啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(25)新・天から落ちる星が水を苦くする | ヨハネのブログ

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 第三のみ使いがラッパを吹くと、ともしびのように燃える大きな星が天から落ち、川の三分の一と水のわき出るところとに落ちます。(啓示8:10)そして、川と泉の水の三分の一は苦くなって、苦よもぎになります。そして、それを飲んだ多くの人々が死んでしまいます。(啓示8:11)

 

 以前、「啓示8・9章-七人のみ使いが第一から第六のラッパを吹く(11)新・大きな星は川と水のわき出るところに落ち水が苦よもぎに変わる」という記事を出しました。現時点では、この天から落ちる苦よもぎと呼ばれる大きな星とは、北の王に率いられるイスラム教の会衆ではないかと考えています。新しい解釈の仮定にのっとって今回は、この部分の解釈にトライしてみます。

 

(1)大きな星が落ちる川と水のわき出るところとは
 

 まず、大きな星が落ちる川と水のわき出るところとは、何を意味しているのでしょうか。とりわけ、川と泉の水が苦くなったとは何を意味しているのでしょうか。

 

 イザヤ43章には、川や水を神が与えて、その川の水を神の民に飲ませるということが書かれています。この水は単に物質的な自然の水ではありません。なぜなら、その水を飲む結果、野の野獣、ジャッカルやだちょうになぞらえられる人が神の栄光をたたえ、神の賛美を詳しく話すようになるからです。(イザヤ43:19-21)

 

    ですから、川と水とは宗教上の教えの水を意味していると思います。とりわけ、キリスト教の教えの水を表わしていると思います。


 

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川の水とは比ゆ的にキリスト教の教えの水






 

 では、水のわき出るところ、すなわち泉とは何を意味するのでしょうか。その泉が苦くなるとは何を意味するでしょうか。ヤコブ書には、人間の舌が語る言葉が出るさまざまな種類の泉があることが述べられています。エホバをほめたたえる言葉が出ることは舌という泉から甘いものをわき出すと表現され、「神に似た様で」存在している人間をのろう言葉は、苦いものがわき出すと表現されています。(ヤコブ3:9,11)
 

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聖書によると口の舌の泉から甘い水か苦い水が出て来る



 

  ですから、人間の舌という泉から甘い水を出す場合と、苦い水を出す場合があり、複数の水の源、泉があります。ですから、複数の泉、つまり複数の人の舌から複数の川が流れ出ています。そして、仲間の人間に対する愛を鼓舞するのではなく、仲間の人間に対する敵意や憎しみを鼓舞するとしたら、その水は苦いと言えます。

 

 啓示8章によると、ともしびのような燃える大きな星が天から川と泉に落ちた結果、水の三分の一は、苦よもぎに変わり、多くの人がその水のために死にます。(啓示8:10,11)苦い川の水とそうでない川の水が共存し、川の水の三分の一が苦くなり、苦よもぎに変わります。


 

 それで、ともしびのように燃える大きな星が、川と水のわき出るところに落ちて、その水が苦くなったとは、北の王の敗北と倒壊のために、イスラム教の宗教上の教えに悪影響があることを意味するのではないかと思います。

 

  アモス書によると、苦よもぎとは公正や義を投げ捨ててしまうことを意味しています。(アモス5:7;6:12)ですから、水が苦よもぎになるとは、大きな星が落ちてしまうことにより、イスラム教の教えの水が公正や義を投げ捨てて、敵意や憎しみを奨励する毒草に変わることを示唆しています。

 

(2)北の王が南に対する二度目の紛争に敗北することにより考えられる事態の進展

 

 ダニエルの預言によると、北の王は、南の王に対する二度目の攻撃で敗北を喫します。(ダニエル11:29,30)その後、「聖なる契約をひぼうし・・・聖なる契約を離れる者たちに考慮を払う」ことが預言されています。(ダニエル11:30)

 

    聖なる契約とは、ユダヤ人の「父祖アブラハムに誓われたその誓い」であると聖書は説明しています。(ルカ1:73)イスラム教は、キリスト教の聖書をある程度受け入れています。さらに、アブラハムをイスラム教とユダヤ教とキリスト教の祖として敬意を払っています。しかし、ダニエルの預言によると、北の王は主にキリスト教の海軍、とりわけ、ローマカトリック教会とギリシャ正教会の海軍により敗北してしまうと考えられます。(ダニエル11:30)

 

 その時、イスラム教徒は、主にキリスト教の兵士からなる「キッテムの船」によって敗北した後、アブラハム契約を含むキリスト教を悪く言うことになるのでしょう。(ダニエル11:30)しかし、もしかしたら、ここはアブラハムに敬意を払っているイスラム教自体を悪く言うことを意味するかもしれません。イスラム教は、メッカのカーバ神殿はアブラハムとその子イシュマエルによって建てられたとみなしていて、アブラハムとイシュマエルにとりわけ敬意を払っています。


 

 それで、北の王に率いられるイスラム教のグループの宗教上の教えが、おそらく大いなるバビロンやキリスト教の宗教を奉じる人々に対する敵意や憎しみを鼓舞する苦い水に変わってしまうことを意味するのではないかと思います。(啓示8:10)
 

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Cahaya Maulidian (Winluxhuman) - Corresponding author
将来イスラム教徒が戦争に敗北する時に米国やキリスト教徒に対する憎しみが増大するかもしれない

 


 

(3)ダニエルの預言に預言されているイスラム教に対する影響


 

 ダニエル11章では、北の王が二度目の南の王に対する攻撃に失敗した後、どうなるかをこのように預言しています。「彼に対してキッテムの船が必ず攻め寄せる。彼は必ず失意させられる。 それでも彼はまさに戻って行って聖なる契約をひぼうし,効果的に行動する。また戻って行って,聖なる契約を離れる者たちに考慮を払う。また,彼から出る腕があって立ち上がる。そうして彼らは聖なる所を,要害をまさに汚し,常供のものをも除き去る。 また彼らは荒廃をもたらす嫌悪すべきものを必ず据える。 また,契約に対してよこしまな行動をしている者たちを,彼は滑らかな言葉で背教に導き入れる。」(ダニエル11:30-32)

 

 北の王は、「聖なる契約」をひぼうします。(ダニエル11:30)「聖なる契約」とは、キリスト教のアブラハム契約を意味しています。(ルカ1:72,73)

 

  ひぼうするとは、その対象を落とすために非難することを意味すると思います。アブラハム契約は、キリスト教の教えの中でも、中心的な契約のひとつであり、アブラハムの子孫を通して、諸国民が祝福を受けるという契約です。アブラハム契約を受け継ぐ「アブラハムの胤」とは、キリストに従い天的な希望を相続するクリスチャンです。(ガラテア3:29)それで、北の王は、キリスト教を悪く言います。

 

 聖書は、愛の教えであることを唄っており、実際戦って人殺しをすることは、聖書の教えからの逸脱なのですから、その時、北の王に率いられたムスリムがキリスト教を悪くいうのも当然のことでしょう。また、イスラム教は神がその崇拝者を助けることになっているので、敗北することにより、自らが頼っていた神に失望し、基本的に殺人を非とするイスラム教の教えを投げ捨てようとするという事態が発展するのかもしれません。

 

 さらに、北の王は、「聖なる契約を離れる者たちに考慮を払い」ます。(ダニエル11:30)「聖なる契約」を離れる者たちとは、 アブラハム契約を受け継ぐキリストの相続者となるという契約から離れることを意味します。ですから、「聖なる契約から離れる者たち」とは、キリストの教えを放棄することを意味します。

 

 ですから、キリスト教徒の中でキリストの互いに対する愛を示すというおきてや剣をとって戦うことを禁ずるキリストの教えを捨ててしまう者が現れることになります。(ヨハネ13:34。マタイ26:52)北の王は、キリスト教を非難すると考えられ、そのことと矛盾するのですが、キリストの教えを放棄して背教してしまったキリスト教に考慮を払うようになるようです。

 

  このことと調和して、ダニエルの預言は、北の王が「自分の父たちの神に何の考慮も払わない」こと、つまり、イスラム教に考慮を払わなくなる事を預言しています。(ダニエル11:37)それで、多くのイスラム教徒が、自らの教えを放棄することになるのではないかと思います。


 

 そして、北の王は「契約に対してよこしまな行動をしている者たちを,彼は滑らかな言葉で背教に導き入れる。」ことが預言されています。(ダニエル11:32)聖書は、キリスト教徒が南の王に迫害されることを予告しています。(啓示11:7,8;17:6)ですから、北の王は、南の王から迫害されたキリスト教徒に対して、南の王に対する憎しみをかきたて、南の王に対して剣をとって戦うことを勧めるのではないかと思います。

 

 背教したキリスト教に注意を向けることが、最初の北の王にも、後継の北の王にも預言されています。(ダニエル11:30,32)つまり、ローマカトリック教会やギリシャ正教会などの戦うことを容認するキリスト教が、イスラム教の軍隊に勝利をしたので、そちらの神の方が強くていいと考えるのではないでしょうか。

 

 それで、イスラム教を捨てて、背教したキリスト教に改宗するのではないかと思います。過去に戦争に敗北した国が、戦勝国の宗教に注意を払うようになることはよく起ってきたことです。啓示の書では、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」、すなわち、像を設立する野獣が、子羊のような二本の角を持っているとされています。(啓示13:11)すなわち、表面上は、キリスト教に見えるのです。

 

 それで、北の王は、キリスト教に注意を払って、良くなるのではなく、一層悪いキリスト教の教えを取り入れてしまうようです。公正と義を投げ捨て、殺人を容認する教義を取り入れるのではないかと思います。


 

  それで、この部分は、世界で人々から注目を集めていたイスラム教の教えが「苦よもぎ」となり、さらに一層、公正と義を捨ててしまうことを預言したもののようです。おそらくその教えは、兵士として戦うことにより、天国に行けるというような教えになるのではないかと思います。





Ilya

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教えの川の水の多くが米国やキリスト教徒に対する憎しみを称揚する苦よもぎの水に変わってしまうことが預言されている





 

 それで、第三のみ使いがラッパを吹くことにより、人々の注意が喚起されている預言とは、北の王の南に対する敗北と、それがイスラム教徒にどのような影響を及ぼすかということではないかと思います。(啓示8:11)イスラム教徒がそのような影響を受けることになれば、中東では、依然として、混乱した紛争が起きる事になるでしょう。

 

(4)苦くなった水を飲んだ人々が死んでしまう

 

 そして、そのようにして、基本的に殺人を非とするイスラム教の教えを捨てて、殺人を容認するキリスト教の教えを取り入れても、まことの神からの是認と支持は得られません。そのように苦い水を取り入れるようになれば、人々は、将来は、南の王とその同盟国に対する総攻撃に参加することになり、大患難の戦闘に加わって、命を落とす結果になると思います。

 

 それで、背教したキリスト教の教えの水を飲むと、自ら剣をとって戦い、結果として、大患難で命を失うことになります。それで、多くの人々が苦よもぎの水を飲んで文字通りにも死ぬ結果になります。(啓示8:11)


 

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憎しみがかきたてられると戦争や闘争に加わり命を失うことになる

 




 

 しかし、人々は、そのようにすることによって天国に行くのではなく、神からの永遠の裁きを受けます。すなわち、北と南との間の抗争で戦う兵士に復活はないと聖書は述べています。(啓示19:20)


 

 それで、隣人に対する憎しみを称揚する苦い宗教上の教えの水には気をつけましょう。そのような教えの水を飲むと現在でも自らの命を失ってしまう可能性が高くなります。さらに、神からの永遠の命も得られない結果になります。


 

 それで、わたしたちは苦よもぎの水ではなく、純粋に隣人に対する愛を称揚する聖書の清い水、聖書に固く従う「命の水の泉」の水を飲む必要があります。(ローマ13:9,10)そのような水は私たちを永遠の命に導くことになります。(啓示7:17)



 

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隣人に対する愛を称揚する清い教えの水を飲みましょう
その水は永遠の命に導きます