爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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20181219

2018年12月19日 | バックアップ病
揺れる器  2018.1.1


1

 あれは、おそらく、地震のあった年だった。
軽率に用いた「おそらく」という語彙は正しくはない。ぼくらにとって地震という文字であらわす本当の恐怖を与えたものは、あの一度しかない。おそらく、一度しかないだろう。そして、一度で充分だ。
 地震という文字を辞書で調べて意味を問う必要もない。紙面やインクから浮かび上がるものが、正確に表現するものが実体でもない。失恋や死別と同じ意味で。未知なるものを調べる。そうか、と認識する。体験を越えるものではない。体験。つまりは、身体で感じた脳のその後のシグナルなのだろう。
 午後というのどかな安らぎが奪われる。冬は終わらず、春も訪れてはいなかった。その日の深夜の空気や気温をぼくは感じ取る能力や気概ももっていなかった。出社と帰宅はワンセットであるものだった。ワンペア。ぼくらには片道切符しかない。定期券も、その正当な行使を許されていなかった。
 電車がストップする。そのことについて都知事は文句を伝える。このひとのいつもの態度で。トップのひとだけが有してほしい末端へのサービスの感覚をこのひとももっていない。そんなことは知っているのに過度の期待をもつのを甘えさせてしまう夜だった。ぼくはジャーナリストの力量も報酬も求めずに、自分だけのこの日を採取したかった。ぼくだけの夜。そして、無数の声なき民の各自の夜。
 ぼくには二本の脚があった。パラリンピックをする町の数年前の景色として、車いすのひとにどのような帰宅手段の選択肢があるかを想像することもしなかった数年前の、あの今夜である。恥がある。無知もある。健康という深い眠りにぼくはまどろんでいる。
 会社を出ると、いつもの東京タワーがあった。崩壊という危険もなかった。あるものが、そこにあるという安堵がぼくを包む。光あれ。
 ぼくは歩きながら映像の切れ端をつなぎ合わせ、音楽ビデオのようなものにする。無数の断片の連続で、かつ紡ぎ合わせることが許される媒体。
 その後に起こったテレビ内の衝撃。波が空港のような場所に押し寄せる。別のあらゆるところに波は無節操に襲う。波は燃えるのだ。水も燃えるのだというあり得ない事実を学ぶ。
 君もここにいた。合わせ鏡として、ぼくがいた。貝殻の片方ずつのように君とぼくもいた。ぼくは、将来、書くべきであろう物語の一部を引き出しの奥から引っ張り出す。そこに君はいない。突然、君はいない。
 ぼくは頭のなかで帰途のルートを考えている。虎ノ門、霞が関、日比谷。近道を考える訳でもない。途中、電車やバスが回復したら、乗り込もうと決めていたが、チャンスはなかなか来なかった。トイレに立ち寄ったビルの地下ではきれいなOLがヘルメットを被っていた。その不釣り合いな姿がぼくの記憶の新たなページを埋める。
 飲み物と夜食を買いにコンビニに入る。在庫は徐々に減っていく。物流がなければ、新たなものは入荷しない。トイレの水は流れている。打撃という最終部分には至っていない。
 上野にいる。パンダは、驚いたのだろうか? 入谷にいて浅草にいる。ここでどこに行くかも分からないバスを見かける。ここら辺りで自力で帰ることを受け入れるしかなかった。自分の胸のエンジンと車輪の役目の脚をつかって。それから、何本かの川を越え、夜中の二時ぐらいだろうか家に着く。ガスは止まっている。復帰(復旧)のボタンを押す。身体は冷えていた。家も冷えていた。布団も冷えていた。
 電話は通じにくかった。何人かの安否を心配する。東京で遭難することもないが、気持ちは同じだった。ぼくは疲れた身体を横たえる。革靴は長時間の歩行に向かないことは知っているが、それ以外の手段はない。手という字は足ではない。後々、考えれば職場近くの激安ショップで小さな自転車を買うという決断もあった。しかし、あとの祭り。
 ぼくという人間の音楽ビデオ。レイラほど劇的ではない。ビル・エバンスのバラードほど穏やかでも静的でもない。猥雑なものが混じり合っている。眠れない夜に数年前の悲劇を脳裏から引っ張り出す。米国の大都市の二つのビルに飛行機が突っ込む。世界一の大都市と表現した方が妥当かもしれない。無数の人間はあまりにも矮小だ。波は燃える。同様に、飛行機も武器になった。標的も、ターゲットもきちんと計算すれば。
 翌日になる。あと何年かしか生存しない父の誕生日。そのことをいまのぼくは思い出すが、当時は最初に浮かぶものでもない。その一日の最後にすら考えなかったかもしれない。ぼくは、シャワーを浴びて、テレビで昨日の地震と津波が事実であることを再確認する。東京電力は蚊帳の外にいる。現場は別だったかもしれない。ぼくは電気の送電線をたどった地点になにがあるのかも考えていない。そこには科学者やキュリー夫人やオッペンハイマーがいるのだろう。科学的にできていない自分の頭脳。映像と音楽で振り返ろうとしているぐらいだから。においや痛みであってもいい。何年も経って、原発に作業者として入り込んで本にしたものを読む。科学とは呼べる高尚なものはまったくなく、ただの作業と労働の連続だった。末端というのは、どこも同じなのだろう。
 ぼくは普段と同じように行動しようと願う。夕方、近所の立ち飲み店に行った。その日から小さな椅子が並べられている。みな歩き疲れたのだ。昨日が最初だったのかもしれない。ぼくは何人かに電話する。電話は電話線から解放されていた。

2

 ぼくという一本の音楽ビデオ。四、五分で完結する。
 これを、物語を貫くキーワードにしようと考える。断片の集大成が自分という大まかな意味で。
 電話。話術と声音。適度な響き。ぼくは地震の翌日、飲み屋の椅子で、暖かな空調のなかで、ひとの声の歴史を考えている。無数の雑踏のなかにいた昨日の自分。声という意思と無責任の触れ合いも暖かさの確かな一部なのだ。
 最高の演説。声の持ち主。キング牧師の夢がある。自分個人の夢でありながら、ある民族の願いでもあった。一九六三年の八月。七年後、日本のコスプレ作家が、市ヶ谷で演説する。徹頭徹尾、自分というものを忘れないために。ことばより、思いの問題であった。狭量という円錐の突端の美学。高い教育を受けたはずの出口は、限りなく稚拙であった。どちらが奴隷の過去があるのかも分からない。しかし、どちらも米国のアングロサクソンの奴隷であるのだろう。
ぼくは、そんな意識もなく電話を手にする。電話番号は十一桁の数字の組み合わせになっている。そこに名前をつけて一時的に保管している。しかし、電話にでないひともいる。ただの入浴中なのかもしれない。しかし、生命の危機を通過したその日は、軽々しくあきらめる気にもなれなかった。
声がひとである。匂いがひとである。識別される記号。六十億か七十億かのいくつかが失われた。再生不可能なものとして奪われた。ぼくは奪われなかった。友人の多さで選別されるべきだ、とぼくはグラスを傾けつつ仮定として考える。量という正解。少なくなったグラスに新たな酒が満たされる。
理想主義という悪夢。この日を通過した人類は、他人の命に対して責任があり、生きているという事実に寛容であるべきだと望む。ひとのミスを許し、信号の短い明滅の間に横断歩道を渡り切れそうにないおばあさんをおんぶするべきだ。ぼくは、酒ではない架空の美学のために酔いしれて、瞳のうらの涙の製造工場を再稼働する。独りよがり。そして、ふたりよがりという言葉がないことを知る。
ぼくという短い音楽のビデオ。しかし、終わらなかった。終わらせてくれなかった。
月曜日。喪に服すという安らぎを、会社に出向く人間に簡単に与えてくれない日でもある。無数の電車の運転手が霞が関に向かう。そこは、日本にテロということばを与えた町であった。二二六という歴史の遠くの日付けは、結局は、日本という丼に胡椒を振りかけるほどの変化も起こさなかったことだけを教えてくれる。三月の十一日。昨日に戻るべきだという幻想。
みんな、生き延びた。東京は強かった。だが、ぼくの仕事は東京の住人だけを相手にしているわけでもない。金曜の午後、札幌にいる女性と電話をしていて途中で切れたままで、再び、つながることはなかった。後日、札幌も揺れたということばをぼくは鵜呑みにしない。揺れは、東京のビルにいる自分に相応しい表現だと独善的に、専有的に考えていた。もちろん、間違っている。ぼくは被害者でもない。加害者でもなく、当事者でもない。
東京の電力会社の面々も当事者ではない。経営というのは、俯瞰的な視線が必須である。その意味で彼らの力量は優れていた。適切な判断。タイミングの良い指示。利益をよぶ株。その後、大きな日本の会社も続々と、この先例にならったのか、トカゲの尻尾のように末端を失う。そして、胴体も頭脳も売ってしまう。戦後からの踏ん張りは終わりを告げる。日本という音楽ビデオ。坂本九と美空ひばりの音楽。上野の浮浪児。米兵に抱かれる真っ赤な唇の彼女。
トモダチ作戦。入口と出口。ぼくは出口を知っている。訴訟という栓抜き。なかには炭酸がある。
しかし、ぼくは彼女に出会うのだ。地震がなければ、ぼくらはぼくらにならなかった。


3

 全容が分からないという不安。分かってしまったからといって安堵があるわけでもない。より多くの失望。あそこに津波があり、あそこに電力の源があった。危険を内在させた不思議な炉。無制限の心中。
 自分という立派に泳げない生物。泳げたからといって、遠泳が得意だからといって結果は同じだったろう。予期せぬときに足元を救われる。冗談に話せるぐらいが華だった。実際に救われてしまえば。
 水の勢い。シャワーの快適さ。働いて週末を迎える。その繰り返しがまた待っていた。土曜か日曜の昼に通う定食屋で常連さんたちが誰かのうわさ話をしている。悲劇の影があるが、大っぴらには話せない内容でもあるらしい。何度か出向くうち、ある女性のこと、そこの店主の娘であることが分かる。結婚前の姿も彼らは知っていた。およそ十年前には、彼女はここにいたのだ。結婚して東北に行き、娘をさずかり、いまは夫と娘を失った過去が生まれた。ぼくは会わないで良かったと考えている。いまは夜に店に手伝いに来ているらしい。住まいも実家にもどって、今後の生活の立て直しを考えているとのことだ。
 味は変わらない。だから、人気があるともいえる。ぼくはある夏の午後、ビールを頼む。見慣れない陽気な女性がジョッキを運んできた。小皿には柿の種があった。ぼくはこのテーブルに来るまでに他のお客さんと話された雰囲気でそれらの認識をつかもうとしていた。広げたスポーツ新聞から視線をずらし、うわさの女性を見る。悲劇の予感を、悲劇の当事者であることも教えてくれない白い肌を見る。
「はじめて?」
 ここに来たのが初めてなのか、会うのが最初なのか、ビールを頼むのが一回目なのか返答に困る質問をした。ぼくはただうなずく。そして、うまそうなビールに口を近づけ、うまいという夏の当然の事実を知る。
「おいしそうだね。おかわりなら充分あるよ」
「はい」
 ぼくはいつも持ち歩いているノートを閉じ、几帳面にハムエッグの黄身をつぶさないように箸を動かす。しかし、あまりにも呆気なく黄色いものが流出する。そばのキャベツが防波堤になる。
 そばで快活に彼女は常連客と話している。ぼくはテレビと新聞を交互に見て、ふたたびノートを開く。
「詩人なの?」
「え?」
「細かい字がいっぱい」
「あ、そうか」ぼくの名前は明石仁。そこに詩人が隠れているのだ。「単なるメモ程度。書かないと忘れちゃうし、文字になれば真実につながりそうなので」
 常連客の耳を気にする。彼らはおとなしい収集家でもある。ぼくはノートに書き綴る。
 犬は死んで思い出のなかで駆け巡ってこそが犬である。
 恋人は別れて夢のなかであの日を再現させたときが恋人のピークである。
 夏休みの最終日に宿題で費やされずに済んで決行したであろう日焼けの注ぎ足しの一日を大人になった目で回顧するのが夏休みの本望である。
 それからおよそ一年経ち、ぼくらは親密になった。彼女はぼくの横で語る。
「ランドセルが窮屈になってこそ、子どもの親孝行の完結である。こういうのはどう?」
「完結は、両親にここまで育ててくれて、という白無垢姿が完結だよ」
「古いのね」
「小津映画」
 だが、ぼくはまだ未来を知らない。同時に過去も知らない。日常の積み重ねが人生でもあり。日常を突然に奪われるのも人生であった。ぼくは何も失っていない。ノートは押入れにたまっていく。それは利用されることもなく、ぼくは通勤電車のつり革のひとつにつかまっている。虫歯が痛い。

4

「歯医者なら、山井さんだよ」と光代は言う。ぼくの口内は麻婆豆腐ですら拒絶しようとしている。柔らかさではなく刺激として。

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