こういってはナンだがロシアの情報サイトから来た話なので眉にツバをつけるとしても、世界の住宅の室温を比較したとき日本がダントツに低いという調査結果には妙な説得力がある。

room temperature

極寒ロシアの24度に対し、日本は10度。寒いところほど猛烈に暖める傾向があるとはいえ、この差はけっこう大きい。

押しなべていえば日本と似たような気候(気温)と思われるフランスの16.8度と比べてもかなり低い。

日本人が室温10度の居間で震えながらメシを食っているのかといえば多分そうではない。この数字はすべての部屋の平均値と思われ、そうであれば部屋ごとに冷暖房をする日本が低くなるのは当然だ。

また日本にはコタツがあり、足を暖めるぶん室温は低めでも過ごしやすいという事情もあるだろう。

だがコタツを抜け出し、くっそ寒い廊下をトイレに向かうたびゾゾッとする生活は、健康によくない。年寄りはこれでよく倒れる。

温水洗浄便座というまことに健康的な発明をした日本人が、こと室温ということになるとこれほど無頓着なのはなぜだろう。


伝統的な日本の家屋は、もっぱら夏場に合わせて作られているような気がする。

蒸し暑い季節、戸や窓を開け放して家じゅうに風を通し、快適に過ごせるようにはなっている。だが壁・床・天井の断熱性能がきわめて低いせいで、冬寒い。

九州など温暖な土地はともかく、北日本にあっても高断熱構造やしっかりとした暖房が発達しなかった。

朝鮮半島では三国時代(紀元前1世紀~紀元後7世紀、高句麗・新羅・百済)には床暖房オンドルが使われていた。そういう地域と政治的・文化的に密接な結びつきがありながら、日本人はなぜかオンドルを採り入れることはしなかった。

身近にある格好の手本から影響を受けることなく、歯を食いしばって寒い住居に耐えてきたことは人類史上の奇観といっていい。

その意味ではコタツも、屋内を暖かく保つ仕組みが未発達だから一般化したその場しのぎ的なものだったような気がする。


暖房をめぐる日本人の不思議な意識は、けっこう頑固なものであるらしい。

テレビ番組の取材である国立大学の教授に話を聞いたとき、日本の伝統的な家屋の暖房性能の話題になり、先生はこうおっしゃった。

「日本の家は決して寒くはないんですよ。障子戸の前に衝立(ついたて)一枚を立てるだけで、廊下から入って来る冷気が和らぐんです」

tsuitate screen

俺は内心のけぞった。衝立の効果は確かにあるかもしれない。だがそれは、室温5度の部屋がせいぜい5.2度に感じられるという程度のものに違いない。そういう家に暮らしたことのある俺は断言できる。

だが先生には、日本式は優れているという強い信念があるようだった。

「そういうわけで日本家屋は寒いという人がいるけど、実は暖かいんです。衝立一枚あれば、あとは火鉢で指先を暖めるだけでけっこう快適に過ごせるんです」

これはもう宗教ですね。

こんなふうにニッポン万歳、日本の文化はなんでも優れている的な話をする人がいるから、高断熱としっかりした暖房の家の普及が遅れるのか...

とセンセイのご尊顔をまじまじと見つめながら俺は思った。十数年前のことではあるけれど。


近年は政策誘導もあり高気密・高断熱の住宅が増えてはいるが、空調ということになると部屋ごとの冷暖房が今でも一般的だろう。

日本では省エネ意識が高いことから「ムダに家じゅうを暖めるなんて」という批判が根強いようだ。住宅性能が低かった時代はその通りだったかもしれないが、はたして今はどうなのかね。

子供のころ与えられた二階の部屋は、とくに冷え込んだ日には朝目覚めると掛布団に白く霜がつくような環境で暮らしたからかもしれないが、セントラル空調が24時間運転されるアメリカの住居をことのほか快適に感じる。

いま日本へ帰ったら、たとえ鉄筋コンクリートの集合住宅であっても廊下やトイレでブルッとするのかと思えば、それだけで足が向かない気がする。

人間、一度おぼえた贅沢を失うのは辛い。


なーんてことをだな、アメリカを離れる日が近づいた今、つらつらと考えておるわけで。


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