姉さん。その話はもう……」
「なんだよー、可愛いって言ってんじゃんか。昨夜だってお前、びーびー泣いちまって、“ねーさん、ごめんなさい、ごめんなさい”ってよー! いつもあんなに素直に謝ってくれるなら、おれだって別に怒りゃしねえのによー」
「もう……もう、勘弁してクダサイ……」
みそ汁の椀にすがりつき、雪男は呻くように言った。
恥ずかしいなんてもんじゃない。身の置き所がない。顔をあげることもできない。こんな羞恥プレイをされるくらいなら、頭ごなしに怒鳴りつけられたほうがまだましだ。
「ごちそうさま。ぼく、そろそろ仕事に行かないと――」
雪男は顔を伏せたまま、席を立った。これ以上聞いていたら、どんな話を持ち出されるかわからない。
「おう。気ぃつけて行ってこいよ」
ご機嫌の笑顔で、燐は手を振った。
「今夜は早く帰れるんだろ?」
「ん、まあ……。急な任務が飛び込んでこなければね」
「早く帰ってこいよ。昨夜流れちまった、すき焼きやるからな」
「――うん」
燐が待っていてくれる。そう思うと、雪男の胸の芯にぽっとひとつ、明るい灯がともったような気がする。
ここが自分の戻る場所。姉さんのそばが、世界でたったひとつ、ぼくの居る場所なんだ。
「で、どうする? 晩酌も用意しとくか?」
「……いりません――」
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そのうち、燐編(未公開、R18)と合わせてコピー誌にでもまとめようかなあ。
帰ってきたヨッパライ その2
「おッ、おまッ、は、離せ! 離せ、尻尾!」
「やだ。離したら姉さん、どっか行っちゃうじゃないかあ!」
「どこも行きゃしねえよ! 風呂だ、風呂!」
「やだやだやだ! 姉さん、どこにも行かないで!!」
雪男は容赦なく燐の尻尾を引っ張った。
急所の尻尾をロープのように引っ張られたのでは、たまらない。燐は雪男の腕の中へもんどり打って倒れ込んだ。
「なにすんだ、雪男!」
「だって姉さん……姉さんが――」
酔っ払いの弟は、今度はぐすぐすべそをかき始める。
「だぁあ、泣くな! お前、いったい幾つだ!」
「姉さんと同い歳」
「んなこたぁわァってるよ! ヒトの尻尾でハナ拭くなー!」
「うええええん、姉さんが冷たいぃ!!」
とうとう雪男は、赤ん坊みたいに手放しで泣きじゃくり出した。それでも燐の尻尾は離さないが。
「姉さん、どうしてそんな意地悪ばっかりするんだよぅ……」
「はああっ!?」
ふざけるな。それはこっちのセリフだ。
お仕置きだの躾だのと言って、いつもいつも燐に酷い真似ばかりするのは、雪男のほうではないか。
「前は、ぼくがテストでいい点取ったら、ものすごーく誉めてくれたじゃないかあ……。運動会のかけっこで、転んでビリになったって、姉さん、手作りの金メダルをぼくの首にかけてくれて、“おれん中じゃ、いつでも雪男が一等賞だぞ”って……」
「いつの話をしてんだよ!」
「ほらあ。やっぱり冷たいぃー!」
でっかい図体をして、雪男はぐしぐしべそべそ泣きじゃくる。畳にぺったり座り込み、両手で目元をこすって。
その仕草は、遠い昔、いつも燐のあとを追いかけていた、泣き虫で甘ったれの弟そのものだった。
「姉さん。ぼくを置いていかないで……。置いてかないでよぅ……」
「雪男――」
燐はゆっくりと手を伸ばした。
ずれてしまった眼鏡を外し、涙に汚れた雪男の頬をそっと拭ってやる。幼かった日、いつもそうしてやったように。
「どこにも行かねえよ」
こつん、と、おでことおでこをくっつけて。
「どこにも行かない。姉ちゃんはここにいる」
「ほんと……?」
「ほんとだよ。ずーっと、雪男といっしょ」
どうして気づかなかったのだろう。
自分たちは双子の姉弟。どんなに大人びて見えたって、雪男は大事な可愛い弟なのだ。
亡き養父、偉大なる聖騎士・藤本獅郎から、燐の守護者の役目を引き継ぎ、その重すぎる責務をたったひとりで担おうとしている雪男。
いつの間にか燐よりずっと高くなった背丈、広い肩にばかり目を奪われて、つい忘れそうになってしまうけれど。
自分たちは同じ。ふたりぽっちでこの世界に放り出されてしまった子供たち。優しかった父を喪い、声をあげて泣くことすらできずにいる、淋しい、哀しい子供たちなのだ。
「姉さん。姉さん、お願い。ぼくを嫌いにならないで」
雪男はしゃにむに燐にしがみついてきた。まるで迷子の子供がようやく会えた母親にしがみつき、離れまいとするかのように。燐を抱きしめ、肩に額を押しつけて、嗚咽を漏らす。
「ばぁーか。ならねえよ」
燐は優しく、雪男の重みを受けとめた。
「ほんと……?」
「ほんと」
「ほんとに? ほんとに!?」
繰り返される同じ質問に、何度も何度もうなずいてやる。
「ごめんなさい。ごめんなさい、姉さん……。ほんとはぼくだって、姉さんに優しくしたいんだ。でも――でも、どうしても止まんないんだよ……!!」
身体を重ねるたび、雪男は酷く燐を責め苛む。燐はさんざん泣かされ、傷つけられ、気絶するまで苛められる。時にそれは度を超えた暴力に発展してしまうことすらある。
それでも。
――好きだ。好きだ。姉さん、大好きだ……!
熱に浮かされたように同じ言葉を繰り返す雪男を、どうしても拒めない。
「わかってる。ちゃんとわかってっから、心配すんな」
こうやって甘やかしてしまうことは、もしかしたら雪男のためにはならないのかもしれないけれど。
燐は、雪男を抱きしめる手にそっと力を込めた。
そうすると、雪男の体温をさらに近く、しっかりと感じ取ることができる。
――雪男。可愛い雪男。お前、そんなとこは本当になにも変わってないんだな。
お前はおれに、なにしたっていいんだ。
だっておれは、お前から何もかも奪ってしまった。家族も、未来も、夢も、何もかも。おれの弟なんかに生まれなければ、こんなつらい思いをしなくたって良かったのに。
それでもお前が、おれを――こんな魔神の娘を、愛していると言ってくれるなら。
燐を傷つけ、追いつめることでしか、燐の気持ちを確かめられないと雪男が言うのなら、どれほど傷つけられてもかまわない。
雪男に問われるなら、何回でも答える。何回でも、何百回でも、同じ答を。
……好きだよ。
姉ちゃんも、雪男が大好き。
「どこにも行かないで。ずっとここにいて。……だって、ぼく――ぼくには、もう姉さんしかいないんだ……!」
「姉ちゃんもだよ。姉ちゃんにも、雪男しかいない」
世界中から憎まれ、見捨てられた子と。
その子の手以外、何も残されていない子と。
誰からも忘れ去られたような、この古い小さな部屋で、ひっそりといだきあう。ただここだけが、互いの隣だけが、ふたりの居場所だった。
「だから、な。今日はもう布団に入れ、雪男。姉ちゃん、ずっとそばにいてやるから」
「うん……」
ようやく雪男は燐の肩口から顔をあげた。
「コート脱げ。ほら、立てるか?」
「うん」
燐に言われるまま、雪男は大人しく立ち上がる。
ふらつく身体を支えながら、燐はどうにか雪男のコートを脱がしてやった。
が、さすがにパジャマ替わりのTシャツに着替えさせることまでは無理だ。そのまま横倒しにするように、雪男をベッドに入れる。
「姉さん。姉さん――」
それでも雪男は、涙に潤んだ目で燐を見上げ、燐の手を離そうとしなかった。
「お願い。姉さん、ここにいて」
それは幼い日、熱を出して寝込んだ時に、いつもそうやって燐を引き留めようとしたのと同じ声、同じ仕草だ。
「ここにいるよ」
燐はそっと雪男の手を握り返した。
あの頃とは較べものにならないほど、大きく強くなった手。燐を守るために銃を握る手。――けれどまだ、こんなにも燐を必要としてくれる、手。
「姉ちゃん、ずっと雪男と一緒にいるからな。安心しろ」
その言葉に、雪男はようやく幸せそうに微笑み、小さくうなずいた。
そして涙の残るまま、静かに眠りについた。
翌朝。
「あ……た――痛た……。頭が――」
雪男は自分の呻き声で目を覚ました。
頭の芯がずきずき痛む。起きあがろうとしただけで、苦い胃液とともに吐き気がこみ上げてきた。
「う、ぐ……」
どうにも目が開かない。どうしてこんなに体調が悪いのか。
いつも枕元に置いてあるはずの眼鏡を手探りで捜す。が、見つからない。
「あれ……眼鏡、眼鏡――」
普段とは反対側に置かれていた眼鏡を探り当てた瞬間、雪男は昨夜のことをすべて思い出した。
居酒屋での飲み会、シュラに無理強いされた酒。泥酔し、湯ノ川先生と足立先生に寮室まで送り届けてもらったこと。
そして――。
「げ……!」
血の気が引いた。
反射的に室内を見回す。が、燐の姿はなかった。
時計を見ると、午前7時半を回っている。おそらく燐は朝食の準備のため、厨房にいるのだろう。
正直、助かった。昨夜の醜態を思えば、燐に会わせる顔がない。
自分がここまで酒癖が悪いとは思ってもみなかった。泣くわ絡むわ、挙げ句の果てには人前で姉に抱きつき、あんなことやそんなことまで……!
あんなに理性が吹っ飛ぶのなら、せめて記憶も完璧になくなっていてほしかった。
このまま燐には会わず、まっすぐ任務に向かってしまおう。そう思い、雪男はもそもそとベッドから這いだした。
廊下の洗面台で念入りに歯を磨くと、ようやく吐き気が少し治まる。それでも胃は、鉛でも飲み込んだかのように重たい。
昨夜着ていたコートは酒と煙草の臭いが染み付いてしまい、クリーニングに出さなければ、とてもではないが着られない。クロゼットに吊しておいた予備のコートに袖を通し、慌ただしく身支度を整えて、雪男は六〇二号室を出た。
痛む頭を抱えながら一階へ下り、そのままこそこそと玄関へ向かおうとした時。
「こら、雪男! お前、朝飯も食わないで行く気か!」
廊下の突き当たりにある厨房のドアが開いた。おたま片手にエプロン姿の燐が顔を出す。
「あ、ね、姉さん、おはよ……」
「おう。まだ時間あるんだろ? メシできてるぞ」
燐は右手のおたまで、来い来いと雪男を手招きした。
まったく普段通りの燐だ。昨夜のことなどおくびにも出さない。
「ごめん、姉さん。今朝はいいよ。ちょっと食欲が――」
「いーから来い!」
燐に強い口調できっぱり命じられてしまうと、雪男はどうしても逆らえない。我ながら情けないと思うが、子供の頃からの習性が抜けないのだ。
「でもほんとに、今朝はちょっと食べられそうになくて……」
もごもごと言い訳しながら厨房に入った雪男に、燐はそこに座れと、いつもふたりが食卓がわりにしている配膳用テーブルを示した。
「ほら」
雪男の目の前に置かれたのは、湯気を漂わせるみそ汁だった。
ゴボウやにんじん、白菜など、具だくさんのみそ汁。白ごまがふってある。ふわりと立ちのぼるみその良い匂いが、気持ちを落ち着かせてくれるようだ。
「空きっ腹で動くと、よけい気持ち悪くなるぞ。せめてみそ汁だけでも飲んでいけ」
「うん。……ありがとう」
みそとごまの香りに誘われて、雪男は箸を取った。
一口すすると、あったかさがじわっと胸元から胃袋へと落ちていく。昨夜の酒で疲れた体に優しく染み渡っていくようだ。
「旨いか?」
その問いかけに、雪男は素直にうなずいて微笑んだ。
「なんか、ほっとする」
「だろ? 覚えてねえか、それ。親父が飲み過ぎた時によく作ってやってたんだぜ」
「え、そうだったの?」
「ああ。メシは食えなくても、これなら口に入るって言ってな」
火が通って甘みの出た白菜やにんじん、歯ごたえの良いゴボウなどを口に入れると、少しずつ失せた食欲も戻ってくる。そうやって食べ物が入ると、鉛を流し込まれたようだった胃袋もようやく少しずつ動き出し、苦しかったむかつきも治まっていった。
「おかわりは?」
「うん、もらおうかな」
みそ汁のおかわりと、燐はついでに熱い番茶も淹れてくれた。
「昨夜は、ほんとごめん。迷惑かけて」
「謝るんなら、おれじゃなくて湯ノ川先生と足立先生にだろ。ふたりともすっげー汗だくになって、お前をここまで連れてきてくれたんだぞ」
「はい。反省してます」
ぽりぽりと漬け物をかじり、お茶をすすりながら燐は言った。
「ま、おれは気にしてねーから、心配すんな」
「姉さん……」
「けっこう楽しかったぜ。ひさびさに“泣き虫雪男”を見られたしなー」
燐はにかっと、心底楽しそうに笑った。
「お前ってさー、昔からいつもああだったよな。風邪とかひいて熱出すと、急に甘えんぼになっちまって、ひとりじゃ寝てらんなくてさ。“姉さん、姉さん、ここにいて。どっか行っちゃやだー”ってさ。ほんと、可愛かったよなー」
「ね、姉さん。その話はもう……」
「なんだよー、可愛いって言ってんじゃんか。昨夜だってお前、びーびー泣いちまって、“ねーさん、ごめんなさい、ごめんなさい”ってよー! いつもあんなに素直に謝ってくれるなら、おれだって別に怒りゃしねえのによー」
「もう……もう、勘弁してクダサイ……」
みそ汁の椀にすがりつき、雪男は呻くように言った。
恥ずかしいなんてもんじゃない。身の置き所がない。顔をあげることもできない。こんな羞恥プレイをされるくらいなら、頭ごなしに怒鳴りつけられたほうがまだましだ。
「ごちそうさま。ぼく、そろそろ仕事に行かないと――」
雪男は顔を伏せたまま、席を立った。これ以上聞いていたら、どんな話を持ち出されるかわからない。
「おう。気ぃつけて行ってこいよ」
ご機嫌の笑顔で、燐は手を振った。
「今夜は早く帰れるんだろ?」
「ん、まあ……。急な任務が飛び込んでこなければね」
「早く帰ってこいよ。昨夜流れちまった、すき焼きやるからな」
「――うん」
燐が待っていてくれる。そう思うと、雪男の胸の芯にぽっとひとつ、明るい灯がともったような気がする。
ここが自分の戻る場所。姉さんのそばが、世界でたったひとつ、ぼくの居る場所なんだ。
「で、どうする? 晩酌も用意しとくか?」
「……いりません――」
お気に召しましたら、ぽちっとクリックお願いいたします。
そのうち、燐編(未公開、R18)と合わせてコピー誌にでもまとめようかなあ。
帰ってきたヨッパライ 前編
りんねーちゃんと雪男くんのお話。
帰ってきたヨッパライ その1
「雪男のヤツ、遅えなあ……」
携帯電話で時刻をたしかめ、燐は今日何度目かのつぶやきをもらした。
明滅するデジタル数字は、すでに日付が変わったことを示している。
正十字学園旧男子寮、六〇二号室。
雪男とふたりで使っているこの部屋は、けして余裕があるわけではないけれど、今はやけに広く感じられる。
足元では猫又のクロが、たっぷり餌をもらってご満悦、尻尾を丸めて気持ちよさそうに眠っている。
「雪男の、莫迦。今日は早く帰ってくるって言ってたのに」
今日、正十字マートは三日前から楽しみにしていた月末恒例大処分市セールだった。
正十字学園町は巨大な学校を中心とした学園都市だ。寮生活をしながら学ぶ多く学生たちを支えるため、学園の敷地内にさまざまな商業施設も併設されている。校内の購買施設という括りには収まりきれない、大規模な店舗などもあるのだ。
そして燐は、そういった学校敷地内の施設ならば、監視役である雪男かシュラに一言断れば、自由に出かけて良いことになっている。
中でも正十字マートは燐のお気に入り、生鮮食料品がいつでも安い庶民の味方のスーパーマーケットだ。
なにせ燐は、月々わずか二千円の乏しい小遣いで生活しなければならない。日々の食費その他の経費は必然的に、すでに祓魔師として報酬を得ている雪男に頼らざるを得なかった。
中一級祓魔師、対悪魔薬学の天才、竜騎士のホープなどと言われていても、雪男だってまだ若い。その懐具合はけして潤沢とは言い難い。
毎月ぎりぎりの家計の中で、いかに栄養のバランスが良く美味しい食事を用意してやれるか。そこが燐の腕の見せどころだ。
夕方五時を過ぎてから始まる、生鮮食料品の投げ売りワゴンセール。燐はここぞとばかりに食材を買い込んだ。すかすかだった冷蔵庫には久しぶりに食材がぎゅうぎゅう詰めになり、いつもは肉より豆腐やシラタキばかりが幅を利かせるすき焼きも、今夜だけはお肉が主役。明日のおかずにさわらの切り身も西京味噌の中で眠っている。
なのに。
『ごめん、姉さん。急に祓魔塾の飲み会が入っちゃった』
すき焼きの下ごしらえに取り掛かっていた燐の携帯に、雪男からのメールが届いた。
『あんまり遅くならないつもりだけど、先に夕食は済ませていいよ』
なんて。
ばかやろう、ばかやろう、雪男のばかやろう。
せっかくのすき焼きだって、ひとりで食べるんじゃ味気ない。雪男が喜んでくれるだろうと思ったから、奮発してちょっと高い肉にしたのに。
さいわい、肉も野菜も切っただけで、まだ火は通していない。これなら冷蔵庫であと一日保存しておいても、大丈夫。
すき焼きの材料はラップをかけて冷蔵庫にしまい込み、燐は自分の分だけ適当にうどんを作って夕食を済ませた。このうどんだってもともとは、すき焼きのシメにうどんを入れて食べるのが好きな雪男のために用意しておいたものだ。足元ににゃーにゃーまとわりつくクロには、よーく冷ましたお麩と半熟タマゴをおすそ分け。
ひとりと一匹の夕食が終わり、厨房の片づけが済んでも、雪男はまだ帰ってこなかった。
現役祓魔師として正十字騎士團の第一線で活躍し、祓魔塾の講師も勤めている雪男は、騎士團内のこうした付き合いも避けて通ることはできない。
「そうは言っても、ぼくが飲めないことは他の先生たちもみんな知ってるし。適当なところで抜けてくるよ」
いつもはその言葉どおり、日付が変わる前にはちゃんと燐の待つこの寮室へ戻ってきていたのだ。
酒の飲めない雪男が、呑兵衛どもに囲まれる酒の席では、たとえどんな料理が出されたってろくに食べた気にもなれないだろう。そう思って、夜食も用意した。甘塩のシャケをこんがり焼いてほぐして、だし汁も用意して。三分もあれば、熱々さらさら特製シャケ茶漬けを出してやれる。
なのに。
雪男がいない六〇二号室は、やけに静かで空気が冷たい。
「ばぁーか……。雪男の莫迦。これ以上待っててなんか、やんねーぞ。明日だってあるんだし、もうおれは寝ちまうかんな」
聞く人もなく、燐はぽそぽそとつぶやいた。
そのくせ、学習机に向かったきり、椅子から立ち上がることさえせずに、ただぼんやりと携帯のデジタル表示が移り変わっていくさまだけを眺めている。この部屋の中でだけは隠す必要のない尻尾が、淋しげにぱたり、ぱたりと揺れていた。
その時。
「ごめんなさぁーい! ねえさん、ただいまぁー!」
いきなり大きな声がした。
六〇二号室の扉が開く。
そして雪男が、左右を祓魔塾の講師仲間に支えられながら、部屋へ入ってきた。
「えっ!? ゆ、雪男!?」
見慣れた祓魔師の黒いロングコートに包まれた長身が、どさっと床の上に倒れ込んでくる。雪男はそのまま尻餅をつくように、壁に寄りかかって座り込んでしまった。
「雪男、おま……どーしたんだよ!」
「あー、ねぇさん、ごめんねえ……。なんか、もう、ぼく……酔っ払ってまぁす……」
雪男は燐を見上げて、へろへろと手を振った。
呂律が回っていない。男にしては色白な雪男のほほが、うっすら赤く染まっている。燐を見上げて嬉しそうな、やたらしまりのない笑顔。
「悪い、奥村くん。こんなつもりじゃなかったんだけど」
玄関の外では、ここまで雪男を支えていてくれた湯ノ川先生と足立先生が、申し訳なさそうな顔で立っていた。
「奥村先生が飲めないってのはみんな承知してるし、飲ませる気なんかなかったんだよ。でも、ちょっと目を離したすきに、霧隠先生が……」
湯ノ川先生がちらっと視線で示した先には、もうひとり、ぐでんぐでんの酔っ払いがいた。
「やほおお、りーん、元気かぁー!?」
やたらと上機嫌なシュラは、廊下にべったり座り込み、それでもビールのロング缶を手放していない。
だいたいの事情はそれだけでわかった。
飲んでもまだ理性を保っていた湯ノ川先生と足立先生が、飲み会でつぶれてしまった雪男を支え、雪男が持っているこの旧男子寮に直結する鍵を使って連れて帰ってきてくれたのだろう。で、雪男を送り届けるあいだ、もうひとりの酔っ払いをそのへんの路上に放置しておくわけにもいかず、どうにかここまで一緒に引きずってきた、というわけだ。
おそらくシュラは、まだなんとか自分で歩けるのだろう。
「ほんと、すまないね」
「いえ、そんな……」
すまないのはむしろこっちだ。身長一八〇cmの雪男は、けして軽くない。
湯ノ川先生は額にべったり汗を浮かべ、肩で息を衝いている。足立先生なんか、薄くなった頭のてっぺんからほかほか湯気をたてていた。
メフィスト・フェレスが作ってくれた鍵は、あくまでこの寮の玄関につながる鍵。建物内部に入ってしまったら、あとは普通に歩いて移動するしかない。しかも取り壊しが決まっていたこの寮で生活するのは雪男と燐のふたりきりなため、電気や水道などのライフラインも、ふたりの生活に最低限必要なものしか用意されていない。当然、廊下はいつも真っ暗、冷暖房なし、エレベーターはあるが動かない。六階のこの部屋まで、階段を上ってくるしかないのだ。
これはもう、ひたすら頭を下げるしかない。
「すいません、大変だったでしょう。あの、お茶とか……」
「いや、いいよ。これからもうひとり、大虎を送り届けなくちゃいけないから。あ、これ、ここの鍵ね。悪いとは思ったけど、奥村先生のキーホルダーからちょっと抜かせてもらったから」
「はい、預かります。ほんと、ありがとうございました」
とにかく、部屋の入り口で座り込んでしまった雪男をどうにかしなければ、ドアも閉められない。
「ほら、雪男、起きろ! 立てよ、こんなとこで寝るんじゃねーっての!」
燐は雪男の腕をとり、思い切り引っ張った。
悪魔の力を持ってすれば、雪男ひとりくらい、抱え上げられないことはない。
が。
「もー、重てえっ! なんでお前、こんな重いんだよ!!」
酔っ払いというのは、どうしてこんなに重いのだろう。燐が腕を引っ張ると、雪男の体はそのままずるずると燐の上に覆いかぶさってくる。支えようとしてもやたらぐにゃぐにゃして、まるで軟体動物だ。
「だーもう! 酒臭えっ! あ、こら、靴脱げ、靴! 土足で部屋ん中入るなっての!!」
「手伝おうか、奥村くん……」
年配者らしい足立先生の気遣いは、かえって燐を恐縮させる。
「い、いえ、大丈夫です。おれひとりでなんとかできますから……」
「“オレ”じゃねーだろ、りーん! オンナノコは“アタシ”だ、“アタシ”! ア・タ・ク・シ!」
玄関の外ではシュラが、よけいなことをほざいている。
燐の出生の秘密を知っている祓魔塾の教職員は、正十字学園高等部に在籍する男子学生・奥村 燐が、男ではなく実は少女だということも承知している。
アタシだろうがアタクシだろうが、知るか。今はとにかく、雪男を部屋の中に引っ張り上げて、寝かせてしまわなくては。
燐は雪男の両脇に腕を回し、なんとか抱え上げようとした。
「あー、ねえさぁん……」
雪男はそんな燐に、さらにべったり寄りかかってくる。なにがそんなに楽しいのか、うふ、うふふ、と笑い始めた。
「ねぇさん、きょおもかわいいねえ……」
「はぁ!?」
「わーい、姉さんのほっぺ、すべすべだああ……」
硬い指が、燐のほほをなでる。
する。するするする。すりすりすりすり。
「なっ、なにしてんだ、莫迦っ!!」
燐は耳まで一気に真っ赤になった。
予想もしていなかった弟の行動に、とっさに反応することもできず、思わず硬直してしまう。
燐はそのままバランスを崩し、後ろにどたっと尻餅をついてしまった。べろーっと延びた雪男の身体を抱え込む形になる。
雪男はそれでも燐から離れない。燐をさらにぎゅっと抱きしめ、頬擦りまでし始めた。
「うふふー……。ほーら、すりすりすりー♪」
「莫迦っ!! 莫迦、やめろ、雪男―ッ!!」
「えー、なんでさあ……。いいじゃない、だって姉さん、こんなに可愛いんだもぉん……」
「あほおおッ!!」
のしかかってくる体を乱暴に押しのけようとして、燐は気づいた。
――これって、親父(ジジイ)が酔っ払った時と同じじゃねえかよ!
燐と雪男の養父、今は亡き藤本獅郎神父が、酔っ払うといつもこんな行動をとっていた。
まだ幼かった燐と雪男を両脇にかかえ、「ほーら、おヒゲじょりじょりだじょおー」なぞとほざきながら、無精ひげの浮いた頬を子供たちに擦り付けて喜んでいたのだ。
「とぉさん、いたいよー!」
と、子供たちがはしゃぎながら嫌がると、
「いいだろお! お前たちが可愛いから、こーしてやるんだー!」
なんて、さらに有頂天になっていた。
――この、莫迦。
ジジイと血がつながっているわけでもないのに。なんでこんなヘンなとこだけ似てるんだよ。
燐の胸に、切ない感慨がよぎる……ヒマはなかった。
「莫迦っ! よせ、莫迦! 湯ノ川先生たちが見てるぞ!!」
へばりつくタコと化した雪男を、そのほっぺたを、どうにか押しのけようとする。
玄関先では湯ノ川先生と足立先生が、大人の気遣いで“見てない、見てない”と首を横に振ってくれていた。
――先生! その気遣い、今は返ってイタイですー!!
酔っ払った父親が、4~5歳の我が子を捕まえておひげじょりじょりなら、「あー、藤本神父も子煩悩ですねえ」と生ぬるく見守ってもらえるだけだろう。
だが、こんなでかい図体の若い男が、こともあろうに実の姉にそれをやるとは。
さすがにこれは洒落にならない。
が、ぐでんぐでんの酔っぱらいは、燐の焦りも先生がたの気遣いも、まるでお構いなしだった。
「え……? 湯ノ川先生が?」
「そーだよ! ほら、礼言え! おふたりがお前をここまで連れてきてくれ――」
「なぁに見てるんですかあ、湯ノ川先生。足立先生までぇ!」
雪男は燐を抱きしめたまま、じろりとふたりの先輩講師を見上げた。
「こッ、こら雪男! なに言ってんだ、お前!」
「ダメですよ! そんなとこで見てたって、姉さんは貸してあげませんからね!」
「はあッ!?」
思わず声がでんぐり返る。
「姉さんは、ぼくだけの姉さんですう! ほかの男になんか、絶対触らせませんからね!」
「ゆッ、ゆ、雪男おおッ!!」
一八〇度裏返った声で、燐は絶叫した。
雪男はなおも、うふふ、うふふ、と笑いながら、燐にすり寄る。耳元ですんすん匂いをかいでみたり、髪にしょりしょり頬摺りしてみたり。
しまいには燐の胸元に顔をうずめ、その柔らかな感触を堪能し始めた。
「うわああっ! よせっ! なにやってんだ、お前ええッ!!」
「だあってぇー。気持ちいーんだもぉーん。姉さんだって、ぼくにこうされるの――」
「わーッ! わーッ! わーッ!!」
――言うな! それ以上は絶対言うな! だってそれは、世間一般的に絶対やっちゃいけないことなんだから!!
「おーいー、雪男ぉー! なに、ひとりでイイことやってんだ、お前はぁ!」
玄関の外の廊下で、シュラが声を張り上げた。
「ずるいぞ、お前ばっか! あたしにも燐のおっぱい触らせろー!」
いきなり何を言い出しやがるのか、この雌大トラは!
「男でなけりゃ、燐に触っていいんだろー!? あたしにも燐のAAカップ揉ませろー!!」
「誰がAAカップだ、もうちっとあるよ! ――じゃねえ、シュラ!お前、いってーナニ言い出してんだ! 雪男も、銃なんか抜くんじゃねー!!」
燐は慌てて雪男を羽交い締めにした。現役祓魔師、泥酔して銃乱射。そんな見出しが朝刊の第一面を飾るのだけは、勘弁してほしい。
「燐がいつまでも貧乳なままなのは、いつも揉んでるヤツが下手くそだからじゃねーのかぁ!? なあ、おい、雪男! だからほら、いっぺんあたしにやらせてみろ! すぐにこーゆー胸にしてやるぞー!」
シュラは大迫力のバストを自慢げにゆっさゆっさと揺さぶった。
「駄目! 絶対触らせない! 姉さんの胸は、右も左もどっちもぼくのです!!」
「あほおおッ!! おれの胸はおれのモンだ! 誰のモンでもねー!!」
「姉さんの胸がおっきかろうがちっさかろうが、余計なお世話です!だいたい、でかけりゃいいってもんじゃないでしょう! ぼくはね、このサイズが気に入ってるんですよ! ちょうどぼくの手にすっぽり収まって、感度が良くて――!!」
「だああああッ! 黙れ黙れ黙れーッ!!」
ダメだ。限界だ。これ以上こいつの口を自由にしといたら、いったい何を言い出すかわからない。
「あ、あのっ! 足立先生、湯ノ川先生、もう大丈夫です! あとは、こっちでちゃんと面倒見ますから!」
「あっ、ああ、うん、そうだね! それじゃ任せたよ、奥村くん!」
湯ノ川先生は赤くなったり青くなったり、信号機みたいな顔色で言った。
「足立先生、おいとましましょう! ほら、霧隠先生を職員住宅まで送っていかなけりゃ!」
「そ、そうだった。たしかに、急がなければ終電がなくなる。家じゃ女房が待ってるんだ。ウチの女房は怖い! 魔神よりも怖いぞー!」
燐同様、月面宙返り三回転半ひねりした声で言い訳めいたことを口走りながら、ふたりの講師はあたふたと部屋を出ていった。
「ねっ、ほら、霧隠先生、立ってください!」
「えー、まだ帰りたくなぁーい!」
「いいから、立って!」
「よーし、そんならもう一軒行くぞ、もう一軒!」
暗い廊下に雌虎の遠吠えが響き渡り、やがてどたどたと階段を下りていく足音が聞こえる。
階下で寮の玄関の扉が開き、そして閉まる音を確認し、燐は大きくため息をついた。
「この……莫迦ゆき! 酔っ払い、飲んだくれ! いったい、な、なにを言い出すんだ、お前はっ!!」
もう情けなどかけてやるものか。べったりぐでぐでまとわりついてくる大きな体を、燐はていッとばかりに床へ投げ出した。
雪男の長身がどたーっと畳の上へ倒れ込む。
「姉さぁん、痛いよお……」
「知るかッ!!」
本当に、もう知るか、こんな酔っ払い。
このまま放り出しておけば、雪男はすぐに寝つぶれてしまうだろう。畳の上で一晩眠って風邪を引こうが、祓魔師のロングコートがシワだらけになろうが、それは全部自業自得だ。
「おれはもー、風呂入って寝る!」
燐は怒りとともにそう宣言し、お風呂セットを持って一階にある浴場へ向かおうとした。
が。
「待ってよ、姉さあん!」
「ぎゃーッ!?」
こともあろうに雪男は、燐の最大の弱点である尻尾をむんずとひっつかんだ。
続きます。
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帰ってきたヨッパライ その1
「雪男のヤツ、遅えなあ……」
携帯電話で時刻をたしかめ、燐は今日何度目かのつぶやきをもらした。
明滅するデジタル数字は、すでに日付が変わったことを示している。
正十字学園旧男子寮、六〇二号室。
雪男とふたりで使っているこの部屋は、けして余裕があるわけではないけれど、今はやけに広く感じられる。
足元では猫又のクロが、たっぷり餌をもらってご満悦、尻尾を丸めて気持ちよさそうに眠っている。
「雪男の、莫迦。今日は早く帰ってくるって言ってたのに」
今日、正十字マートは三日前から楽しみにしていた月末恒例大処分市セールだった。
正十字学園町は巨大な学校を中心とした学園都市だ。寮生活をしながら学ぶ多く学生たちを支えるため、学園の敷地内にさまざまな商業施設も併設されている。校内の購買施設という括りには収まりきれない、大規模な店舗などもあるのだ。
そして燐は、そういった学校敷地内の施設ならば、監視役である雪男かシュラに一言断れば、自由に出かけて良いことになっている。
中でも正十字マートは燐のお気に入り、生鮮食料品がいつでも安い庶民の味方のスーパーマーケットだ。
なにせ燐は、月々わずか二千円の乏しい小遣いで生活しなければならない。日々の食費その他の経費は必然的に、すでに祓魔師として報酬を得ている雪男に頼らざるを得なかった。
中一級祓魔師、対悪魔薬学の天才、竜騎士のホープなどと言われていても、雪男だってまだ若い。その懐具合はけして潤沢とは言い難い。
毎月ぎりぎりの家計の中で、いかに栄養のバランスが良く美味しい食事を用意してやれるか。そこが燐の腕の見せどころだ。
夕方五時を過ぎてから始まる、生鮮食料品の投げ売りワゴンセール。燐はここぞとばかりに食材を買い込んだ。すかすかだった冷蔵庫には久しぶりに食材がぎゅうぎゅう詰めになり、いつもは肉より豆腐やシラタキばかりが幅を利かせるすき焼きも、今夜だけはお肉が主役。明日のおかずにさわらの切り身も西京味噌の中で眠っている。
なのに。
『ごめん、姉さん。急に祓魔塾の飲み会が入っちゃった』
すき焼きの下ごしらえに取り掛かっていた燐の携帯に、雪男からのメールが届いた。
『あんまり遅くならないつもりだけど、先に夕食は済ませていいよ』
なんて。
ばかやろう、ばかやろう、雪男のばかやろう。
せっかくのすき焼きだって、ひとりで食べるんじゃ味気ない。雪男が喜んでくれるだろうと思ったから、奮発してちょっと高い肉にしたのに。
さいわい、肉も野菜も切っただけで、まだ火は通していない。これなら冷蔵庫であと一日保存しておいても、大丈夫。
すき焼きの材料はラップをかけて冷蔵庫にしまい込み、燐は自分の分だけ適当にうどんを作って夕食を済ませた。このうどんだってもともとは、すき焼きのシメにうどんを入れて食べるのが好きな雪男のために用意しておいたものだ。足元ににゃーにゃーまとわりつくクロには、よーく冷ましたお麩と半熟タマゴをおすそ分け。
ひとりと一匹の夕食が終わり、厨房の片づけが済んでも、雪男はまだ帰ってこなかった。
現役祓魔師として正十字騎士團の第一線で活躍し、祓魔塾の講師も勤めている雪男は、騎士團内のこうした付き合いも避けて通ることはできない。
「そうは言っても、ぼくが飲めないことは他の先生たちもみんな知ってるし。適当なところで抜けてくるよ」
いつもはその言葉どおり、日付が変わる前にはちゃんと燐の待つこの寮室へ戻ってきていたのだ。
酒の飲めない雪男が、呑兵衛どもに囲まれる酒の席では、たとえどんな料理が出されたってろくに食べた気にもなれないだろう。そう思って、夜食も用意した。甘塩のシャケをこんがり焼いてほぐして、だし汁も用意して。三分もあれば、熱々さらさら特製シャケ茶漬けを出してやれる。
なのに。
雪男がいない六〇二号室は、やけに静かで空気が冷たい。
「ばぁーか……。雪男の莫迦。これ以上待っててなんか、やんねーぞ。明日だってあるんだし、もうおれは寝ちまうかんな」
聞く人もなく、燐はぽそぽそとつぶやいた。
そのくせ、学習机に向かったきり、椅子から立ち上がることさえせずに、ただぼんやりと携帯のデジタル表示が移り変わっていくさまだけを眺めている。この部屋の中でだけは隠す必要のない尻尾が、淋しげにぱたり、ぱたりと揺れていた。
その時。
「ごめんなさぁーい! ねえさん、ただいまぁー!」
いきなり大きな声がした。
六〇二号室の扉が開く。
そして雪男が、左右を祓魔塾の講師仲間に支えられながら、部屋へ入ってきた。
「えっ!? ゆ、雪男!?」
見慣れた祓魔師の黒いロングコートに包まれた長身が、どさっと床の上に倒れ込んでくる。雪男はそのまま尻餅をつくように、壁に寄りかかって座り込んでしまった。
「雪男、おま……どーしたんだよ!」
「あー、ねぇさん、ごめんねえ……。なんか、もう、ぼく……酔っ払ってまぁす……」
雪男は燐を見上げて、へろへろと手を振った。
呂律が回っていない。男にしては色白な雪男のほほが、うっすら赤く染まっている。燐を見上げて嬉しそうな、やたらしまりのない笑顔。
「悪い、奥村くん。こんなつもりじゃなかったんだけど」
玄関の外では、ここまで雪男を支えていてくれた湯ノ川先生と足立先生が、申し訳なさそうな顔で立っていた。
「奥村先生が飲めないってのはみんな承知してるし、飲ませる気なんかなかったんだよ。でも、ちょっと目を離したすきに、霧隠先生が……」
湯ノ川先生がちらっと視線で示した先には、もうひとり、ぐでんぐでんの酔っ払いがいた。
「やほおお、りーん、元気かぁー!?」
やたらと上機嫌なシュラは、廊下にべったり座り込み、それでもビールのロング缶を手放していない。
だいたいの事情はそれだけでわかった。
飲んでもまだ理性を保っていた湯ノ川先生と足立先生が、飲み会でつぶれてしまった雪男を支え、雪男が持っているこの旧男子寮に直結する鍵を使って連れて帰ってきてくれたのだろう。で、雪男を送り届けるあいだ、もうひとりの酔っ払いをそのへんの路上に放置しておくわけにもいかず、どうにかここまで一緒に引きずってきた、というわけだ。
おそらくシュラは、まだなんとか自分で歩けるのだろう。
「ほんと、すまないね」
「いえ、そんな……」
すまないのはむしろこっちだ。身長一八〇cmの雪男は、けして軽くない。
湯ノ川先生は額にべったり汗を浮かべ、肩で息を衝いている。足立先生なんか、薄くなった頭のてっぺんからほかほか湯気をたてていた。
メフィスト・フェレスが作ってくれた鍵は、あくまでこの寮の玄関につながる鍵。建物内部に入ってしまったら、あとは普通に歩いて移動するしかない。しかも取り壊しが決まっていたこの寮で生活するのは雪男と燐のふたりきりなため、電気や水道などのライフラインも、ふたりの生活に最低限必要なものしか用意されていない。当然、廊下はいつも真っ暗、冷暖房なし、エレベーターはあるが動かない。六階のこの部屋まで、階段を上ってくるしかないのだ。
これはもう、ひたすら頭を下げるしかない。
「すいません、大変だったでしょう。あの、お茶とか……」
「いや、いいよ。これからもうひとり、大虎を送り届けなくちゃいけないから。あ、これ、ここの鍵ね。悪いとは思ったけど、奥村先生のキーホルダーからちょっと抜かせてもらったから」
「はい、預かります。ほんと、ありがとうございました」
とにかく、部屋の入り口で座り込んでしまった雪男をどうにかしなければ、ドアも閉められない。
「ほら、雪男、起きろ! 立てよ、こんなとこで寝るんじゃねーっての!」
燐は雪男の腕をとり、思い切り引っ張った。
悪魔の力を持ってすれば、雪男ひとりくらい、抱え上げられないことはない。
が。
「もー、重てえっ! なんでお前、こんな重いんだよ!!」
酔っ払いというのは、どうしてこんなに重いのだろう。燐が腕を引っ張ると、雪男の体はそのままずるずると燐の上に覆いかぶさってくる。支えようとしてもやたらぐにゃぐにゃして、まるで軟体動物だ。
「だーもう! 酒臭えっ! あ、こら、靴脱げ、靴! 土足で部屋ん中入るなっての!!」
「手伝おうか、奥村くん……」
年配者らしい足立先生の気遣いは、かえって燐を恐縮させる。
「い、いえ、大丈夫です。おれひとりでなんとかできますから……」
「“オレ”じゃねーだろ、りーん! オンナノコは“アタシ”だ、“アタシ”! ア・タ・ク・シ!」
玄関の外ではシュラが、よけいなことをほざいている。
燐の出生の秘密を知っている祓魔塾の教職員は、正十字学園高等部に在籍する男子学生・奥村 燐が、男ではなく実は少女だということも承知している。
アタシだろうがアタクシだろうが、知るか。今はとにかく、雪男を部屋の中に引っ張り上げて、寝かせてしまわなくては。
燐は雪男の両脇に腕を回し、なんとか抱え上げようとした。
「あー、ねえさぁん……」
雪男はそんな燐に、さらにべったり寄りかかってくる。なにがそんなに楽しいのか、うふ、うふふ、と笑い始めた。
「ねぇさん、きょおもかわいいねえ……」
「はぁ!?」
「わーい、姉さんのほっぺ、すべすべだああ……」
硬い指が、燐のほほをなでる。
する。するするする。すりすりすりすり。
「なっ、なにしてんだ、莫迦っ!!」
燐は耳まで一気に真っ赤になった。
予想もしていなかった弟の行動に、とっさに反応することもできず、思わず硬直してしまう。
燐はそのままバランスを崩し、後ろにどたっと尻餅をついてしまった。べろーっと延びた雪男の身体を抱え込む形になる。
雪男はそれでも燐から離れない。燐をさらにぎゅっと抱きしめ、頬擦りまでし始めた。
「うふふー……。ほーら、すりすりすりー♪」
「莫迦っ!! 莫迦、やめろ、雪男―ッ!!」
「えー、なんでさあ……。いいじゃない、だって姉さん、こんなに可愛いんだもぉん……」
「あほおおッ!!」
のしかかってくる体を乱暴に押しのけようとして、燐は気づいた。
――これって、親父(ジジイ)が酔っ払った時と同じじゃねえかよ!
燐と雪男の養父、今は亡き藤本獅郎神父が、酔っ払うといつもこんな行動をとっていた。
まだ幼かった燐と雪男を両脇にかかえ、「ほーら、おヒゲじょりじょりだじょおー」なぞとほざきながら、無精ひげの浮いた頬を子供たちに擦り付けて喜んでいたのだ。
「とぉさん、いたいよー!」
と、子供たちがはしゃぎながら嫌がると、
「いいだろお! お前たちが可愛いから、こーしてやるんだー!」
なんて、さらに有頂天になっていた。
――この、莫迦。
ジジイと血がつながっているわけでもないのに。なんでこんなヘンなとこだけ似てるんだよ。
燐の胸に、切ない感慨がよぎる……ヒマはなかった。
「莫迦っ! よせ、莫迦! 湯ノ川先生たちが見てるぞ!!」
へばりつくタコと化した雪男を、そのほっぺたを、どうにか押しのけようとする。
玄関先では湯ノ川先生と足立先生が、大人の気遣いで“見てない、見てない”と首を横に振ってくれていた。
――先生! その気遣い、今は返ってイタイですー!!
酔っ払った父親が、4~5歳の我が子を捕まえておひげじょりじょりなら、「あー、藤本神父も子煩悩ですねえ」と生ぬるく見守ってもらえるだけだろう。
だが、こんなでかい図体の若い男が、こともあろうに実の姉にそれをやるとは。
さすがにこれは洒落にならない。
が、ぐでんぐでんの酔っぱらいは、燐の焦りも先生がたの気遣いも、まるでお構いなしだった。
「え……? 湯ノ川先生が?」
「そーだよ! ほら、礼言え! おふたりがお前をここまで連れてきてくれ――」
「なぁに見てるんですかあ、湯ノ川先生。足立先生までぇ!」
雪男は燐を抱きしめたまま、じろりとふたりの先輩講師を見上げた。
「こッ、こら雪男! なに言ってんだ、お前!」
「ダメですよ! そんなとこで見てたって、姉さんは貸してあげませんからね!」
「はあッ!?」
思わず声がでんぐり返る。
「姉さんは、ぼくだけの姉さんですう! ほかの男になんか、絶対触らせませんからね!」
「ゆッ、ゆ、雪男おおッ!!」
一八〇度裏返った声で、燐は絶叫した。
雪男はなおも、うふふ、うふふ、と笑いながら、燐にすり寄る。耳元ですんすん匂いをかいでみたり、髪にしょりしょり頬摺りしてみたり。
しまいには燐の胸元に顔をうずめ、その柔らかな感触を堪能し始めた。
「うわああっ! よせっ! なにやってんだ、お前ええッ!!」
「だあってぇー。気持ちいーんだもぉーん。姉さんだって、ぼくにこうされるの――」
「わーッ! わーッ! わーッ!!」
――言うな! それ以上は絶対言うな! だってそれは、世間一般的に絶対やっちゃいけないことなんだから!!
「おーいー、雪男ぉー! なに、ひとりでイイことやってんだ、お前はぁ!」
玄関の外の廊下で、シュラが声を張り上げた。
「ずるいぞ、お前ばっか! あたしにも燐のおっぱい触らせろー!」
いきなり何を言い出しやがるのか、この雌大トラは!
「男でなけりゃ、燐に触っていいんだろー!? あたしにも燐のAAカップ揉ませろー!!」
「誰がAAカップだ、もうちっとあるよ! ――じゃねえ、シュラ!お前、いってーナニ言い出してんだ! 雪男も、銃なんか抜くんじゃねー!!」
燐は慌てて雪男を羽交い締めにした。現役祓魔師、泥酔して銃乱射。そんな見出しが朝刊の第一面を飾るのだけは、勘弁してほしい。
「燐がいつまでも貧乳なままなのは、いつも揉んでるヤツが下手くそだからじゃねーのかぁ!? なあ、おい、雪男! だからほら、いっぺんあたしにやらせてみろ! すぐにこーゆー胸にしてやるぞー!」
シュラは大迫力のバストを自慢げにゆっさゆっさと揺さぶった。
「駄目! 絶対触らせない! 姉さんの胸は、右も左もどっちもぼくのです!!」
「あほおおッ!! おれの胸はおれのモンだ! 誰のモンでもねー!!」
「姉さんの胸がおっきかろうがちっさかろうが、余計なお世話です!だいたい、でかけりゃいいってもんじゃないでしょう! ぼくはね、このサイズが気に入ってるんですよ! ちょうどぼくの手にすっぽり収まって、感度が良くて――!!」
「だああああッ! 黙れ黙れ黙れーッ!!」
ダメだ。限界だ。これ以上こいつの口を自由にしといたら、いったい何を言い出すかわからない。
「あ、あのっ! 足立先生、湯ノ川先生、もう大丈夫です! あとは、こっちでちゃんと面倒見ますから!」
「あっ、ああ、うん、そうだね! それじゃ任せたよ、奥村くん!」
湯ノ川先生は赤くなったり青くなったり、信号機みたいな顔色で言った。
「足立先生、おいとましましょう! ほら、霧隠先生を職員住宅まで送っていかなけりゃ!」
「そ、そうだった。たしかに、急がなければ終電がなくなる。家じゃ女房が待ってるんだ。ウチの女房は怖い! 魔神よりも怖いぞー!」
燐同様、月面宙返り三回転半ひねりした声で言い訳めいたことを口走りながら、ふたりの講師はあたふたと部屋を出ていった。
「ねっ、ほら、霧隠先生、立ってください!」
「えー、まだ帰りたくなぁーい!」
「いいから、立って!」
「よーし、そんならもう一軒行くぞ、もう一軒!」
暗い廊下に雌虎の遠吠えが響き渡り、やがてどたどたと階段を下りていく足音が聞こえる。
階下で寮の玄関の扉が開き、そして閉まる音を確認し、燐は大きくため息をついた。
「この……莫迦ゆき! 酔っ払い、飲んだくれ! いったい、な、なにを言い出すんだ、お前はっ!!」
もう情けなどかけてやるものか。べったりぐでぐでまとわりついてくる大きな体を、燐はていッとばかりに床へ投げ出した。
雪男の長身がどたーっと畳の上へ倒れ込む。
「姉さぁん、痛いよお……」
「知るかッ!!」
本当に、もう知るか、こんな酔っ払い。
このまま放り出しておけば、雪男はすぐに寝つぶれてしまうだろう。畳の上で一晩眠って風邪を引こうが、祓魔師のロングコートがシワだらけになろうが、それは全部自業自得だ。
「おれはもー、風呂入って寝る!」
燐は怒りとともにそう宣言し、お風呂セットを持って一階にある浴場へ向かおうとした。
が。
「待ってよ、姉さあん!」
「ぎゃーッ!?」
こともあろうに雪男は、燐の最大の弱点である尻尾をむんずとひっつかんだ。
続きます。
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