ビジネスシーンでは、事実と意見を区別して上司に報告するというコミュニケーションがありますが、日本語は何かと曖昧な表現を多く、衝突を回避する癖のある方は苦手かもしれません。
社会人経験が長かったり、大学やコミュニティで議論を交わすという訓練を積んでいる方は、事実は事実、意見は意見と区別ができますが、経験のない方は自分の話していることが非難されているように聞こえてしまいます。
以下は「事実」と「意見」の違いです。
【事実】
・本当にあった
・現実に存在する
・調査・実験・検証などで必ず確認できる
・世の中の多くの人が「そう」だと認識している
・「正しいor 正しくないか」のどちらか
【意見】
・自分の考え(憶測も含む)
・自分の判断
・調査・実験・検証などで確認できないものもある
・世の中の多くの人が「そう」だとは認識していない
・「正しいor 正しくないか」を決められないこともある
苦手な方は、この区別ができてないし、区別をするという訓練もなかったのかもしれません。
実際、私は若い頃区別ができてなかったので、ずいぶん苦労しました。
ゼミのディスカッションの場では、先生やゼミ仲間たちから突っ込まれることが多かったのですが、今となっては良い体験だったと思います。
さて、スピリチュアルにおける意見と区別について個人的な意見を述べます。
スピリチュアルなことは見えない領域からのことが多いものです。
特に、見えない世界と何らかのコネクションがある方(チャネラーさんや霊能者など)にとっては、自分が見えている世界が一般の人よりも多層のため、他の人から事実と受け止められにくいと嘆く方がいます。
本人にとっては、ガイドや守護霊、天使や神様などと繋がりもありますし、見えないものも見えています。
ましてや、幼い頃から多次元の存在と繋がっている方は、周りから誤解されたりいじめられたりする経験から、その存在に必要以上にこだわる傾向があります。
悲しい時、辛い時に自分から離れず、ずっとそばにいてくれた存在ですから、周りの人間よりも絶大なる信頼があるわけです。
慣れ親しんだ見えない存在からのメッセージや与えられたイメージは、本人にとって確かに『事実』なのですが、一般人からみると事実と証明できるものがないため、一つの『意見』ととらえます。
こういう方とスピリチュアルなテーマについてディスカッションをするとき、彼らにとっては『事実』なことを『意見』として捉えられることは、時に失望だったり怒りに変わったりもします。
それは、自分にとっての『事実』を『事実』として受け入れてもらうことに固執することが起因していると私は思います。
この三次元の社会においては、前述の通り、事実は『証明できるもの』です。
本人にとっては証明できるもの(見える聞こえる)ですが、見えない人には証明しようがないので『意見』として捉えることしかできません。
このようにして、見える人と見えない人との溝が生まれます。
それは誤解でも何でもなく、見えない人は本当であることが実証できないため意見として聞いているのです。もちろん、納得のいかない『意見』でしたら、ふつうのコミュニケーションと同様に取り入れないだけです。
たとえ、『意見』として受け止められても、相手との信頼関係が生まれたり、自分が感じているものと同じだと共鳴してくれる人と出会えることだってあります。
要は、相手との距離感や信頼度、理解度、そして心の容量などによって、受け入れられるかどうかが決まります。よくある一般的なコミュニケーションと同じです。
やっぱりわかってもらえない、誰も理解してくれないと嘆く方がいますが、
どっちが悪いわけでもありません。
何が言いたいかというと、
特別な力があるから他人に理解されない、誤解されるのではなくて、
能力があってもなくても
みんな同じように他人に受け止められないことには悩むんだよってことです。
(見える人から相談されることが多いので書いてみました)