先日の哲学カフェ、「愚民」という言葉で盛り上がった。

 

言うまでもなく、人には能力差があって、
基本的な社会的ルールさえ、守れぬもの、守ろうとしないものがいる。

 

基本的に、そういう者まで平等に扱うというのが、
「人権」とか「民主主義」とか、近代社会のありようである。

 

社会を、より良い方向に変えよう、というとき、

自分だけの損得にこだわるもの、愚民といっていいだろう。

 

そして、そういう者は、「社会をより良い方向に変える」ということを、

理解しようとさえ、しないものである。

そして、みなと同じ権利を主張するのである。


さらに、

愚民を扇動するものが、力を持つに至って、
近代社会は腐り始める。


もののわかる人はみな、絶望の縁を、

何も見えないふりをしながら、歩いている。


 

(写真は、本文と関係ありませぬ)