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この世は八つ当たり

2018年12月02日 | エッセー
先日、14歳の息子が名言を吐いた。

 『この世の、マイナス的なことって、八つ当たりによって生じているよね。』
 
 そうかもしれない。
 いじめ。
 これは、もう、家で小さい頃から、親に反発できなくて、なおかつ、そんなつれない気持ちを汲んでもらえず、怒りとして無意識の世界に封印していたけれど、一度、自分より弱い者を懲らしめると快感が走る体験をしてしまっちゃって、病みつきになってしまった結果がいじめだと、私は思う。覚せい剤並みの快感かもしれないから、やめられるわけがないと思う。つまり、八つ当たり。
 学校の先生が、生徒を管理しすぎることもそうだ。ひょっとしたら、生徒が非行に走らないように管理することは当然と思っている先生は、実は八つ当たりの可能性がある。ヨウギ検査を当たり前のようにやっちゃえるというだけで、おそらく、すでに八つ当たりの要素がある。少々、爪が伸びていようが、ティッシュを忘れていようが、髪の毛が耳にかかっていようが、スルーできる先生は、生活に関心のない先生か、八つ当たり精神が宿っていないいい先生なんじゃないかなぁ。
 耳にちょっとでも髪がかかっているだけで注意されるなんて、ばかばかしくて情けなくなる。本気で注意する先生は、もはや、多感な思春期の生徒たちにとって、リスペクトの対象ではなくなる。ただの、八つ当たりおじさんに成り下がる。
 注意することが快感になるなんて、不思議だけれど、世の中には、注意することに何の疑問も抱かない人たちって結構いる。

 中学校のヨウギ検査そのものが、すでに、先生が上で生徒が下という関係性の中で発生している。逆バージョン、つまり、生徒が先生を評価する先生検査みたいなものがあれば、いい悪いは別としてフェアだけれど、ヨウギ検査をきちんとすることに何の疑問も抱かない神経こそがすでにパワハラなんじゃないかと思う。
 そうそう。パワハラって、つまり、八つ当たり。

最近、パワハラがクローズアップされている。
 私自身、40代になって人生初のいじめを体験した。だいぶ下火になってはきたけれど、今も継続中だ。この15年余り、ずっと、彼女のいじわる心を私という存在がなぜか刺激しちゃうのだろうと思っていたけれど、よくよく考えたら、八つ当たりもいいとこで、パワハラだ。

 今朝の新聞にも、パワハラにならないように、例えば、荒げた声で部下を叱ってはいけない・・・などと書かれていた。
 形から入ることも必要だと思う。ただ、声を荒げて叱る人は、根底に八つ当たりをして、自分のストレスを発散したいという欲求を持っている人だと思うので(もちろん、本人は気づいていない)、ただ、パワハラに認定されたくないがために我慢しても、本質は変わらない。その欲求不満は溜まっていくだけだと思う。
 声を荒げて叱るという行為は、オンギャーと生まれた時から蓄積された本人も気づかない欲求不満を、自分は正しい・相手が間違っていると感知した瞬間に、勝手にスイッチが入って、声を荒げて叱るという生活習慣病みたいなものだと思う。

 では、なぜ、習慣化するのだろう。

 習慣化するというのは、それをやると気持ちよかったという体験があったからだ。きっと。

 今、私はスロージョギングが習慣化されている。週2回30分のときは、習慣化されなかった。毎回、走り始めは特に足が重く、かなりのスローペースでどうにか走り遂げていたという感じだった。しかし、今年の正月に壁に『週3回以上スロージョギングをする』というポスターを貼って、週3回走り始めたら、なんだか、足が軽い。なおかつ、走った後のそう快感がたまらなくなった。10月になって、初っ端から、足が軽くて、最後まで気持ちよく走れるようになった。そうなると、雨で走れない日が残念な気持ちになって、いつの間にか週5回は走るようになった。帰りが遅くても、チャチャっと、夕食を作って、7時過ぎから走り始めることもしばしば。今までは、仕事で帰りが遅いから時間がないことをできない理由にしていたのに、気持ちがよくなると、できちゃうんだということを知った。

 その体験が気持ちいいから習慣化される。

 パワハラもいじめも八つ当たりも、やったあとに気持ちいいという感覚が発生する。だから、やめられない。いじめはいけないこと。いじめられる人の気持ちを察しましょうなんて言っても、たぶん、それだけでやめることは難しいと思う。パワハラは、そのことで左遷されたりされるとなると、我慢できちゃうかもしれないけれど。
 気持ちいいことが、自分の心と体を大切にするものであれば、それは、とても喜ばしいことだけれど、自分の心も体も蝕んでいくようなものだと大変だ。おそらく、アルコール依存症やギャンブル依存症やちかんや食べ過ぎ、摂食障害などは後者だ。その一瞬は気持ちいいけれど、本当の気持ちいい発電機ではなく、イライラする気持ちを晴らすことによる気持ちいいなので、いいエネルギーを自家発電することができない。私にとって、スロージョギングは、エネルギーの自家発電でもあるような気がしてきている。辛い時ほど走ると、心の元気が回復に向かう気がする。
 

 おそらく、自分が正しく相手が間違っているという物の見方をしてしまう人は、自分の全部が正しく、相手の人間性までも否定しやすい傾向があるような気がする。自分も間違いもする人間だし、長所も短所もある人間のはずなのに、自分のことは棚に上げて、相手のちょっとしたミスも見逃さず、批判する。不思議でならない。この、自分のことは棚に上げられる能力は、どのように培われてきたのだろう。
だいたい、声を荒げて叱ること自体が欠点なのに、それにすら気づけない。
 事の始まりは、おそらく、親に従順でないと安全な居場所がなかった幼少時代に遡ると思う。
 親にいい意味でわがままが言えないと、その不満を何かに八つ当たりしたくなる。
 幼い頃、その不満をきちんと言語化して消化してくれるような存在に出会えた人はラッキーだ。
 でも、多くの子どもたちは、大人が生活しやすいような静かな環境を破壊しないように、しつけと称して怒られる。その時の理不尽な気持ちが八つ当たりの原動力となる。おそらく。
 我が家も次男が5歳のころ、3歳の三男をやたら攻撃することがあって、三男がかわいそうだった。よ~く観察していたら、どうやら、長男が父親に理不尽に怒られて、その腹いせに次男をやっつけて、次男がその腹いせに三男を叩くという構図が見えてきたので、次男が三男をやっつけた後に、たまたまそこに次男がいたので『あのね。お兄ちゃんはお父さんに怒られてやり返したいけれど、怖くてやり返せないので、自分より弱いあなたをやっつけてすっきりしたくなるの。で、あなたもお兄ちゃんにやり返せないから自分より弱い弟をいじめたくなるの。そういう時は、お母さんに向かってきてもいいから。』と言ったら、後日、それはそれは、私のお腹に向かってキックしてくることくること。
 やっぱりね。
 兄弟げんかって、大方、親から理不尽な怒られ方をして不満が爆発する八つ当たり喧嘩だって、その時思った。
 思いっきり兄弟げんかさせてもらえた子どもはラッキーだ。
 こんな時、悔しい気持ちを言語化するどころか、「喧嘩はいけません。仲良くしましょう。」なんて喧嘩すらさせてもらえないと、八つ当たりの矛先は、弱くて言い返せないお友達に向かうような気がする。そこで、家での憂さを晴らす。
 
 いじめはここからきっと始まる。
 パワハラもここからきっと始まる。

 憂さを晴らして気分よく家に帰るためには、知恵が必要だ。憂さを晴らしても先生に見つかって叱られたら元の木阿弥だから。
 自分のことは棚に上げて、ターゲットを非難してすっきりするという思考回路は、きっと、このあたりで形成されていくのではないだろうか。
 
 先日のの報道特集で、少年院を出て、だれも身元引受人のいない少年たちの保護士になり、一緒に暮らしているという47歳の男性の話があった。






 白黒思考という言葉がある。
 物事を、白か黒でしか判断できない思考に陥りやすいタイプの人のことをさす。
 世の中、大方グレイ。人間いいところもあれば、欠点もあるもんだ。だから、受け流そう。
 それが、どうしてもわからない。
 おそらく、自分は正しく、相手は間違っているときっぱりと感じて、注意できて、注意した後にすっきりしちゃうので、そこは死守したいのかも。

 こういう白黒思考タイプの人は、ルールに反する人や世間の常識の枠からはみ出るような人をみると許せないので、勝手に負のエネルギーを自家発電しちゃって、カッカカッカと腹が立つ。
 そう。許せなくて、腹が立つのだ。

 考えてみれば、幼い頃、あえて白黒つけて、自分に罪悪感を抱かないようにしていじめてることで、家での憂さを晴らしていたのに、白黒思考が習慣化されて、なんでも白黒つけたがる心の癖ができてしまったがゆえに、許せないことが多くなって、逆に不満がどんどん溜まっていくという悪循環に陥っていく。
 勝手に腹が立ってしまうのだから、その怒りはどんどん蓄積されて、むずむずとしていて、それは、もしかしたら、イライラという感情になっているかもしれない。イライラという感情は一触即発で噴火したがっている。その一触即発のスイッチをオンにしちゃうのが、パワハラやいじめのターゲットになってしまうタイプの人の言動。

 噴火したがっているときは、自分から点火しに行く場合もある。
 私の体験で、
 


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