『アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語』 | First Chance to See...

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 ロシア文学が好き、中でも『アンナ・カレーニナ』が一番好き。となると、「恋人ヴロンスキーの視点で語り直したアンナ・カレーニナの映画」が公開されれば、やはり見逃すわけにはいきません。

 

 

 アンナの自死から約30年後、軍医となり日露戦争で満州の戦場へと赴いた息子セルゲイは、負傷した将校ヴロンスキーと出会った。セルゲイにとってヴロンスキーは、自分の母親をたぶらかした挙句、自死に追いやった憎い相手。でも、父親も妹も死んでしまった今となっては、自分の母親に何があったのかを知る唯一の手がかりでもある。ヴロンスキーは、セルゲイの求めに応じ、「30年前で記憶が捏造されているところもあるかもしれない」云々と前置きした上で、アンナとの思い出を語り始めた。

 

 という話の枠組みは上々。『アンナ・カレーニナ』という小説は人妻のよろめき話におさまらない多くの内容や登場人物を含んでいるけれど、あくまでヴロンスキーの視点から語るとなれば、ヴロンスキーの知りえないこと、眼中にないことについてはばっさり省略して差し支えないからだ。が、この映画、せっかくこういう枠組みを設定しておきながら、ヴロンスキーが知り得るはずもないアンナとアンナの夫との二人きりの会話といったものまで挟み込んでいる。確かに、ヴロンスキーとアンナのラブラブ話なんて原作小説の中でもっとも面白みに欠けるところだったりするので、ドラマチックな葛藤を見せるためにはアンナとアンナの夫の対決を入れないわけにはいかなかったんだろうけど。

 

 あと、いくら最初に「記憶が事実通りとは限らない」と断っているとは言え、ヴロンスキーが語る内容は原作『アンナ・カレーニナ』と細部で微妙に異なっていて(ヴロンスキーがアンナに愛の告白をするのはモスクワを出発した列車がペテルブルクの駅に着いてからじゃなくて、ペテルブルクに向かう途中の駅だったよね、とか)、こういう原作との相違点はヴロンスキーによる記憶の捏造とみなすべきなのかと首を捻ることしばし。競馬のシーンとかなかなか迫力があってよかったけど、原作でヴロンスキーが愛馬とともに飛び越える柵の先には水が入った溝があるんじゃなかったっけ、とか、つい確認しようとしたら、原作小説があんまりおもしろくてまた読みふけりそうになったじゃないの〜!