F-15イーグルを操るパイロットはイーグル・ドライバーと呼ばれて空の花形ですが、自らは攻撃を受けなければ反撃できないという、世界の軍事上の非常識ルールのため、毎日、文字通り命をかけた任務を続けているのです。

イーグルドライバーは、全員が他国のパイロットと同じく士官であり、いわば自衛隊のエリートとも言えます。彼らはスクランブル発進で他国の飛行機(主に中国とロシアのジェット戦闘機)を発見すると、緊張感がよりいっそう増すと語りますが、当然でしょう。

万一の場合、自分からは攻撃できない以上、相手の一撃を待つか、逃げるかしかありません。戦闘機からの砲撃は撃ってきたとわかった時点で、すでに命中しています。

そのような不利な状況での任務も、憲法の拘束によって専守防衛とされているからです。専守防衛という概念は日本だけの特殊なもので、外国の軍隊にはありません。

人間同士の闘争と同様に、専守防衛を全(まっと)うするには、相手より優(すぐ)れた実力が必要ですし、終わりがなく、自らを弱め、いつかは破れます。憲法の縛りが自衛隊に攻撃性を有する武器・装備の保有を許さず、逆に安全保障と自衛隊を危険にさらしているのです。

日本が法の縛りを受けず本気で防衛を考えれば、世界屈指の技術力で優れた兵器・装備も作れますし、それが戦争をすることではなく、予防することに役に立ちます。

台頭著しい中国の空母に対しても、その気にさえなれば有効なミサイルが作れると、私が信頼を置く軍学者の兵頭二十八(ひょうどうにそはち)氏が語っていました(『サピオ 5月号』)。それは宇宙観測用国産2段式個体ロケット「SS-520」を弾道ミサイルに転用することだそうです。

目標を捉える精度は着弾誤差30メートルなので、中国の空母『遼寧』の艦の幅75メートルに対して十分に使えます。このミサイルを海上自衛隊の護衛艦から発射することで射程1800キロメートルの対艦弾道ミサイルとなるとのことでした。弾道ミサイルですから大気圏外に飛ぶので、巡航ミサイルのように他国の領空を低空で横切り、抗議される懸念もありません。

日本はその気になれば自国の安全保障能力を十分に高められるのです。現在の国際情勢、国際的な日本の立場を考慮すれば、専守防衛というのは、自国の利害しか考えていない利己的で、国際社会のなかでは非常識な政策になります。

本年(執筆時、2017年)、日本にとって最大の懸念となった北朝鮮の弾道ミサイルの件にしても、これが正常な安全保障意識を持つ国であれば、相手国が公然と自国を狙っていると公言する以上、ミサイル発射前にその基地(策源地)を攻撃すると決定できるでしょう。

発射されてからでは、国土・国民は100パーセント安全とは言えません。国際軍事常識では、ミサイル発射以前に攻撃する予防的攻撃は当然とされています。日本でもやっと自民党が討議に入ったところです。

皆さんは軍事学という言葉を聞いたことがありますか?欧米の大学・大学院など高等教育機関では必須の分野ですが、日本では防衛大学校以外ではありません。

この軍事学においては、戦力の有形的要素を、

編制、装備、施設、各種兵器の威力・性能・数量等、殺傷力、破壊力、機動力、抗堪性(こうたんせい)

等としています。

編制とは部隊の編成のことを指しますが、自衛隊では編制としているのです。聞き慣れない言葉として抗堪性があるでしょうが、これは敵の攻撃に対処する能力を指しています。

もう一方で、無形的要素というのがあり、部隊・個人の心身両面の能力のことで、

精神力、規律・士気の状態、訓練の成否、団結心、指揮の優劣

等です。

日本は軍制を布(し)いた明治の世から、規律・士気では世界一と定評があり、国民性ゆえ、現在の自衛隊にも継承されてきました。一般に規律が厳正な軍ほど士気も旺盛と言われています。

これら以外には、戦略・戦術とその国の経済力・外交を含む総合的な国力も無形的要素となるのです。この国力には国民の士気・気概も重要となることを知って下さい。

日本は戦後、憲法第九条の制約から、自衛のための必要最小限度の自衛力しか持たずにきました。なかでも相手国の国土を壊滅的に破壊できる「攻撃的兵器」を持つことは、必要最小限度の自衛力という範囲を超えるので許されないことでした。そのため、経済力も技術力もありながら大陸弾道ミサイルICBMや攻撃型空母の保有は許可されません。

この思想のために、戦闘機などの空中給油装置も敵を捉えるレーダーも、本来の機能を封印され、輸送機に至ってもわざと航続距離を抑えられてきたのです。装備・兵器というのは、正しくは防御・攻撃と用途が分かれるようなものではなく、両方を兼ねるものであり、日本のようにわざわざその能力を低下させて使うということは軍事上ではありえません。

これがために、日本を狙っているのが明白な相手国のミサイル基地も、実際に発射準備が始まったのが確認されて初めて行動できるという、世界常識から乖離(かいり)した状態となっています。

専守防衛について、軍事学では一種の聖典にもなっているカール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』において、

「絶対的防衛なるものは、戦争の概念とまったく相容(あいい)れない。もしかかる防御があるとすれば、彼我のうちどちらか一方だけが戦争をすることになるからである。要するに戦争においては、防御もまた相対的な意味をもつにすぎない」

と述べられています。

また、同書では、

「防御は攻撃よりいっそう強力な闘争形式にほかならない」

ともされているのです。

専守防衛という誤った思考のせいで、自衛隊は攻撃力である打撃力や敵地への攻撃を展開する戦力投射力がありません。護憲派は、なにかあるとすぐに「戦争をするのか」「日本は戦争できる国になった」と軍事学的無知に支えられた呪文を唱えますが、自衛隊にそれができる能力がないというのが正解です。

楯を持っていても剣や槍がないために、米軍の存在と日米安全保障条約が欠かせません。弾道ミサイル対処についても『日米防衛協力のための指針ガイドライン』で は、米軍が日本に対し必要な情報を提供する、必要に応じ打撃力を有する部隊の使用を考慮するとなっています。北朝鮮のミサイル発射準備をいち早く知るのは米軍の衛星であり、日本はこの分野で大きく遅れているのです。日米安全保障条約がなければ、このような重要なことも自国で対応できません。

本年4月23日には、朝鮮半島周辺海域に向かうアメリカの原子力空母「カール・ビンソン」を中心とする空母打撃群と、海上自衛隊の2隻の護衛艦が西太平洋で共同訓練をしています。同日付の新聞では、政府は北朝鮮のミサイル発射に対して、避難方法や身の守り方を内閣官房のホームページに載せました。

このようなことも大事でしょうが、安全保障はその有無にかかわらず、常に国として備えておくべきことです。そのためにも正しい知識が必要であることは論を俟(ま)ちません。

イギリスの哲学者のジョン・ロックは、『市民政府論』のなかで、

「攻撃に対して、打撃を受けとめる楯だけで対抗しようとする者、あるいは攻撃者の自信や力を削(そ)ぐために、剣を手にしないで、何かもっと恭(うやうや)しい態度で敵に向かう者は、間もなく抵抗の終点に到達し、こんな防御では、もっとみじめな扱いが我が身にふりかかるだけのことだということを知るであろう」

と述べました。

楯だけで槍も剣も持てない日本がこのまま変われなければ、やがてはこのような運命が待っています。

反日左派は、政府が法制を改めたり、解釈を変えたり、自衛隊が装備を増強するとすぐに戦争をするのだと騒ぎますが、戦争をしないためだからこその行為なのです。

他国に自国の国民を誘拐されても助けられない、他国に領海や領空を侵犯され続ける元凶がどこにあるのか、現実的ではない幻想的観念を唱え続けて自国の主権を守れない状態を見ようともしないことをやめ、真剣に安全保障に向き合う時が到来しています。

現状の憲法・法律では、有事の際に懸命に国を守ろうとする自衛官たちの尊い心情と命を危険にさらすだけです。皆さん一人ひとりの国民の意識と声が彼らを助け、日本を普通の国にしていく一歩となります。


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