2020年2月15日土曜日

野村監督という哲学者

野球界でこれほど高知能の人は他にどれだけ居るんだろうかといつも思っていました。

いつもボヤいてボヤいてなにか核心を突くような一言をボソっと言うという感じのおじさんだったと思います。「がんばれタブチくん」の中でも陰キャラみたいな感じでずっと描かれていましたが、この人は本当に苦労人でしたからね。

見えないほどの細い細い糸を自分の力で手繰り寄せ続ける努力を怠らなかった苦労人。糸がどんなに細くとも、必ず粘ってその先にあるものを手繰り続けるうちに、ついにはその先にあるチャンスをつかみ取り、その後も更に自助努力を怠らずに自分を磨き続けた努力の塊のような人でした。

金持ちの家族や溢れ出るような才能に最初から恵まれた訳でもないこの人の最大の武器はまさに首の上に乗っかっていた「頭脳」でした。自分を野球人として改良する方法を自分で考え、自分がどうすれば更に優れた選手になれるかを考え、それを自分の手で実際に実行していくという言うと簡単でも実際には世の中の殆どの人が出来ないことを文字通り「己の中で具現化」した偉人でした。

ID野球という言葉も残した人でしたが、南海ホークスで神のような記録を残した後も理論で卓越した人物として、多くのチームで多くの偉大な選手達を育てながら、駄目になりかけていた選手たちも更にもう一度復活させて送り出すという名伯楽としての資質を遺憾なく発揮させた一生でした。

こういう言い方は監督に大変失礼ですが、首の上についているもののクオリティーが首から下の能力を恐ろしいレベルにまで仕上げていったと思うのですが、それを他の選手達にも敷衍していくことで歴史に残る指導者になったのだと私は信じています。

私の最大の疑問は・・・あの亡くなられた「配偶者」なんですが、神様の選択に凡人が口を挟むのは愚かというべきでしょう。w


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