前回の記事で今年のM-1を見たのを書きましたが、すぐ後にいろんなニュースが出て驚き。

 

2つあるんですが、1つは「和牛さんの決勝ネタがパクリ疑惑」

もう1つが「M-1終了後に芸人さんらが集まって開かれた飲み会での某氏らの発言問題」です。

 

ご存知の方も多いので詳細は軽くしか書きませんが、和牛さんのネタパクリ疑惑はamazonさんで行われているプライムビデオ内の「カリギュラ」内で行われた企画との内容と酷似していて、おそらくその内容のパクリだろうとのこと。

 

自分も知らなかったのでその記事を読んで思ったのが

 

「これが事実ならマズイっしょ」でした。

 

否定できないほど酷似していて、確かに100%のパクリでは無いにしろ、ほぼ真似てor引用している。

これでは非常に物議を醸しますわね。

 

 

和牛さんからのコメントが無いので今の時点では何とも言えない状態ではありますが、パクリではないことを祈りますね。

 

 

そしてもう一方の方が「M-1後の飲み会(打ち上げ?)での芸人さんの本音発言がヤバイヤバイ。

 

 

発言者らを擁護するわけでは有りませんが、私もわかる部分はあります。

それはM-1だけに関わらず、審査を必要とするものには「この審査は適切だったのか」と思うことが過去にもしばしばあったからです。

 

あるものは「審査員の判断ばかりが至上」というものもある。

 

 

またあるものは一般からの投票を取り入れたものの、それも偏りが有り一般投票の体を成してないものもありました。

そうなると別に一般投票をする必要は無いともいえます。

 

 

一般投票を強くすれば今度は「プロとしての意見や考えが無いのは不公平」と言われ、これまた問題が。

 

 

だったら一般からの投票が50% 審査員からの投票が50%になるようにして、総合的に審査できるようにすれば良いのにと思います。

ところがそれが今の時点ではないんですよね。

 

 

だから審査に対しての不満や疑念が生じると。

 

 

また実際M-1を見ていて自分が審査するとしたら、とか自分が良いなと思ったのと審査が合わなかったのもあります。

もちろん自分の考えと合った審査もありましたよ。

 

 

だけど実際「何でこの点数?」というものや審査員の発言が「何?それ」と思うようなのも若干有りました。

なので審査に対して「文句を言いたくなる」のはわかりますよ。

 

 

だけどもしも自分が審査員になれたとして審査した際につけたジャッジが他の方々に不評を買い文句を言われることはあると思います。

なぜなら個人個人の考え方や感じ方、又は好みなどもあるでしょうからね。

 

 

そうなると、どこまでいったら「公正なジャッジがとれるか」となります。

ですから非常に難しくデリケートな事項であるというのがありますね。

 

 

絶対審査員を誰がやってもどこかに「不服・不満」はある(出る)はずですから。

 

 

じゃあ、何も言わないのが良いのか?というとこれまた問題。

 

というか今まではネットが普及してなかったから、物を言っても余程のことがない限り取り上げられて多くの人が知るようなことは稀だった。

だから文句があっても(言っても)公に知られることは無く、ただの一部の人の「愚痴」で終わって事なきを得た。

 

ところが今の時代は書き込みをすればそれが文字証拠として残り、動画などならこれまた文字よりもはるかに高度な証拠として残ります。

文字なら「誰かの捏造や投稿」と逃げることが出来ても、動画だとそうは行きませんからね。

 

 

現代はそういう世の中だから、証拠を残すような事項なら「余程の覚悟」を持って成さねばならないと思います。

 

 

あと最後に思ったのはある記事では「男女差別の云々」とありますが、そうですかね。

 

 

確かにその記事に有りますように、苦情が「上沼氏が女性であったから吐いた発言」であって、これが松本氏とかだったら吐けたか?というのはわかります。

 

ですが、今回の某芸人さんの吐いたものは「男性女性」とか「力の差」とか「文句を吐きやすい方に吐いた」のではなく、問題が有ると思われた方、つまり遺憾に思った方に吐いたものであり、差別だの偏見だのではないと自分は思います。

 

 

それこそ私もよく上沼氏の番組は拝見しますし、拝見すれば思うことは多数有ります。

 

それは「合点が行くもの」もあれば「そうかあ?」と思うものも有ります。

 

 

上沼氏は関西のバリバリのスタイルで行動・発言(芸風)をされています。

それが「小気味良い」「面白い」「共感を持てる」などで人気を得ている部分があると思います。

 

しかし、世の中は必ずそれがウケるという。そういう方ばかりがいるとは限りません。

絶対にその方の芸風やらに同意・共感できない方もいるわけです。

 

ましてや自分のように「おお、良いこと言う」となるときもあれば、「それは違うんじゃない?」と言うときもある。

つまり100%上沼氏と考えが同じにならないときだってあるわけです。

 

 

それこそ言わないとわからないので言いますと、誰にも「アラ」はある。私だってそうです。

ある人から見れば「何?このおっさん」と感じるだろうし、思われる。

 

だけどある人から見れば「中々良いこと言うな」と思う方もいるはずです。

 

 

上沼氏はおおよそに於いて「ずばっと物を言う方」でして、とてもそれが小気味良かったりもします。

ですが、それが毎度通るわけではない。時には「それって違うんじゃない」と思うことがある。

 

それが審査員としたときに出た場合には「怨み」というか「不快」に感じる人もいるわけです。

そして多分にもれず今回自分もM-1を見ていたときに、上沼氏にも感じたし、他の審査員にも感じた。

 

 

やっぱ総じて言えば審査員って難しいと思うんです。

どんなに公正にジャッジしたつもりでも、他から見れば「偏りがあるのではないか」といわれる。

といってどっちつかずな無難なことを言ったり判断(点数など)をつけるのであれば、これまた「あんた何やっているの?」といわれる。

 

 

だから松本さんでしたっけ?「出来れば審査員ってやりたくない」と言ってたのは。

 

責任が生じるので本当に一般の人のようにTVで見ていられる方が気が楽、と言うのはあると思います。

 

 

 

 

だからそれらを避ける上でも審査制度を良い方に変えるべきだと思います。

 

 

例えば、審査員席に一般からの人を公正な比率で混ぜるとか、又はインターネットを使って一般からの選定も良い比率で取り入れるとか。

某番組の審査のように「一般から投票が一杯あっても、現場審査員の影響が強くて、全然意味を成さない」のは駄目です。

審査員の影響が大きいようでは駄目なのでそこを考え、行う。

 

 

先にも言いましたがそういうのをやると「一般ウケで今回は勝ったようなものだからなあ」というものが立ったとしても、それこそ「プロの目がなんぼのもの?一般人が見るのが大半なんだから一般人のウケも重要なはずでは?」ともなる。

 

 

それこそ政治ではないが、議員さんたちだけの世界で決めると「何それ」となるのを防ぐのに「国民投票」でやれば文句ないでしょう?に近い考えを自分は持っていますから、できればそうして欲しい。

 

だが、それもやはり「国民が誤った考えや判断で物事を決めた」ということもあるでしょうから、議員さんの意見も必要でしょう。

となれば、総じて行う必要があるかと思います。

 

だから審査員が50% 一般からが50%となるような感じで投票~審査できてやれると良いのではないか?と思うわけですね。

 

 

まあ、実際にやるとなると難しい面は有ると思います。

ですが、やはり芸をやるのは芸人さんですし、そういう芸人さんが出来るだけ納得できるジャッジを求めるのはありかなと。

だからそれに応えるシステムをみつけ、導入すべきではないか。

 

 

特に競争が激しい世界でありレースなのですから、ぜひそのようにしてほしい。

そう思った自分でした。

 

ではー。