大乗の菩薩は仏国土建設を目指す

2020年02月24日 | 歴史教育

 大乗の菩薩は、智慧と慈悲が一つであるという原点からスタートして、慈悲の実践の具体的内容として「諸誓願」を立てます。 

 『大般若経』「初分願行品第五十一」ではなんと三十一もの菩薩の誓願が挙げられています。

 それらの誓願はすべて仏国土の建設を目指すものであり、仏国土で実現されるべきことが具体的に述べられています。

 戦前の国家神道と政治の癒着・「祭政一致」がもたらした惨害に対する批判・反省・反動として「宗教・信仰は自由であるが、個人の内面のことにとどめるべきである」「宗教は政治に関わるべきではない」という考え方が戦後の常識になっています。

 しかし、それが適切かどうかは別にして、実際、般若経典のテキストは「菩薩(つまり宗教者)は積極的に仏国土建設(つまり政治)に関わるべきだ」と主張している、と筆者には読めます。

 なかでも特に重要だと思うものを筆者の訳でいくつかご紹介します。

 

 1.布施成就衣食資生充足の願

 スブーティよ、菩薩大士が布施波羅蜜多を修行していて、もろもろの有情が飢え渇きに迫られ、衣服が破れ、寝具も乏しいのを見たならば、スブーティよ、この菩薩大士はそのことをよく観察してからこう考える。「私はどうすればこうした諸々の有情を救いとって貪欲を離れ欠乏のない状態にしてやれるだろうか」と。こう考えた後で、次のような願をなして言う。「私は渾身の努力(精勤)をし身命を顧みず布施波羅蜜多を修行して、有情を成熟させ仏の国土を美しく創りあげ速やかに完成させて、一刻も早くこの上なく正しい覚りを実証し、我が仏国土の中にはこうした生きるために必要なものが欠乏しているもろもろの有情の類がおらず、四大王衆天、三十三天、夜摩天、覩史多天、楽変化天、他化自在天では種々のすばらしい生活の糧が受けられているように、我が仏国土中の衆生もまたそのように種々のすばらしい生活の糧が受けられるようにしよう」と。

 スブーティよ、この菩薩大士は、このような布施波羅蜜多によって速やかに完成することができ、この上なく正しい覚りに〔すぐ隣りといってもいいところまで〕かぎりなく接近(隣近・りんごん)するのである。

 

  「仏の国土を美しく創りあげ速やかに完成させて……我が仏国土の中には……我が仏国土中の衆生……」という言葉は、具体的な仏国土建設を目指すという目標設定としか読めないのではないでしょうか。

 しかも「私は渾身の努力をし身命を顧みず」とあるように、全力で命がけで仏国土建設を目指すというのです。

 そしてその内容は、現代的に言えば貧困が完全に克服された「福祉国家」の政策です。

 さらに、その福祉国家は「友愛社会」でなければならないとされています。聖徳太子風に「和の国」と言ってもいいでしょう。

 

 2.浄戒成就諸善善報具足の願

 また次に、スブーティよ、菩薩大士が持戒波羅蜜多を修行していて、もろもろの有情が煩悩が盛んで、さらに殺し合い、与えられていないものを盗り、邪なセックスをし、ウソをつき、荒々しい言葉を使い、裏表のあることを言い、汚い言葉を使い、さまざまな貪り・怒り・まちがった考えを起こし、それが因縁となって寿命が短く病が多く、顔色は衰えきって元気がなく、生活の糧が乏しく、下賎な家に生まれ、からだ・かたち・ふるまいが汚く臭く、いろいろなことを言っても人に信用されず、言葉が乱暴なために友達が離れてしまい、およそ言うことすべてが下品で、ケチ、欲張り、嫉妬、まちがったものの見方があまりにひどく、正しい教えを非難し、賢人・聖者を攻撃するのを見たならば、スブーティよ、この菩薩大士はそのことをよく観察してからこう考える。「私はどうすればこうした諸々の有情を救いとって彼らをもろもろの悪業とその報いから離れさせてやれるだろうか」と。こう考えた後で、次のような願をなして言う。「私は渾身の努力(精勤)をし身命を顧みず持戒波羅蜜多を修行して、有情を成熟させ仏の国土を美しく創りあげ速やかに完成させて、一刻も早くこの上なく正しい覚りを実証し、我が仏国土の中にはこうした悪業をなすこととその報いを受けるようなもろもろの有情がおらず、すべての有情が十善戒を行ない、長寿などのすばらしい果報を受けられるようにしよう」と。

 

 3.忍辱成就慈悲具足の願

 ……菩薩大士が忍辱波羅蜜多を修行していて、もろもろの有情が互に怒り憤りののしり侮辱しあい、刀や棒や瓦や石や拳やハンマーなどで互に傷つけあい、殺しあうに到ってもひたすらやめようともしないのを見たならば……「私は渾身の努力をし身命を顧みず……我が仏国土の中にはこうした煩悩・悪業まみれの有情がおらず、一切の有情がお互いを見るのが父のよう、母のよう、兄のよう、弟のよう、姉のよう、妹のよう、男のよう、女のよう、友のよう、親のようであって、慈悲の心を向けあいお互いに利益を与えあうようにしよう」と。……

 

 初めて読んだ時に驚いたのは、次の第十二願、第十三願、第十五願です。

 

 12.無四種色類貴賎差別の願

 ……菩薩大士が……もろもろの有情に四種類の貴賎の差別、すなわち一にクシャトリア、二にバラモン、三にヴァイシャ、四にスードラがあることを見たならば、スブーティよ、この菩薩大士はそのことをよく観察してからこう考える。「私はどうすれば巧みな手立てによってもろもろの有情を救いとってこのような四種類の貴賎の差別がないようにしてやれるだろうか」と。こう考えた後で、次のような願をなして言う。「私は渾身の努力をし身命を顧みず六波羅蜜多を修行して、有情を成熟させ仏国土を美しく創りあげ速やかに完成させて、一刻も早くこの上なく正しい覚りを実証し、我が仏国土の中にはこのような四種類の貴賎の差別がなく、一切の有情が同じ階級であってみな尊い人間という生存形態に含まれるようにしよう」と。……

 

 13.無上中下家族差別の願

 ……菩薩大士が……もろもろの有情の家族に下流・中流・上流の差別があるのを見たならば……次のような願をなして言う。「私は渾身の努力をし身命を顧みず……我が仏の国土の中にはこのような下流・中流・上流の家族の差別がなく、一切の有情がみな金色に輝いて美しく人々が見たいと思うような最高に充実した清らかな様子になるようにしよう」と。……

 

 15.無主宰得自在の願

 ……菩薩大士が……もろもろの有情が君主に隷属しておりいろいろしたいことがあっても自由にならないのを見たならば……次のような願をなして言う。「私は渾身の努力をし身命を顧みず……私の仏の国土の中のもろもろの有情には君主がなくいろいろしたいことはみな自由であるようにしよう。ただし、如来・真に正しい覚った方があって真理の教えのシステムで〔有情を〕包み込むのは法王であって例外である」。……

 

 これはまるで、階級差別の否定、貧富の格差の否定、独裁的支配の否定つまり民主的自由が、菩薩の建設する仏国土の具体的内容として示されている、ということではないでしょうか。

 これだけ挙げただけでも、先に述べた、「②『仏教の根本精神が個人の魂の救いを得る』ことだという理解は、大乗仏教・般若経典の思想の理解不足・誤解であること」を文献的証拠に基づいてはっきりさせることができたのではないかと思います。

 話が少し先に跳びますが、聖武天皇が、天平十三年(七四一)、全国に国分寺・国分尼寺を造営させる詔のなかで、すべての寺にこうした誓願が書かれている『大般若経』を揃えるよう命じています。

 天武天皇と同様あるいはさらに教養豊かな知識人であったと思われる聖武天皇が、『大般若経』の内容については、読まず・理解しないまま、単に自分の権力を護るための呪術として尊んだと解釈することは可能・妥当なのでしょうか。

 最後に、誤解されたくないので何度でも繰り返しますが、こうした考察が当たっているかどうかの評価は参加者のみなさんにお任せするとして、筆者の意図としては右でも左でも中道でもなくそれぞれの妥当な部分を統合して、「生きる自信」の3つのレベルの1つ、社会的・集団的アイデンティティの核となる日本人としての正当で妥当なアイデンティティを確立するための試みです。

 

 


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