1970年、小学校3年生で大阪万博を見て、
2005年、愛・地球博を見たのが44歳の時、

2025年の万博の時、私は64歳である。

万博の基本は、美術館や博物館のようなもので、

「これだけは見ておきたい」と思わせるものを中心に、

大量の展示物を、テーマに沿って見せることで成り立つ。


一方、客の要望は、より参加型・体感型のアトラクションで、

完成された映画ではなく、生の「ショー」であること、

乗り物などで、客自体を「動かしてもらう」こと、
あるいはその場ならではの食事など、

なんなら、入場料と別のカネを払ってでも
そういうサービスを、されたいものなのである。

(ただ、こういうアトラクションは大量の客をさばくことが難しく、
 おいおい、行列ができることになる)

 

むかし、イベントに客を呼ぶ手段など、3つしかない、ときいた。

1.タダで何かもらえる、

2.有料でも、何かうまいものが食える、
3.見たことのないものが見られる、
これだけだそうである。

 

万博というと、何か「最新テクノロジー」の見られる場、というイメージがあって、

AI(人口知能)による問題解決や、VR(仮想現実)を活用した映像で、などという話になるようだが、

技術など、何かを成し遂げるための「ツール」でしかない。
 

高精細画像も、4K8Kが今年から実用化され、家庭で楽しめるようになる。

それでいくら「ホントは目の前にないもの」を見せてもらったところで、
「見たことのないものを見た」という満足感はなかろう。

わざわざ万博会場に出かける意味を感じさせることは難しい。

 

世界から人々が見に来たくなるような「本物」

「いのち輝く」というテーマに沿うような、生身の人間の技

より環境に配慮した、建築やライフスタイル

そういうものを、ショーアップして、
かつストーリーを持って提示していくことこそが、
21世紀になっても変わらぬ、万博の姿であろう。
それは、現在のIT技術で充分可能なことだろうと思う。

たとえば、「日本のスウェーデン」といわれる富山県の風景、

手仕事を基本に、地域の文化と風土に根ざして生きる人々、


そういうものを、「リアルタイム」で会場の人に届け、

さらに、会場の人が見たいところにドローンのカメラが移動し、
そこで見かけた人と話ができるとすれば、

それは立派な展示にならないだろうか?