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2020年05月30日

日本対ブラジル その15 ふたつのドリブル




『ゴーーーーール! ゴール!ゴール!!途中出場主人恵が決めた-!後半33分同点ゴール!主人は今大会初ゴール!!』
歓声の渦でスタジアムの柱という柱がびりびりと震えるようだ。

ゴールを決めた恵は笑顔で羽奈に抱きつき、そしてそこに風見真琴も混ざって笑顔の輪を作っていた。
その様子を見たジャネットは、憤怒の表情で目を吊り上げていた。




 



試合前、ブラジルのセンターバックを務めるモニークは試合前に嫌と言うほど風見真琴のドリブルの弱点を教授されていた。
ブラジルのサッカーでは、スターになるのはFWだ。
この18歳以下ブラジル代表では、やはりラムというクラッキの存在がスターと呼ばれているし、それに見合う実績を挙げている。
それに対し、DFというのは国内ではスポットライトが当たることは殆ど無い。
勝って賞賛されるのはFWで、そして負けて批判を浴びるのもFWなのだ。

そんな国民性ではあるが、モニークやジャネットのようなDFはそれでも真摯にサッカーに打ち込んでいた。
それは「誇り」であり、何よりもサッカー、いやフッチボーが好きだからだ。

モニークはジャネットの真琴対策をしっかり聞いていた。
彼女のドリブルの弱点と、その対策を受け継いでいた。




しかし、目の前で見た風見真琴のドリブルはジャネットに聞いたものでは無かった。
ブレンダがパスコースを切り、相対したモニークは後ろに重心をかけた体勢で真琴を迎え撃つ。

(単調なリズムの切り返し、フェイントだ)

ジャネットの言葉に従い、頭の中でメトロノームのようなリズムを刻む。
真琴が体勢を低くし、体を左右に振る。そのタイミングを脳内のメトロノームにシンクロさせる。
しかし、そのリズムの途中、タイミングを外すように真琴とボールが外に跳ねる。

あ、と思ったときにはモニークの横を真琴がすり抜けていた。

(ジャネットの言っていたドリブルでは、ない)

モニークはそう思うのが精一杯だった。





ジャネットの「ファンタジスタ殺し」も機能していた。
真琴のシュートがマルセラの足に当たり、コースを変えたとき、既に羽奈は動き出していた。
シュートがクロスバーに当たり、落下する地点を嗅ぎ取っていた。
ジャネットにその嗅覚の源、感覚はわからない。しかし羽奈の動きさえ追っていけばそれを止める事は出来た。
事実、これまでの試合の中でそれは出来ていた。
仮に反省するとすればその時、それ以外は見えていなかったと言うことだろう。
ただ、あれだけ切迫した状況の中で、羽奈だけがサイドから切り込む恵の動きをわかっていた。
そして、視線を動かすこと無く最適なパスを出せた。
ジャネットは、羽奈を意識する余りにそれが見えていなかったのだ。









『さあ、残り時間11分で同点です。逆転するのも十分出来る時間です。おっと、ここでブラジルが交代です』
サイドライン際にカナリア色のジャージを着たふたりの選手が立っている。大柄な少女ふたりだ。
そして、羽奈はふたりのうちひとりの選手を知っていた。

『ブレンダと交代するのはFW登録のレニーラ。もうひとりはフェリシダーテと交代です。こちらはDF登録のイネスです』
『イネスはインテルナシオラルのCBですね。レニーラはイタリアセリエAラツィオプリマヴェーラのFWです。両サイドバックを切ってFW、CB投入ですから、より攻撃特化した形ということでしょうね』
夏川美沙が丁寧に解説したとおり、同点に追いつかれたブラジルは更に攻撃特化の形に切り替えてきた。
両SBを切り、3バックにして更にFWを1枚増やした4トップという、一種異様なシステムだ。

『まあ、今でもブラジルクラブチームの中で4トップのチームはありますからね。私たちには馴染みが薄いかも知れません』





「ほう、出てきたね」
ホテルのテレビ鑑賞中のイタリア代表選手達の中、カーラ・ブランピッラが声を上げた。
確かに彼女は未だラツィオのプリマヴェーラ所属ではあるが、約半年前のローマダービーで最後までローマを苦しめたラツィオのFWだ。
カーラも、そしてリリー・キャロネロも彼女には全幅の信頼をするほどの選手なのだが、ブラジル代表では控えに甘んじている。それほどブラジルという国ではFWの選手層が厚いというわけだ。

レニーラは日本陣内最前線にラムと共に位置する。藤田みのりは彼女の体躯を見て隠れて舌打ちをしながら、西園寺玲華と共に最終ラインに指示を出す。



『ラムはサントスでもシャドウな役割もやっていました。高さのレニーラを加えてより、バリエーションのある攻撃が出来るでしょうね』
『さあ、残り10分です。この時間で勝敗が決まるか、それとも延長戦に入るか』



試合が再開され、ブラジルはより苛烈に攻撃を繰り出す。
日本はみのりと玲華を中心とした4バックで対する。中盤鷹取うらら、両サイド高遠エリカ、恵もより守備的にならざるを得ない。



「よく止めてるわね」
メインスタンドで観戦している加藤優子は嘆息し、そう呟いた。隣の浜田由香里もひとつ頷く。
「前線の桐島さんも要所要所で守備に入ってる。日比野あすみさんもそう。だけど……」

このブラジル優勢の展開の中、それでも前線に留まるのは真琴。

「だね、たまーにパスコース切る動きはするけど、基本的に守備はしない。てーか、多分出来ないんだと思うよ」
由香里は楽しそうに笑う。多分まだアルコールが残って酔っているのだろう。しかし、それでもその言葉は常に的確だ。

真琴はブラジルサッカーが基礎になっている。
ブラジルでは、FWが守備をするという伝統は無い。常に攻撃で得点という結果を示し続けなければいけない。
自分のチームが3点取られたら、4点取るのがブラジルのFWの仕事なのだ。
だから、守備という仕事を有り体に言えば「免除」されている。
欧州のFWには常に守備を求められる。守備の出来ないFWは、いくら得点能力が高くても起用されることは無い。
これはスタイルの問題であり、どちらが良いとか悪いとかの問題では無い。
問題は、そのスタイルを日本―エンジェル・イレブンが受け入れるのか、受け入れているのか、が問題なのだ。



後半40分を経過。
ブラジルWFベタニアがエリカのマークをかわしながらクロスを入れる。
大きく高く上がったクロスボールはファーサイドのレニーラを狙っている。レニーラのマークに付いた近藤榛名が競り合うようにジャンプ。シュートコースを消されたレニーラは頭でボールを落とし、そこにラムが走り込む。
左右からみのりと木曾崎佳乃が囲い込み、ラムのダイレクトシュートは佳乃の足に弾かれるが、零れたセカンドボールにリメルダが駆け込む。
リメルダにはうららがマークに付いており、横合いから肩を入れたタックル。
ぐらつきながらもリメルダは左サイドに向けてパスを出した。

ワイドに広げ、これまで攻めていた右から左へと急激なサイドチェンジ。フェアリーは既にパスコースに向けて走り出しており、恵も追っているが足一歩分届かなそう。
しかし、そのパスがフェアリーの元に届くことは無かった。
リメルダのパスの軌道に入り込む影。
インターセプトをしたのはここまで下がった羽奈だった。



「…たく、ポジショニングも滅茶苦茶だな…」
中盤センターサークル付近まで下がっていた日比野あすみは、その更に後ろまで戻っていた羽奈を見て肩をすくめた。
(いや、ここまで下がればジャネットのマークからも自由、ということか)
そして羽奈と目が合う。

あすみは羽奈の視線から目を逸らさず、ブラジルゴールを指さした。
羽奈は笑顔で頷く。そして、ボールを持ったまま自陣からドリブルを開始した。
そして、あすみもモニカのマークを引き連れながら同時にブラジル陣内に向けて走り出した。
慌てたように中盤ボランチのマルガリーダが詰める。しかし羽奈は体を沈めながら数度上体を振り、そしてマルガリーダをドリブルで抜き去った。

「ニンジャ・ドリブル!」

誰かがそう叫んだ。
見た目には、マルガリーダが羽奈の進路を譲るように見えたからだ。
マルガリーダを抜いた羽奈は一気にセンターラインを越えてブラジル陣内に突入。中盤を薄く構えたブラジルは全員羽奈を追う形。残るは交代で急造された3バックのみだ。


「くそ、行けよブレンダ!!」
ジャネットの金切り声でブレンダが羽奈のドリブルコースに体を入れた。しかし羽奈は体を沈めて数度上体を振り、「ニンジャ・ドリブル」でブレンダも抜き去った。
そして、交代したばかりのCBイネスが羽奈に向かって走り出したとき、羽奈はイネスの頭を越えるロビングのパスを入れた。

そのパスを受けたのは、真琴。

真琴は右足でボールを受けると、ブラジルゴールに顔を向けた。
最終ラインを仕切るジャネットと相対する形になっていた。


「じゃ、リベルタドーレス杯の借りを返さないとね」

小さな声で呟くと、真琴はドリブルでジャネットに向けて突進した。
ジャネットも、先ほどのブレンダと同様にリズムを計りながら迎え撃つ。
しかし、真琴はそのリズムを微妙に変えながらジャネットの眼前でまたぎフェイントを入れた。


「ジンガ……」


完全にフェイントで翻弄され、ボールと共に脇を駆け抜けられたジャネットは諦めたような表情で呟いた。
ブラジルで、シザースなど相手を幻惑するドリブルでの上体の動きを「ジンガ」と呼ぶ。
そして、そう言った才能を持つ者を、「ジンガを持っている者」と呼ぶ。


真琴は飛び出すGKマルセラの体もかわし、最後は無人のゴールにインサイドでボールを蹴り込んだ。
得点を告げる笛が鳴り響き、客席から興奮の歓声が轟いた。
後半41分、遂に日本がブラジルを逆転した瞬間だった。





 

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