山川町の忌部神社に行って参りました。

国道を通るたびに気になっていた忌部神社の看板。
国道192号線から1キロほど南に走行すると鳥居⛩が見えてきました。

忌部神社は、大嘗祭のあたらえの反物を織る神社だそうです。

先日の、三ツ木神社で紡がれた糸を反物に織る神社と聞きました。



みた瞬間、とてもクリアー✨忌部神社の文字が輝いてみえました。

小さいけれど、とても綺麗な神社で、いつまでも居れる感じ。

新しい畳のい草の香りに癒されました。






麻でできた注連縄




アップ




そもそも、本来は注連縄は麻で作られるのだそうです。


麻は、日本人の生活に密着していたのだけど、
GHQなんとかかんとかで、飲酒法に変わり大麻取締法ができたのだとか、、、


麻は、薬にも、衣服にも、食事にもなっていたのだそうです。

嫁に来た当初、自宅の庭に大麻が咲いていたようで
ある日、通報があったようで、警察👮‍♂️の方がやって撤去されたのを思い出します。

知らずに咲いていたようです。義父母は、綺麗な花だなと思っていたようで。💦

そんな麻の思い出もあったりします。

今、麻の注連縄を神社に⛩復活させようという動きもあるようです。







忌部神社の、社紋は、『 麻』



赤土も美しい






下から登ってくるとこちらに。


もっと下の石段は修理中










忌部神社の場所は五所神社か?山崎忌部神社か?で揉めたあげく、徳島市内に新たに設けられたようです。

なんだかなぁ、、、
 
そもそもどちらも正解って感じだそうで、、、

古墳もあるし、山川でええやんって思いますが、、




源義経のグッズ?も納められているとか、、、




平成天皇の大嘗祭の際、あらたえが織られたという記念碑




修理中のこの階段を使用するようです。



駐車場や境内も、何台かの働く車🚜で、お手入れ中です。






それはそうと、徳島県の麻植郡という地名が消えました。なんて悲しい。何故に?


麻を植えるという名にちなんだ、麻植は、
歴史的にはみても重要な地名だったのに。
かわりに、吉野川市と命名されました。



『その国の歴史が100年間正しく伝わらないとその国は滅びる  』と言われ、今日本は、正しく歴史が伝わらないまま70数年が過ぎたようです。


いま、再び麻植という地名を戻そうという動きもあるようです。
ぜひ、復活してほしいものです。





忌部山古墳は、左