啓示5-7章-子羊が第一から第六の封印を開く(17)四人のみ使いとは誰か | ヨハネのブログ

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  啓示7章に入るとヨハネは、「四人のみ使いが地の四隅に立ち、地の四方の風をしっかり押さえて、地にも海にも、またどの木にも風が吹かないようにしている」のを見ました。(啓示7:1)今回は、ここの解釈を試みてみます。


 







地の四方の風を押さえている四人のみ使いとは誰ですか




 

(1)証印を携えている別のみ使いとは誰か

 

 ​​ 証印を携えている別のみ使いとは誰でしょうか。地の四隅に立つ四人のみ使いとは誰でしょうか。「み使い」とは、単に「使者」を意味し、その語は、霊者でも、人間でもあり得ます。啓示の書を翻訳した人が、そこの語は、霊者の使いを意味していると考えているので、「み使い」と翻訳されています。しかし、例え、「み使い」という語に訳されていても、単に、人間の使者という意味でもあり得るのです。

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聖書で御使いと翻訳されていても人間の使者を意味する場合がある





 

 四人のみ使いは、別のみ使いから要請を受けます。その別のみ使いは、「日の昇る方角から,生ける神の証印を携えて上って」いきました。彼は,四人のみ使いに大声で言います。「わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損なってはならない」(啓示7:2,3)

 

 証印を押されるとは、聖霊を注がれることを意味し、神とキリストの「相続人として選定された」ことを意味します。(エフェソス1:11,13)パウロはコリント会衆の成員に対して、「あなた方は,主との関連においてわたしの使徒職を確認する証印なのです。」と述べています。(コリント第一9:2)

 

 それで、パウロは一世紀のユダヤ人も非ユダヤ人にもキリストの良いたよりを伝えて、彼らが聖霊で油そそがれるように助けました。パウロだけでなく、クリスチャンがキリストから与えられている務めのひとつは、宣べ伝えてイエスの教えを教えて、イエスの弟子を作ることです。(マタイ28:19)

 

 ですから、証印を押す業は、み使いではなく、聖霊で油そそがれたクリスチャンが行ないます。ですから、「別のみ使い」と言われていても、証印を携えている者は、聖霊で油そそがれたクリスチャンです。
 

(2)地の四方に立つ四人のみ使いとは誰か

 

    「地の四隅」には、「諸国民」がいます。その四人のみ使いは、地の四隅に立っているのですから、諸国民と身近に接しているようです。諸国民の支配者は、「ゴグとマゴグ」です。(啓示20:8)ですから、四人のみ使いは、諸国民の政治支配者になっているわけではありません。

 

 そして、証印を押す業をするクリスチャンが四人のみ使いに風をとどめるように要請をします。しかしながら、み使いは、聖書時代のように人間の前にみ使いとして分かるように登場することはなくなっています。ですから、人間は霊者のみ使いと会話をすることはできなくなっています。



  ですから、別のクリスチャンが呼びかける四人のみ使いたちは、霊者のみ使いたちではなく、聖霊で油そそがれたクリスチャンたちです。



 





四人のみ使いはみ使いと言われていても人間の聖霊で油そそがれたクリスチャンたちを表す





 

 四人のみ使いたちは、基本的に人々が神の道を歩むように助けます。人々が剣をすきに、やりを刈り込みばさみに打ち変えて、戦いをやめ、農業のような平和のための業にいそしむように教えます。(イザヤ2:2-4)それで、その四人のみ使いは、地の四方の風を押さえて、神の怒りの風が吹かないようにする聖霊で油そそがれたクリスチャンです。

 

 四人のみ使いたちが地の四方の風が吹かないように押さえている間、神の奴隷たちの額に証印を押す業が行われます。つまり、十四万四千人が選ばれて訓練されて集められる業が行われます。(啓示7:4)このように聖霊で油そそがれたクリスチャンたちは、行う業の種類が異なっても、互いに協力して、補い合って仕事をしています。

 

 同時に、四人のみ使いは、「地と海を損なうこと」を許されているようです。(啓示7:2)当然、四人のみ使いたちが風が吹かないように押さえる努力をやめてしまったら、地の四方の風が吹くことになり、大患難が始まりますから、四人のみ使いは「地と海を損なうこと」になります。

 

(3)別のみ使いが日の昇る方角から来るとは

 

 証印を持つ別のみ使いは、日の昇る方角から、上って行きます。日の昇る方角とは、どこを意味するでしょうか。日の昇る方角とは、簡単に言えば、東を意味します。イザヤの預言の中では、聖書時代に、中東の東方からペルシャのキュロスは登場して、日の昇る方角から来る王になりました。(イザヤ46:11)

 

 啓示の書の「日の昇る方角」とは、象徴的な意味があるはずです。しかし、中東や北アフリカ、中央アジア、一部のヨーロッパ諸国の中で、東の方角にある地域を意味するのではないかと思います。

 

 そこから、証印を持つみ使いが登場します。そこの地域から聖霊で油そそがれたクリスチャンが登場するのでしょうか。なぜ、日の昇る方角が特記されているのでしょうか。これは、十分、確信があるわけではありませんが、推測を述べてみます。


 日の昇る方角からは王が登場することになっていました。(啓示16:12)聖書時代は、ペルシャのキュロスは、日の昇る方角、つまり、中東の東方からバビロンを打倒して、エホバのご意志を遂行することになる王として登場しました。また、ペルシャのキュロスは、日の昇る方から来る猛きんとしても予告されていました。(イザヤ46:11)

 それで、日の昇る方角から、将来北の王が登場することになるでしょう。さらに、聖書には、北の王が将来キリスト教に改宗することを予告しています。(ダニエル11:30。啓示13:11)北の王はもともとイスラム教です。そのため、北の王の国では、宣教は遅れる可能性があります。


 しかしながら、北の王がキリスト教に改宗する時に、キリスト教の宣教は、遅ればせながら、急速に進展することになるでしょう。その時に、北の王の支配地域で宣教に携わるクリスチャンたちは、四人の御使いたちに、エホバの怒りの風が吹かないようにして、大患難の到来が遅くなる努力を払うように要請することになるのではないかと思います。そのような事態の進展をこの啓示の部分は、予告しているのかもしれません。

 


 

(4)大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使い


 啓示9章に、大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使いをほどきなさいという命令が出されています。(啓示9:4)この四人のみ使いは、啓示7章の四人のみ使いと同じ実体なのでしょうか。
 

   もし、そうであれば、大いなるバビロンは愚かにも、大患難を抑制する働きをする四人のみ使いを迫害して、大いなるバビロンに捕らわれとしてつなぐということをするのかもしれません。そうすると、四人のみ使いが大患難の風が吹かないように働いている働きは、なくなることになるのでしょうか。

 

 しかし、この点はまだ十分分からないので、これからも検討していきます。

 

​​​​ それで、聖霊で油そそがれたクリスチャンは大患難が生じるように働くのではなく、大患難が生じないように働いています。南の王を含めて迫害者たちは、聖霊で油そそがれたクリスチャンの仕事を妨げない方が、自らの存続期間を長くし、自国の益になるでしょう。


四人のみ使いは大患難が到来しないように働く