知つて置きたい国史・軍記
政治の迷走が続く戦後日本であるが、連合國GHQの侵略占領下に多國間合意により制定した「日本國憲法」といふ名称の「保護條約」を元にする破綻した経綸で、國家が本来の独立した國家足れる筈もない。
日本とは、皇國とは、それが何かを知らずして、その舵取りなど出来る筈がないのだ。
我が國を知る爲にはまづその國史を知らねばならず、そしてその上辺だけを、時代時代の細切れにして、あれやこれやと知る事には意味がない。狭い範囲だけに特化した知識といふのは、それが如何に精査されてゐても、単なる気持ちの悪い変態的な知識欲、自己顕示欲である。役に立たぬ。縦割り行政が機能しないのと同じである。総覧する必要がある。
『井を掘るは水を得るが爲なり。學を講ずるは道を得るが爲なり。水を得ざれば、掘ること深しと云ども、井とするに足らず。道を得ざれば、講ずること勤むと云ども、學とするに足らず。』
我が國の場合には特に、神代から連綿と繋がる通史として、その本質をこそ知らねば意味がない。野蛮國のやうに革命でその命脈が断たれる事もなく、一貫してゐる國史が示す事実とは、即ち、私達の命脈が神代から途切れる事なく受け継がれてゐるといふ当り前の事実なのだ。これは革命國家といふ野蛮の中でも動かぬ事実なのだが、それを体現してゐるのが我が國であり、皇統である。
今に生きる私達が、今ここに在るといふのは過去の御蔭である。
当り前過ぎて意識する事もなく「親が勝手に生んだものだ。後は手前の勝手にやらせて貰ふ。」といふ恥知らずな個人主義を振りかざすといふのは、まさに野蛮の極みでしかない。
さうであるからこそ、國史を知らねばならぬ。特に軍記物語は重要だ。
それが今では毎年八月ともなれば「戦争体験」だの「語り部」だのと単なる戦争犯罪被害者や詐欺師を連れ出してその苛烈さや悲惨さだけを論ふ訣だが、それだけの痛みを伴ふ戦を一体、何の爲に行ひ、その結果としてどうなつたのかといふ大局を語る者はゐないではないか。
戦争が悲惨だ悲惨だといふのなら、それだけ賊軍であるアメリカなどが卑劣であり、それが非戦闘員をも無差別に、残酷に、攻撃したといふ事である。それは単なる戦争犯罪でしかない。
そして、その悲惨さを痛感すべきは、欧米列強の世界支配を挫き、諸國を解放した上で、已む無く停戦に応じた我が國の側ではなく、その暴虐と高慢を意固地に堅持した狂信者であるアメリカ始め連合國の方である。更にそのアメリカは國是ともいへる侵略戦争を間断なく続けて来てゐるが、それを反省するやうな事もない。アメリカがそれをしたならば、それは詰まりアメリカとその世界秩序の崩壊だと思ふのだが、今日に至ればそれらなくして世界の平和は維持出来ないといふ本末転倒な倒錯者が多く生まれてゐる程なのだ。
気狂ひも大概にしろ。
アメリカや嘗てのソ連のやうな大國の後見がなければ、私達は自國と世界の平和を維持出来ない程の禁治産者なのか。
大國であるといふだけならば、アメリカやソ連よりも嘗ての蒙古の方が余程大國だらう。その蒙古は侵略を我が國にも向けてきた。私達の祖先はこの脅威に対してどのやうに向き合つたのであつたか。
「大國に対して無謀にも挑むのは愚かだ!『和の精神』!融和を基調として蒙古の侵略を従順に受け入れ、占領されても、彼らの提示する規範を元にして経綸する事が、現実的であり、正しいのだ!」といふのが戦後保守派といふものであらうけれども、仮にそれをしてゐればその場では幾らかが助かるかも知れない。しかし、その場合には我が國は今日に至るまでに滅亡してゐただらう。
無論、一人も残さずに命を断たれるといふ事はあり得ないのだから、仮に、その後の歴史を想像した時に、今の私達と同じやうな存在が、その世界でも存在してゐる事だらう。今の私とその世界でも私との遺伝子配列を比べると同一人物であるといふ事もあり得るのかも知れない。しかし、そこには致命的な壁が存在してゐる。神代からの命脈を祀る独立國・神國日本の臣民として存在するのか、それを欠いた単なる経済動物として存在するのか、といふ壁である。
ただ「己の命」だけがあれば、それで人間といへるだらうか。
「神國日本には神風が吹く」といふ妄言を真に受ける阿呆は除くとしても、動かぬ歴史事実として、本来の意味としての神國・伝統ある独立國家の在り方を如何に示して来たのかを知らねばならない。
「日出づる処の天子,書を日没する処の天子に致す。恙なきや」隋の煬帝へ送つた國書にさう述べた聖徳太子、列強による差別的で不條理な世界支配に対して大東亜戦争を戦ひ抜いた昭和天皇。この一貫性とは我が國の國體に沿ふものであり、それをそれこそ天壌無窮に護持し、子らへと継承するものである。
「和」を以て大國に対しても堂々と道理を述べた國書の精神は、「和魂漢才」「大和心」を説く源氏物語にも見える。そしてそれが國史の背骨として脈々と継承されてゐるからこそ元寇の対馬に於いて、地頭代・宗介國(資國)と郎党は微笑みながら死地へと入つた筈であり、それは楠木正成、正季の兄弟、その子である正行もやはり同じであり、さうであれば忠臣蔵・赤穂浪士の尊皇の義挙も同じであるし、それは大東亜聖戦に於ける神風特別攻撃隊も同じなのだ。
本懐である。
忠義の爲に我が身を捨てるその姿、特攻隊員の勇姿を受けて「人間の尊厳を示した」といふ外つ國の人もゐたさうだが、これは全くその通りである。
何故ならば、それらの忠義の背景、根底には我が國の在り方の「大義」があるからだ。それは誰しもが親の子であり、祖なくしては存在し得ないといふ感謝と報恩に基づく「祭祀の道」である。この科学的な事実には大國も小國もない普遍的なものだ。その普遍性を大義として、その國體を護持し続ける大和魂があるからこそ、我が國は、私達は今ここに在るのだ。
國史でも軍記物語でも、それをどのやうに読ませるか、見せるかといふ事は演出の方向性で変へる事が出来る。しかし、我が國の通史を見た時、そこに途切れる事のない幹が見える。それこそが未だ動かぬ日本の國幹、國體だ。
まづは、國史に、軍記物に触れる事から始めよう。
最近では軍記物といへる時代劇はあまり放送してゐないやうだが、丁度、軍記物であると思はれる「アンゴルモア 元寇合戦記」といふのがある。
これがどの程度史実に沿ひ、どのやうな視点からの歴史なのかは知らないが、触れる切掛として取り合へず、お勧め出来る。
因みに、これには義経流(京八流)といふ九郎判官・源義経の創流した兵法が登場するのだが、これつて義経公がチンギス・カン説なのか?
この説は謬説ださうなのだが、これを根拠として元寇は義経公がチンギス・カンであり、朝敵として衣川へと追ひ詰められた事を恨みに思ひ、凡そ百年の後に日本へと攻めてきたといふ言説がある。しかし、判官兼検非違使を任された義経公とは朝敵と貶められて尚、揺るがぬ尊皇の人であつた筈だ。これは太宰府へと追はれた菅公・菅原道真や楠公・楠木正成、堂々の討入を敢行し見事に果てた赤穂浪士、敬神党の乱や戊辰戦争や西南戦争で討たれた尊皇の士等、南洲翁・西郷隆盛と共通する事と思ふ。
(余談だが義経公が落ち延びてチンギス・カンだといふよりは、実は楠木一党の祖であるとかその軍学師範だといふ方がまだ納得出来るし、私はそのやうに思へて仕方ない。)
我が國の國體護持は、大義と忠義、忠と孝が一如であると知る尊皇の志厚い少数の人達により動かされてきた事は事実だ。しかし、それらの維新回天がなつて仕舞へば、逆にそれらの人々はその尊皇の志が厚い故に政治の場から疎んじられ、退場させられてゐるやうに見えるのも、やはり事実ではあるまいか。
そこで國史の本質がまた現れると思ふ。尊皇の爲、即ち國體護持の爲に我が身を捨てた人々は、世の中の風向きが変り、己が逆に朝敵と貶められて尚、その至誠は一貫してゐたのだ。
『其の分れる所は、僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなす積もり』
この事は恐らく、大國に対する時の態度と相似してゐる。相手が強大であるからと保身に走り、諂ふ態度で経綸してゐたならば、既に我が國は滅亡してゐただらう。そして、隋への國書にしろ、元寇にしろ、諂ふ事なく道理を突き通した事で我が國を後世へと繋げる事が出来たのだ。
「現実的ではない。危険だ。そんな事は恐ろしい。無理に決まつてゐる。」と現実から逃避してばかりゐる連中は國體護持の実践に於いて、その大業が成されたとしても「あんな無謀な真似をして、たまたま神風が吹いて事なきを得ただけだ。桑原桑原。」と言ひ訣をするばかりで、実際に我が國を護り続けてきた人達の歩み、現実を直視出来ずにゐる。「現実的」だと自分達が勝手に定めた線引の中に引き籠つた役立たずでしかない。それで祖々から戴いた命に対して恥ずかしくないのか、この人でなしの恩知らず。
これらの尻子玉を抜かれたやうな奴原は、そもそも順序が逆なのだ。本末転倒とはこの事だ。まづ立志があり行動するからこそ、そこに能動的な結果が付いて来るのであつて、只々受け身の「事なかれ主義」の自分達にはいつまでも受動的な結果しか付いて来ない。さうであるからお前達はいつまで経つても駄目なのだ。まづ必要なのは、人でいふなら学問と立志であり、國でいふなら國柄を明らかにし立法、規範を立てる事である。
前提が誤つてゐたならば、如何に努めても望む結果は出ない。
ではその前提の明文化である法や規範は如何なる場合に正しいのか、非理法権天。天意といふ道理、原理原則、要するに國體に沿ふ場合に法は正しい。それを稜威奇しき法、憲法といふ。戦後日本といふ連合國GHQの侵略占領体制に於いてはその憲法だと認識されてゐるものが「オレオレ詐欺」のやうな「成り済まし」、「アメリカ製の保護條約」なのだ。だからこそ、今日の迷走がある、必然だ。正しく方位を示さぬ羅針盤といふよりは主にアメリカの國益を指し示し内政干渉でしかない羅針盤とそれに従属する戦後日本政府が、皇國日本を今も破壊してゐる。憲法典が必要だといふならば、それは既に我が國の國體に沿ふ形で存在してゐる。明治二十二年公布だ。まかり間違つても聯合國との多國間合意が國内法である憲法とはなり得ない。
皇國の破壊、その國體の否定とは、即ち親と子の、家族の否定であり、祖先と子孫との断裂である。個人主義礼賛の阿呆共には意味が分らないだらうけれども、これは結局、全体主義のやり口である。全体主義が共産主義や社会主義、ナチズムやら毛や主体やらだけだと考へてゐる思考停止の脳足りんは気付きもしないが、例へば冷戦構造に於ける東西の違ひとは、全体主義か、それ以外か、といふ構造ではない。東の全体主義に付くか、それとも西の全体主義に付くかといふだけの詐欺のやうな出来レースだ。奴原の病根は根深い。それこそその國家としての、歴史としての前提が誤つてゐる。正しくいふなら皇統を戴かぬ爲に祭祀といふ本質を欠いてゐる。これが致命的な思ひ上りなのだ。
皇國臣民よ。貴様だ!目を覚ませ!
一所懸命ならぬ國體懸命だ!
いくさして しぬもしなすも のぞまぬが やむにやまれぬ やまとたましひ
(軍して 死ぬも死なすも 望まぬが 已むに已まれぬ 大和魂)
やむをえず いくさのにはに たつならば わがみくだきて むくゆしあはせ
(已むを得ず 軍の庭に たつならば 我が身砕きて 報ゆ仕合せ)
くにのため くだくわがみの うれしさは こらのゆくすゑ つなぐたのしみ
(皇國の爲 砕く我が身の 嬉しさは 兒等へ行く末 繋ぐ樂しみ)