イランとアメリカとの対立、
イランの大チョンボ(旅客機撃墜)で、ケリがつきそうである。
以前、日本人のルーツについて、
「幾度にもわたって、大陸や南方から渡ってきた人たちが融合した」
と書いたことがある。
だから、白黒つけるのが苦手、であり、
柄にもなく、世界秩序に乗り出そうとして失敗したのが、太平洋戦争ではないか、と思っている。
軍事行動は、いかにして止めるか、仲介役を得るか、それを想定せずして起こせるはずがないものである。(ただ、想定通りになるかどうかは、別問題)
その後、冷戦といわれた時代、
それでも、それなりに世界の秩序は保たれていたと感じる。
日本も、世界の警察たるアメリカに軍事面を委ねて、
その状態は、日米双方に、相応のメリットのあることだった。
1989年は、ベルリンの壁が崩壊した年だが、天安門事件の年でもある。
ソ連の代わりに、中国が、「アメリカ的世界秩序」の対抗軸になっていく
ターニングポイントだったのだろうと思う。
日本の相対的な沈没はともかくとして、
その後、BRICsを中心に、世界が経済的に「豊か」になったのは間違いない。
アメリカも、相対的に影響力が小さくなるのは、むしろ「良いこと」かもしれない。
そして困ったことに、
経済が停滞すると、政治軍事が話題になる。
かといって、
アメリカの
「楽天的な豊かさを実現するための、複雑な『飴と鞭』戦略」
好きではない。
もちろん、中国のように
「すべてを一元的に管理することで、全員が幸福になれる」
と言われても、信頼できるわけがない。
さらに、ロシアやイランのように、
「俺の言うことを聞いていれば、他国を出し抜ける」
という指導者がのさばる国にも、したくない。
情報は、ネットを駆け巡る。
どこかに依存したり、何かの真似をして、
一つの国が、やっていけるという時代ではなくなっている。
他をリードするようなビジョンを持っているか、
さらに、それを実験する勇気と余裕があるか。
今はそれこそが「先進国」の意味なのだと思う。