季節の変わり目は苦手。
メンタルがぐちゃぐちゃになる。
ずっと夏がいい。
突き抜けた暑さと
つんざく蝉の声と
いつまでも暮れない夜。
終わらないで。
メンタルがぐちゃぐちゃになる。
ずっと夏がいい。
突き抜けた暑さと
つんざく蝉の声と
いつまでも暮れない夜。
終わらないで。
ふとしたことから。
このblogを書くきっかけになった人のことを思い出した。
今でも、年に数回だけれど会って話すこともある、その人。
まだ結婚したとも、彼女が出来たとも聞かない。淡々と仕事をして、趣味の活動にも力を入れているようだ。
一昔前。その人とよく遊んだ。
ごはんを食べてカラオケにいく。
ボルダリングに行ったり、ゲーセンに行ったりもした。
30過ぎた男女が、である。
でも、そうやって時間を過ごすなかで、いつも感じていたことがある。
“私の隙間が埋まる”
その人と一緒にいると、どこか不満足で不十分な自分の体や心が、埋まって満たされていく感覚があった。あるいは、カラカラに乾いた植物が、水を得てじわじわと「戻って」いくような感覚。
でも。
この感覚を「愛」だとか「運命」だとか、そんな風には捉えることが出来ない。もっと危うい、「共依存的な何か」であると、ブレーキをかける自分がいる。
とても心地好い感覚なのだけれど。
「感覚」を信じることが、どこまでも怖いのだ、わたしは。
このblogを書くきっかけになった人のことを思い出した。
今でも、年に数回だけれど会って話すこともある、その人。
まだ結婚したとも、彼女が出来たとも聞かない。淡々と仕事をして、趣味の活動にも力を入れているようだ。
一昔前。その人とよく遊んだ。
ごはんを食べてカラオケにいく。
ボルダリングに行ったり、ゲーセンに行ったりもした。
30過ぎた男女が、である。
でも、そうやって時間を過ごすなかで、いつも感じていたことがある。
“私の隙間が埋まる”
その人と一緒にいると、どこか不満足で不十分な自分の体や心が、埋まって満たされていく感覚があった。あるいは、カラカラに乾いた植物が、水を得てじわじわと「戻って」いくような感覚。
でも。
この感覚を「愛」だとか「運命」だとか、そんな風には捉えることが出来ない。もっと危うい、「共依存的な何か」であると、ブレーキをかける自分がいる。
とても心地好い感覚なのだけれど。
「感覚」を信じることが、どこまでも怖いのだ、わたしは。
「今、ここを感じなさい」
不安は未来や過去から来るのだから、今ここを感じる訓練をすれば、少しずつ不安は薄らいでいくという。
空を見てみる。
雲の形や位置を眺めてみる。
風の動きを追ってみる。
陽射しの鋭さをあえて感じてみる。
だからって現実は変わらないけれど
少しは生きている実感が湧くような気がする。
不安は未来や過去から来るのだから、今ここを感じる訓練をすれば、少しずつ不安は薄らいでいくという。
空を見てみる。
雲の形や位置を眺めてみる。
風の動きを追ってみる。
陽射しの鋭さをあえて感じてみる。
だからって現実は変わらないけれど
少しは生きている実感が湧くような気がする。
批判を承知で書く。
アダルトチルドレン問題は
親が死なないと終わらない。
「許し」や「インナーチャイルドの癒し」を課したところで、いったいどれほど楽になるというのか。
親が生きていて没交渉でない人は、少なからず現在進行形で「不健全な家庭」「不健全な親子関係」の渦中にいるはずだ。否応なく。
私は何度、親の死を願っただろう。
憎いから、ではない。
これ以上、親と「つながっていたくない」からだ。なんならいっそ、自分が居なくなればいいのかとも思った。
絶縁という選択肢もある。
ただ、こちらが絶縁を望んでも、それを受け入れてくれるとは限らない。ストーカーから逃げるように、怯えなければならないかもしれないし、そうでなくても「親を捨てた」罪悪感に苛まれるだろう。
だからといって、程よい距離感を保ってなどいられない。こちらがずっと辛い思いを抱え続けることになる。
「私は私、誰の娘でもどこの家の子供でもない」
そんなすっきりとした孤独を、私は渇望している。
アダルトチルドレン問題は
親が死なないと終わらない。
「許し」や「インナーチャイルドの癒し」を課したところで、いったいどれほど楽になるというのか。
親が生きていて没交渉でない人は、少なからず現在進行形で「不健全な家庭」「不健全な親子関係」の渦中にいるはずだ。否応なく。
私は何度、親の死を願っただろう。
憎いから、ではない。
これ以上、親と「つながっていたくない」からだ。なんならいっそ、自分が居なくなればいいのかとも思った。
絶縁という選択肢もある。
ただ、こちらが絶縁を望んでも、それを受け入れてくれるとは限らない。ストーカーから逃げるように、怯えなければならないかもしれないし、そうでなくても「親を捨てた」罪悪感に苛まれるだろう。
だからといって、程よい距離感を保ってなどいられない。こちらがずっと辛い思いを抱え続けることになる。
「私は私、誰の娘でもどこの家の子供でもない」
そんなすっきりとした孤独を、私は渇望している。