『メンタルが強い人がやめた13の習慣』
エイミー・モーリン
講談社+α文庫
900円+税
2019年10月刊(12月21日 記)
私に関する限り、メンタルでは全く心配していませんが、悩める読者の皆さんの参考になればというので紹介します。
著者はアメリカでサイコセラピストとしてキャリアを積んだ人でした。その著者が若い時に母を喪い、3年間の失意状態の中、やっと立ち直りつつあった時、今度は夫を喪いました。そのショック状態の途上、新しいパートナーを見つけ、新たな目標に向かって生きる中で、あれこれ考えたことがベースになっています。
目次をざっと見ると、
メンタルの力とは?
自分を哀れむ習慣をやめる
自分の力を手放す習慣をやめる
現状維持の習慣をやめる
どうにもならないことで悩む習慣をやめる
みんなにいい顔をする習慣をやめる
リスクを取らない習慣をやめる
過去を引きずる習慣をやめる
同じ過ちを繰り返す習慣をやめる
人の成功に嫉妬する習慣をやめる
一度の失敗でくじける習慣をやめる
孤独を恐れる習慣をやめる
自分は特別だと思う習慣をやめる
すぐに結果を求める習慣をやめる
となっていましたが、心当たりのある人、少なくないかもしれませんね。
冒頭で、メンタルが強くなりやすい人には、いくつかの要因があるとして、
遺伝
性格
経験
を挙げていました。
そして、メンタルの力を理解するには、思考と行動と感情がいかにリンクしているかを知らなくてはならないと述べています。
次に、メンタルをめぐる誤解、誤った情報に流されないために8つの真実を紹介していますが、その8つとは、
メンタルが強いこととタフに振る舞うことは違う
感情を無視する必要はない
身体をマシンのように扱う必要はない
全てを自分でやる必要はない
メンタルが強いことと、ポジティブ思考は違う
メンタルの力を育むことは、幸せを追い求めることとは違う
ウケ狙いの心理学の最新トレンドではない
心の健康とイコールではない
ということでした。
著者は、メンタルが強くなれば、
ストレスに強くなる
人生への満足度が高まる
業績が上がる
としています。
では、具体的にどうするか、何に気を付けるかということで前出の13の点につき説明していました。失意の底に沈んでいる時は行動する、行動で気分を変えようと唱えています。
何かで落ち込む、そういう時は人と話すのを避けることが少なくないようですが、それは逆効果です。人と話すことで、解決はしなくても、胸の中の風通しは良くなります。話すことを避けるのは、自分からもっと失意の底に沈んでいたいと行動しているようなものです。
著者は、
意義あることに参加する
とにかく周りに親切にする
アクティブになる
と助言していましたが、行動が思考を変えることも知って下さい。
すぐにこれができない人に対しては、
この状況を別の視点で見るとどうなる?
大切な人がこの問題を抱えていたら、何とアドバイスする?
この状況を克服できる根拠はある?
という考え方をしてみます。
さらに著者は感謝について考え、
感謝日記をつける
朝晩、感謝をつぶやく
自分を哀れみだしたら、チャンネルを変える
周りの人に何に感謝しているか尋ねる
子どもに感謝を教える
これを励行せよと勧めていました。
この感謝するという心の持ち方はすっごく重要で、自他にとっても善いことです!誰かに、何かに感謝できる心を持っている時の、その人の状態は健全とも言えます。
自分は変わりたいと考えている人が変われない理由として著者は、
そんなに悪いことじゃないと正当化する
日常が変わることに強い不安を感じる
変化を起こすと、もっと悪化するかもと心配になる
行動を先延ばしにしている
などを指摘していましたが、一歩を踏み出してしまえばなんとかなることの方が多いはずです。
どうにもならないことで悩む習慣をやめるの項でも、自分で全てをコントロールすることをやめ、自分の努力でやれること、変えられることにシフトするということを提唱しています。
失敗ということについては、
失敗に対する根拠のない思い込み
失敗は受け入れがたい
自分は完璧な成功者(又は、失敗者)だ
失敗は、いつも全て自分のせいだ
力不足で失敗した
自分には成功する力がない
などと考えるのはやめ、失敗は決して悪いことではなく、学びの場と考えることを主張していました。全く、同感です。人は試行錯誤することで覚えていく、工夫するという面があります。失敗を恐れて何もしないのは、次への大きなリスクです。
本書、この他にもさまざまな考え方、方法が並んでいましたが、参考にはなるでしょう。というのは、どんなに優れた書を読んでも、それだけではメンタルは強くなりません。生きていく中で、多くの苦難、困難、危険などの場面を経験していかなければ、本当のメンタルの強さは得られないのです。
人の真価、本性は、何か悪いことが起きた時でないと表われません。その悪い時に、どう考え、行動できるかです。
私に関して言えば、何か悪いことや苦境が訪れて、行動が変わることはありません。何があろうと、平生と同じルーティン、行動を続けるだけです。
何かに左右されて、やめるとか、挫けることが自分はできないというのを中学生の時に痛感し、以来、諸々の不運に見舞われても、
「どう対応するか楽しんでやれ」
などと反射的に考えるようになっていますし、自分の努力で変えられないことを気にするのは愚かだ、と気にかけないようにしてきました。
判決の前にも、自分の判決でさえ軽くなれと考えたことはただの一度もなく、求刑が期待した死刑でなく、非常にがっかりした際も、「しゃあない」と即座に気分と思考を切り換えています。
最大の失意は、あのオヤジの死でしたが、悲しいものの、就寝まではいつもと変わらず、運動、読書、勉強を続けていましたし、やはり自分はこういう人間(左右されてやめる、休むなどない)なんだと、改めて納得したものです。そうして、就寝時間となって床の中に入ってから悲しみと付き合いました。
他にも暑さ、寒さ、病気、怪我に左右されることはありません。アキレス腱を切って手術した日も、病室で手術後に筋トレをやって、看護婦さん(当時はこの呼称でした)が呆れていましたし、拳を骨折した時も、普段と同じくボコボコ戦っていたくらいです。
なんたって我がオヤジの、
「男には痛いという言葉はない。体が変形しないようでは大したもんじゃない」
という言葉が小さい頃から胸にありましたから。
現在の生活でも社会や中のことで次々に状況が悪くなる時もありますが、
「何とかしていくしかない」
と気分を切り換えるのは一瞬のことです。
皆さんの日々の暮らしでも、がっかりする、ショックを受ける(投資での損もあるでしょう)という局面があるでしょうが、悩んでも解決も進歩もありません。自力でどうにかできることには最善を尽くし、どうにもならないことは、
「どうせ、あとには笑い話、思い出話になるんだ」
と気分を切り換えることです。いつまでも愚痴ばかり言っていると、根性が腐りますよ!
最近は、自分で悪いことをしておいて長期刑を科されたのに、がっかりして移送されて来る受刑者の『励まし係』を楽しんでいます。この手合いには、真面目かつ思い詰めるタイプが多いので、結構、更生の話になるのが嬉しいです。「俺みたく、獄死になりたいか?」というと効果があります。
本書、参考にはなる一冊です!
『参った時は、自分のことを笑えるように練習するチャンスにしてしまえ!』
(美達大和)
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ヤクザ、極右、極左、半グレ・・・
いわゆる反社に関わる問題は、主義主張はどうあれ、根底にあるのは「貧困」なのではないか?と感じています。
裕福な家庭に育ってワルになる人間も中にはいるでしょうが、何らかの事情で幼少期に貧困を味わった者が、青年期にワルになると感じるのは偏見でしょうか?
幼い頃から不自由ない暮らし、教育、人間関係があって、なおかつグレるというのは少数派だと感じます。
本当の所はどうなのか知りませんが・・・