嫉妬

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この子(マール)のように素直に感情を表現できていれば、
もっと生きやすい人生になったのかな?

マールと暮らしていて、こんなことをよく思っていました。

マールは、ものすごーくやきもち焼きなワンコでした。
「やきもち」などという可愛らしい言葉では表現しきれないほど、
嫉妬心と独占欲の強い子でした。

その感情の表現方法が、あまりにも直情的で、
その怒りを、私に対してではなく、相手のワンコに向ける様子を見ていて、
犬でありながら、女そのものを感じさせました。

ほんの一瞬グッと堪えた後、
すぐに我を忘れるほどの激しい怒りを爆発させる。
唸る、吠える、威嚇する、噛みつこうとする。
こんな状況になるので、迂闊に余所のワンコに近寄ることができませんでした。

余所のワンコに触れたり抱っこすることはもちろんNG、
微笑みかけたり、目線を投げかけるだけでも許せなかったようで、
マールと一緒にいる時は、極力余所のワンコを見ないように気を配っていました。

そのくせ、本犬はたくさんの人に愛されたがって、
割と誰彼構わずすり寄って、抱っこや撫で撫でを要求して甘えるという、
何とも自分勝手な愛されたがりワンコでした。

嫉妬で怒り狂うマールを見る度に、
これほどの強い感情を、何の躊躇いもなくぶつけることができるマールを、
少し羨ましいと思っていました。
私には出来ないことだと思っていました。

過去の私自身を思い返してみると、
私は、嫉妬心が込み上げて来た時は、
その場から物理的に逃げることしかしてきませんでした。
相手からだけではなく、自分の中の嫉妬心とか独占欲とか執着心からも逃げたくて、
そんな感情を抱いている私の無様で見苦しい姿を見せたくなくて、
そんな醜い姿を無防備に曝け出して、拒絶されることの方が怖くて、
その場からまるごと姿を消して、結果的には相手を混乱させていたようでした。

逆に相手から嫉妬心を向けられた時も、逃げていたように思います。
こういう時は、物理的に逃げることは難しかったけれど、心がその場を逃避していました。
結局、どちらの場合でも、真正面から向き合うことはしてきませんでした。

マールの嫉妬は、とてもストレートで、ある意味クリーンとも言えるように感じていたけれど、人間から向けられる嫉妬心は、もっとドロドロしていて、怒りの中に、悲しみとか弱さとか、独占欲の中の縋ろうとする感情が混ざっていて、何か策略的なものを感じて、向けられたこちらの気持ちまで、ドロドロと濁ってくるようで、お腹の底に嫌悪感が溜まるように感じていました。

今更「もしも」「かもしれない」なんて言っても何の意味もないけれど、
マールのように、素直に感情を見せることができていれば、
逃げずに向き合っていたら、私は何処でどんな暮らしをしていたのかな。

日々見つめていたマールの生き様は、
私にとっては、ひとつの理想の姿でもあったように思います。
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片付けられないクリスマスツリー

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2021年12月24日未明
クリスマスイブに逝ったマール。

あの日から、クリスマスは私の中でそれまでとは異なる特別な日、特別なシーズンになった。
最愛のマールが逝った日、私の世界が時を止めた日。

2021年は、クリスマスが過ぎて、流れ作業でクリスマスツリーやデコレーションを片付けたのに、2022年は、なぜか未だにクリスマスツリーが飾られている。片付けられない。そうしている理由が自分でも分からなかった。12月中は、単純に片付けることが面倒くさいと思っているだけだと思っていた。どうせ喪中だから正月もあまり関係ないしいいかという程度だと。年が明けて、心の片隅では、そろそろ片付けないといけないと思っているのに、なぜか手を付けることができない。手を伸ばそうとすると、何となく不安が過る。電飾の電池もとうに切れているのに。ツリーの天辺の星にわざとらしさを感じているのに。

どうしてなのだろう?どうして、私はコレを片付けることが出来ないのだろうと考えてみた。
多分、私は、あの日を繋ぎ止めておきたいのだろう。あの日、息を引き取る直前のマール、息を引き取った後のマールの体が、まだ温かいまま私の腕の中に居たあの日。
クリスマスツリーを片付けてしまうと、あの日から時間が進んでしまうような気がする。2021年にクリスマスツリーを片付けた後の「何も無い」「無くなってしまった」という、やり場のない、どうしようもない喪失感を憶えている。絶望の中で過ごした一年が、また始まるような気がしているのだと思う。マールが逝った後の時間が進んでしまうことを怖いと思っている。多分、そういうことなのだと思う。
マールはとうに逝ってしまって居ないのに、なぜこんな風に思うのだろう?
多分、クリスマスツリーが、私の中でマールが居た最後の時間のシンボルになっている。

現実の時間はちゃんと進んでいて、それなりに生活してきたはずなのに、あの日だけは、魔法がかかっているらしい。魔法が解けないのは、多分、私が、それを受け入れているからだと思う。マールに囚われることを、苦しくて悲しいけれど甘くて幸せな、時間の麻薬のように感じているのかもしれない。

昨年は、桜が咲く頃、自然に外の空気を感じたいと思うようになったから、きっと今年も、春になる頃にはクリスマスツリーを片付けて、部屋の季節を整えたいと思う時が来ると思う。
きっと来る。

だから、今はこれで良い。
マール、まだあなたに甘えていたい。
許してね。
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グルメなワンコは幸せだったのでしょうか?

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マールは、犬としては比較的グルメな方だったと思う。
グルメなだけではなく、多分頑固でもあったと思う。

私が引き取った初日から、元々食べていたはずのドッグフードには、ほとんど口を付けなかった。
空腹になれば自然と食べるようになるというアドバイスに従ってみたけれど、そんなアドバイスは無駄とばかりに食べてくれず、成長期だというのに着々とやせ細っていくという恐ろしい現象に慄いた。
手を変え品を変え、最終的には手作り食にしたものの、最初の頃は、肉に野菜の味が混ざるのはお好みではなかった様子で匂いを嗅いだだけで皿から離れる。逆に野菜には肉の香りが付いていないと食べなかったり、好きなはずのキュウリ等の果菜は新鮮でなければ口に入れてもそのままペッと吐き出した。
食欲よりも甘えたい気持ちの方が強かったようで、食事中は私が真横に寄り添って、時々は口移しで食べさせるくらいにしないと食べることを止めてしまう。
3才頃まではこんな感じで、1回の食事量も少なく、体重に対する適量を出しても、本犬が満足(腹?)すると、皿に残っていても食事を止めてしまう。そのくせして、パピー時代に時々口移しで食べさせた影響なのか、私が口にしている物を欲しがる。こんな状態だったので、おやつも1日の食事量の一部として考えながら与えていた。
いつもいつも食べさせる苦労が付きまとっていた。
それなのに、入院した時は病院で与えられるドッグフードをガツガツと食べていたようで、毎回報告を受ける度に不思議に思っていた。

月日を経て、いつの間にか食いしん坊になった頃には、食べさせる苦労の日々とのギャップに呆れていたものの、味覚のこだわりについては、生涯大きな変化は無かった。

肉と卵、チーズ、鰹節、豆腐が好き、牛乳は好きだけれどヤギミルクや豆乳は嫌い、果菜は鮮度重視、酸味が苦手、苺は新鮮な甘い品種の真ん中の一番甘い部分だけ。
好ましくないものには、一瞬口を付けてもすぐにそっぽを向く。口に含んでもすぐに吐き出す。
大好きだったバニラアイスクリームは、鎌倉のジェラートショップで一流品の味を知って以来、その辺で売っているソフトクリーム等は見向きもしなくなった。

犬の味覚はヒト程には発達していないはずなのに、なぜこんなにこだわりが強くて頑固なのか不思議だった。飼い主に似たのだと言われれば、返す言葉も無いのだけれど。

こだわりが強いことは、あまり幸せなことではないと思っている。
どうしても、生きる選択肢が減ってしまう。

常にこだわりが満たされる環境に居続ければ、多分、いつしか麻痺して、その環境から出られなくなるだろうし、満たされなければ、いつまでも渇望とストレスが消えない。
特に民族総平均化志向が強いこの国では、上手く突き抜けられるか、居場所を見つけられないと、苦しいことの方が多いように思う。

十分ではなかったけれど、可能な範囲で、マールにとって嬉しい環境を作っていたつもりだったけれど、本犬はどう感じていたのかな。

マール、
マールちゃん、
ヒトの子供のようなワンコだったマールちゃん、
あなたは幸せでしたか?
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神も仏も霊感も

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神社仏閣で有名な町に住んでいるけれど、
私は信心深い方では無い。

信心深い処か、神様という存在をあまり信じていない。
信じていないというより、期待していない、
と言った方が正しいかもしれない。

マールの生前は、
ワンコの散歩OKのお寺さんへ足繫く通っていたが、
神社仏閣の静謐な佇まいと伝統美が好きなので、
快適な散歩コースとして通っていただけで、
殊勝な心がけで参拝に通っていたわけでは無かった。

マールが骨折した時に、
毎日のように近所のお寺さんに通っては、無事完治することを願ったけれど、
退院してすぐに再骨折した時、願い事は、もう神には祈らないと決めた。

そもそも宗教というものは、
生きている人間の自己満足のために存在していると思っている。
死後の世界はあるのかもしれないし、
輪廻転生があっても不思議ではないと思う。
人非ざる次元の存在も居るのかもしれないけれど、
人間の欲望に都合よく応えてくれたり、
罰を与える「神」という存在には違和感を覚える。

そんな私だけれど、どうやら霊感が強いらしい。スピリチュアル系の人達に必ず言われる。
霊が視えることも、声や音が聴こえることもないし、視たくないし聴きたくない。
私に霊感が強いと指摘した人にそう答えたら、霊感には種類があると説明された。
「霊視」「霊聴」「霊知」「霊感」
この4つの中の「霊知」と「霊感」がズバ抜けて強いそう。
時々見る不思議な夢は、その力が見せているものなのだと言われた。
相手を見透かすような勘の良さも、そういうことらしいけれど、
それで損をしたことはあっても、得をすることはあまり無いので、
指摘されても「そうですか」というだけなのだけれど。

霊感が強いなら、マールが死んだ後、幽霊でも幻でもいいから、
マールの姿を見て感じて、声が聴きたい、
とは全く思わなかったし、今も思っていない。

この世界での生を終えたマールは、
もう今までと同じように共に生活できないし、
存在していないという紛れもない事実が目の前にあることを否定する意味も無い。

私に霊感が強いと指摘した人は、
私には龍神のような高次の存在が、守護霊のようについているとも言った。

マールが死んだ時、周囲の人たちは、
マールは今もこれからも、私の傍らにきっと居てくれると言った。

けれど、こういう考え方は、正直気持ち悪いし、少し怖いと思う。
まぁ、マールならかなり許容できるけれど、
夏に逝った父も居たら、すごく嫌。

なぜかというと、
私には、どれだけ身近な存在であっても、
見られたくないものや、知られたくないことがあるので、
そういうアレコレが明け透けになってしまうことは、
例え死者であっても、すごく嫌だと思う。

生きている時は、隠し通せていたことが、
死んだ途端にバレてしまうということを、
怖い、気持ち悪いと、他の人は思わないのだろうか。
それとも、そういう隠し事を持つ人の方が少ないのだろうか。

もしもマールが新しい命を持って、生まれ変わって来たら、
もう一度、今度こそ、思い描いていた生活がしたいと本気で思っているし、
今も会いたくて、抱っこしたくて、匂いやぬくもりが恋しいけれど、
それは単に、残された私の感傷でしかないと分かっている。

感傷だと分かっていながら、
悲しみを抱えて生き続けなければならないから、
神や仏にすがりたくなる人の気持ちも理解できるけれど、
私自身は、それをすることに違和感しかない。

宗教観の希薄な私が、
自分の心の中を、何度も何度も、深く隅々まで探り、
言葉で吐き出そうとする行為は、
もしかすると、神や仏に祈る行為に等しいのかもしれないと近頃思う。

マールの一周忌頃から、
言葉が、底なし沼の中の泥のように、深く取り留めもなく溜まり続けていく。
マールとの関わりのあるなしに関わらず、たくさんの言葉が溜まっていく。
何処かに何かに、吐き出したいけれど、今はその方法が決められないから、
ただただ今も掻き回しては沈殿させ続けている。

そのうち、他の優先しなければならない雑事に押しのけらて、
一旦、この作業に区切りがつくことも解っているので、
こうしていることが許される今は、心のままに過ごしていようと思っている。

マールと暮らす前の私は、
こんな風に生きていたような気がする。
マールと暮らしていた時間は、
毎日目の前に幸せの象徴が居て満たされていたから、
心の闇のような、底なし沼のような場所は、
潜る必要が無かっただけなのかもしれない。

マール、
会いたいなぁ。
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終わり また始まる

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マール、
もうすぐ、
一年が終わるよ。

マールの居ない一年が、
ようやく終わるよ。

部屋の中に、
街の中にも、
マールの痕跡は、今も自然に残っている。

歯磨きセットは、今も私の歯磨きセットと並んでいて、
シャンプー&コンディショナーは、今もバスルームの中にある。
リードフックに掛けられたリードとリスト、お散歩バッグ、
洋服、リボン、スリング、お手入れセット、、、、、

インターフォンの音を怖がるマールのために電池を抜いた。
インターフォンが鳴らないので、ドアをノックして欲しいと、
宅配便のお兄さんにはお願いしていた。

マールが逝った後、
電池を戻したけれど、
あの頃から担当していた人は、
未だにインターフォンを鳴らさずにドアをノックする。

ノックの音がする度に、
マールが玄関に走って行くような気がして、
少し辛いけれど、何となく訂正する気にもなれなくて、
未だにノック音を聞いている。

一緒にでかけた場所、
いつものぬくもり、
甘える仕草、、、、

出かける度に、家路を歩いている時に、
マールの重さとぬくもりが足りない寂しさで、
心の真ん中が薄ら寒い。

マール、
もうすぐ、
新しい年が始まるよ。

マールの居ない一年が、
また始まるよ。
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