大分前に「法律と通達」という稿を起こしています。そこでは,男性のカットを美容室でしないようにとの,厚労省の通達があるというのを起点に,美容師法と理容師法とに絡める形で,通達のお話をしました。そこでの副題は「司法解釈と行政解釈」でした。その副題のとおり,「裁判所」ないし,「法解釈」という土俵でお話を進めています。

今回は,それとは少し異なった視点で「通達」について少しだけ掘り下げてみようと思います。

 

通達というのは,行政法講学上は,「各大臣などの行政機関の長がその所掌事務に関して,所管の諸機関や職員に示達する形式の一種」とされ,「行政規則」の性質を持つと説明されます。この行政規則というのは,「行政機関の定立する一般的規範のうち,『法規』の性質を有しないもの」と説明されますが,一言で言ってしまえば,「私人の権利義務を直接規制しない行政内部のルール」ということになります(ちなみに,私人の権利義務を直接規制する(これが「法規」です)行政の作るルールを「法規命令」ということがあります。政令や省令の一部は法規命令です)。少しややこしさは残りますが,したがって,「通達」それ自体は,国民を直接縛るルールというよりは,行政を(行政指導の指針などのために)縛るルールであるということになります。

 

しかし,国家資格のうち司法試験を除くものでは,「通達」の内容についての理解を求める資格試験も少なくありません。前掲拙稿で示したように,これが「裁判所を(必ずしも)縛らないルール」だとすれば,通達内容を資格試験に出すというのは危険だという見方もできましょう(なぜなら,将来裁判所で否定される可能性もあるからです)。

他方で,通達が行政内部のルールだということは,行政官(要するに公務員)はその内容を無視し得ません。つまり,行政官はその通達に従った法の運用をしてくるということです。そうだとすれば,その通達が示すような体裁の申請書などが必要であったり,あるいは,(不利益)処分の基準などがそこに示されているのであれば,自らの行動の指針にもなるわけです。まして,法律家ではない国家資格となれば,抽象的規範である法律よりも,(まだ抽象的とは言え)幾分具体的な通達の方が分かりがよいということも当然あり得ます。

そうすると,通達のもつ「事実上の社会規範性」というのは無視し得ないのです。

 

通達が法律でないが故の(法的な)非拘束力と,通達が行政ルールであるが故の(事実上の)拘束力との間で,市民は引き裂かれる危険があるのです。そのとき,なすがままに通達に従うばかりを是とするのではなく,いわば人権のような基本的な思考を基礎にして判断することは必ずしもムダではありません。そのためにもリーガルリテラシーというのは不可欠だともいえるのです。


人気ブログランキング