遅ればせながら、昨日(9月29日)の夜に録画してあった「やりすぎ都市伝説」を拝見しました。
その中のMr都市伝説の名を持つ「関さん」のコーナーはいつも興味深く見させていただいています。
以降はネタバレになると思われるので、録画していて「まだ見てないよ」という方は、ここから先は見ないでください。
逆に「そんなの関係ねぇ」という方はどうぞお読みください。
まず、関氏の洞察というか推察・予測は中々だなあと感じました。
確かにコーナー中に出てくる過去の放送の内容はある種「確かな予言」になっているし、当てている。
こうなると、ああ、思い付きや言いがかりではないよね、と確かに思う。
しかしながら、自分はその「当たった結果」ゆえの「将来を案ずる」のですね。
どういうことかというと、その関氏の言う通りに世界が変わり、動くとしましょう。
関氏のうとおり、本当に尋常ではない世界が展開される。
しかし、それは「正しくて幸せなのか」ということです。
私にすれば一部の人間のエゴの世界での目標達成であり、戻ることができない破滅的世界を成しえたくて進んでいるとしか映りません。
まあ、ある種今の地球での行動も「人間が起こしたエゴ」は動いているも言えますが。
そう考えると「エゴのない世界」なんて無いのかもしれません。
私が懸念するのは先に言った「今後展開されるかもしれない様相」についてです。
確かに関氏の言われることが今後本当に展開されるとしたら、これは大ごとです。
ですが、それを求め考え実行しようとしているのは誰なのでしょうか。
間違いないのはそれは私以外の人であり、それらを企み望む者です。
そしてその数は多くないし、全地球人の人口のほんの一部の人です。
仮にそれが達成されたとして、その時に「達成感」は得れるとは思いますが、それ以外の事項は「さてどうだろう」と思う。
つまり、現在の人間に於いても「自分の目標を達成させること以外は目もくれない」人がことを成しえて、後で気が付くという顛末を迎える人が居て、尚且つ自分の愚かさに後で気づく、というのは昔からあることです。
なんでそうなるか。またそうなることを回避できないのか、を考えると、ある答えが出てきます。
それは「如何に頭が良くて、権力のようなものを行使できる人でも陥る罠」にはまっているからです。
それを分かりやすく言えば
「自他供を傷つけず、全ての人を幸せにする。もしくは誰をも何をも傷つけず損じない」
そういう思考や行動に基づいて動いていないからです。
逆を言えば先に言った
「一部の人間及び個人のエゴの達成のために動くから必ずどこかミスが生じる」
ということです。
つまり、一部の人間や少数の人間の利益や達成しか考えていないから、必ずほころびが出てくるわけです。
または後になって後悔するようなことになったり、幸せになれない事項に遭遇するわけです。
都市伝説ではそういうことも過去に述べていたはずです。
過去から人間は理想や利益を求めて野望に走り、破壊や殺戮、搾取・・・とにかくエゴの走りの限りを続けてきた。
動物は賢い面もありながらも、サイエンティス的な面では人間に劣る生き物です。
そして人間は動物に敵わない面を得意分野にして力を持ち、生き物の中での頂点を座を勝ち取った。
その結果、人間はエゴ上での暴君になり、好き放題のことをしてきた。
その挙句が異常気象やら様々な良くない事項を発生させてきた。
また、これも昔から言われることだが、人間は未だに殺戮をやめない。
如何に動物より賢いんだ、地球上の覇者だ、といっても、世界のどこかで戦争が未だに止まない。
これのどこが偉くて知能が高いといえる生き物の所業なのか。
いい方向に頭を使わず、良くないことや悪いことに走るのが何と多いことか。
今回のコロナウイルスが顕著な例でしょう。
一部の馬鹿な人間がウイルスを撒いてしまった。
そのせいでどれだけ多くの人が迷惑しているか。
おそらく地球上最悪のパンデミックを引き起こしているんですよ。
何を考えているのか、です。
だが、なぜそのようなことをしたのかを考えればある種筋道は見えてくる。
それが関氏が番組の中で言っている「新しい世界への突入」なわけです。
それを実現したいがために「起こした行動」だと推察できるわけです。
だから、これは本当にエゴ中のエゴでしかないわけです。超愚行です。
この一部の人間の考えを達成しようとして行われた計画の末は番組を見ればわかりますが、ただの自己満足です。
肉体を持たず仮想の中で永遠に生き続ける。
デジタルな社会と共に永遠の命を持って生き続けるために動いた結果の一環が「生き残る人類と死滅させる人間との分ける作業」
これのスタートが「コロナウイルス」なわけです。
人類掃討作戦はもう始められたというわけです。
(あくまで仮説というか推測であり論、ということですが)
しかし、実際的に事項が起きた、となれば「説」で済まなくなる。
実際、そういうものに近いのがリアルな世界での日々なわけです。
尚且つワクチン開発も「皆を救う」というのは名目上の話で、これは抗コロナの英雄になりたくて慈善事業をしているのではなくて、よりもっと世界の覇者になりたくてやっている。または力を持つことによって「地球上の支配力を持つこと」にもつながるわけです。
確かに物理的なもので言えば「核爆弾」に敵うものは少ない。
核爆弾ほどでなくても、戦争に使われるような兵器の数々が生み出され、実際有るのを知れば、やはり尋常ではない。
細菌兵器も危険だし結構な威力を持つ。コロナでなくても多くの人を殺そうとしたら簡単にできてしまう。
ただ、それをあからさまにやってないだけ。またマッドサイエンティストがまだ理性でどうにかなっているからやってないだけです。その気になったら世の中の一部の人間が「やる気になったらいつでもやれる」わけです。
そうなると平和でありそうな今が「いつでも簡単に壊せる」わけです。
恐ろしい世の中です。
ただその抑えも飛び越えて一部の人間のエゴと理想達成のために動こうとしている。
これは先ほど言った一部の人間の理性が効いても、別の誰かが理永のタガを外してやっちまったら「意味がない」
つまり、あるマッドサイエンティストが理性があって良い人間でも、別なマッドサイエンティストが動いたら
「ほぼ終わり」
なわけです。そしてそれがどうもやられたようで。
自分が肉体を離れ仮想空間の中に永遠に生き続けるのなら、個人でやっていればいいのです。
それがそうではなく、ある程度の人間に普及させ、それ以外の大量の人間は「イラネ」をやられる。
誠に馬鹿というか頭おかしい、というしかない。
また、その極少数の人間たちも阿呆です。
永遠の命をもらって、それで幸せになれるのかというのがわからない。
ましてや仮想の中です。
確かに生命としてこの世に生まれれば、病気もするし、色んなことにも遭うし、老いも死も逃げられない。
一言で言うと「限りがある」わけです。
これがいっそ、肉体が無ければ永遠でいられる。死の恐れも無い。老いも無い。
仮想の中であれば、自分の望む世界はほぼ永遠に手に入れれる。
しかし、そんなものを手に入れて本当に幸せなのか、ということです。
「浦島太郎」の話を読んだことが無いのでしょうか。
私は大分大きくなるまで、実はあの話の神髄が分からなかった。
つまり、意味不明な話だなあ、と思っていたのです。
それこそ竜宮城が楽しくて長居してしまった、のはわかるし、それが良ければいっそのことずっと竜宮城に居れば済んだはずです。
しかし、地上の生活と状況を思い出し「陸に帰るわ」としたわけです。
だが、陸に戻ったら全然知らない世界で楽しくない。
最後は玉手箱を開けて老人になる、で話は終わるので余計意味不明でしたが、その後を考えると納得できます。
浦島太郎は年をとったが故に、亡くなるのです。
つまり、人間が病気やケガ、災害・事故に遭わないでいたなら老衰で亡くなるのが落ちです。
要は「寿命が来たら死ぬ」ということです。
私もこうやって生きていますから、いきなりの死は嫌です。
ですが、じゃあ逆に永遠の命をもらってもきっと喜ばない。
それは浦島太郎の話で「疑似体験」しているからです。
如何にどんなにモテようが、地位・権力を持とうか、お金を持とうがそれは刹那では楽しいでしょう。
しかし永遠ではない。
ましてや今後一部の人間がやろうとしていることは「VR」の世界です。
如何にVRで脳を支配したとしても、それは麻薬で阿呆にしている状態と変わらない。
私はそう見ています。
厄介な肉体を離れ、いつまでもコントロールできる状況下に人間を置く。
確かに科学的な見地と対策では完璧に近い案だとは思います。
ですが、人間はどんなに愚かであっても必ず気づくものです。
ある程度の理性や知性があれば、です。
私はときどき思うんです。
子供の方がよかったなあと。
子供のころは生きているだけで楽しかった。
明日への不安など、微塵も無かった。
朝起きてご飯を食べ、遊びながら時間を過ごし、夜になって眠る。
明日というものが自動的必ず来て、それこそ野に咲く花のようにのびのびとしていた。
ただ、大きくなってゆくにつれ欲も出るし、我もでてきた。
そして大人になって辛いことも多いし、悲しみは虚しさ寂しさは日々ある。
なんで、何もない時の方が良くて、今は不満なんだろう。
そしていつからこういう風に穢れたんだろうって、思う。
お父さんやお母さんに優しく撫でられて安堵して眠った方が何よりも良かった頃が今よりも嬉しかった。
物や金ではなかったものの方が良かったなんて、今と逆ですよ。
どんなに求めても、きりがないんです。
仕舞いには永遠の命が欲しいなんて欲が出る輩の気持ちはわからないでもない。
私だって欲望の塊ですから。
だけど、VRの世界へ入りたいとか、肉体を離れてロボット化した自分になりたいなんて思わない。
なぜなら、それはもう「人間ではないから」です。
昔から人間は「脱人間」とか言って、神や仏に成ろうともしたし、永遠の命を得ようとした人もいた。
実際、現代では「冷凍人間」になって、科学の発達した将来の人生を託し、自ら冷凍保存している人もいる。
気持ちは分かるが、自分は「そういうのはいらない」
まあ唯一欲しいのは自分のパーツぐらいですか。
自分の例えば臓器やらダメになった箇所の部分が、細胞増殖させて機械の部品のように手に入れれて交換できる。
そうすれば手が悪くても足が悪くても交換出来て、嬉しいとは思う。
ただ、それもいつまでもできない。
必ず、死は来る。
死が来れば、それは諦めるしかない。
しかし、それまで悪い個所を交換できるのは、今の医学では不可能に近いのでありがたいので欲しいなあとは思う。
それ以外は機械になってまで生きようとは思わない。
だから、一部の人間が好きで脱人間やろうが、VRに浸ろうが勝手にしてくれと。
自分らと関係のないところでやってくれと。
他人を巻き込まないでくれといいたい。
ましてやエゴ実現のために他人を殺す?
あなた何様?といいたい。
そういうわけで、決して関氏や番組へのケチではなくて、この地球上の中にいる「一部のエゴ人間」に対して言っていることです。あんたら人に迷惑かけてまでやりなさんな、ということです。
私はコロナのワクチンも打つつもりもないし、機械人間になるつもりもありません。
自分が掃討される側の人間だとしたら、別にそれで構いません。
そうやってあんたら人に迷惑かけて、幸せになれるなんて思うなよ、とだけ言わせてもらいます。
以上、悪いことしか考えられない奴らへの反旗発言でした(オイ
PS
オカルト話にここまで言わなくてもいいんだろうけど、何だかね。
関氏の話はなるほどと思うし、びっくりさせられます。
だが、究極的には「それがどうした」です。
私はいつか死にます。そしていつか「生まれ変わる」
涅槃へ入らない限り輪廻するのが大半の宿命ですからね。
機械化された人間が何かで死ねば、そいつらも「輪廻」するんですから。
永遠の物(境地)を得たかったら「涅槃へ入る」しかないんですよ。