2018年08月13日
今ならキャンセル出来ます
8月4日の土曜日『ヴィアーレ大阪』で大手ゼネコン主催の講演会があった。
講演会は4時開始であった。
私は前半だけ参加した。
その後はいつもの様に飲み歩きをした。
この日のお供はカズ・チンペイであった。
カズ・チンペイとは『ヴィアーレ大阪』の1階のロビーに4時45分に待ち合わせを
した。
私は4時開始の講演会の為に3時50分頃に『ヴィアーレ大阪』に到着をした。
するとカズ・チンペイは既に1階のロビーの椅子に腰掛けてスタンバっていた。
その姿を見た私はアイフォンを集中して眺めているカズ・チンペイに近づき。
『おーっ、お前、もう来てんのんか。流石やな』と言った。
私の顔を見たカズ・チンペイはにがわらいをしていた。
ほんまに、Tちゃま倶楽部メンバーだけは、死ぬ程に時間厳守なのであった。
私はそのまま後援会に参加。
時間通りに4時45分にロビーに降りて来た。
そしてカズ・チンペイと二人で飲み歩きをした。
ここは生まれて初めての訪問で、カズ・チンペイがネットで調べてくれた。
我々は5時の開店と同時に入った。
案内されたのは中央辺りのテーブル席であった。
早速注文をした。
注文は、黒毛和牛ロースと黒毛和牛カルビと上ミノであった。
乾杯ー!!
黒毛和牛ロースと黒毛和牛カルビと上ミノ
見た目からサシが綺麗で食べる前から美味しいであろうと容易に想像が付く感じで
あった。
焼肉の肉は見た目から勝負は決まる的な所がある。
見た瞬間から輸入牛だと直ぐに分かる物がある。
実際に焼いてみると無茶苦茶柔らかくて甘味があってめっちゃ美味しかった。
ミノも全く臭みや硬さが感じられずに美味しく頂けた。
ネットでたまたま見付けた『焼肉 七つ星 北浜店』
初めて入ってみたら結構美味しい肉に出会えた。
この感じが実に心地良い。
素晴らしい出会いに乾杯的な気分になるから堪らないのであった。
実は『ヴィアーレ大阪』の1階のロビーでカズ・チンペイに会うまでは1軒目に入る
お店は木曜日に入った『水七輪炭火焼肉 北浜にくや』であった。
金曜日にカズ・チンペイがここにやって来た。
ゆっくりと話す時間がなかった。
一瞬の立ち話で俺がカズ・チンペイに向かって『昨日の北浜にくやはめっちゃ
不味かったわ』と言ってその場を立ち去った。
『ヴィアーレ大阪』の1階のロビーでカズ・チンペイが『今なら北浜にくやは
キャンセル出来ます。違うお店を予約しておきましょうか』と言った。
『それでええで。適当にどこか予約、しておいてくれ』と言って俺は会場に
向かった。
講演会会場から降りて来たらカズ・チンペイが『七つ星と言う焼肉屋を予約しま
した』と言った。
そんな感じで1軒目のお店が『焼肉 七つ星 北浜店』になった。
この結果が最高に素晴らしいものになった。
ほんま、カズ・チンペイはなにか持っている気がした。
猛牛ポーズ!!
そんな感じの『焼肉 七つ星 北浜店』であった。
『水七輪炭火焼肉 北浜にくや』はほんまに不味かったな。
実はこの『水七輪炭火焼肉 北浜にくや』を薦めてくれたのがあの道産子コッシー
であった。
元々俺は北浜の事は全く知らない。
北浜に事務所がある道産子コッシーなら北浜の焼肉屋については詳しいと思った。
それで道産子コッシーに電話を入れた。
『今度北浜の焼肉店に行くんやけど、どこがお薦め』
『T様なら、北浜にくやがお薦めですね』
こんな会話であった。
まあー、美味しい、不味いはそれぞれ個々によって全く違うからな。
個人差はある。
今回の件に関して道産子コッシーには全くの責任はない。
道産子コッシーを信じた俺が全面的に悪い。
だらか道産子コッシーは全く気にする事はない。
コッシー、飲んでる最中にまた電話を入れるからなー。
嫌がらせの様に……。
なんちゃって。
笑えよー。
ほんでもって、ある日のおうち御飯
玉子焼きを食べながらのカレーが真剣に美味しいのであった。
よろしくお願い申し上げます!!
読み逃げは厳禁ですよ――!!
自分の携帯電話から。
自宅のパソコンから。
会社のパソコンから。
他人の携帯電話、パソコンから。
とにかく一杯押して下さい!!
中世ヨーロッパ。
①「自治都市」「帝国都市」「コムーネ」について。
②更に、ウィーン議定書でドイツが35の君主国と4自由市からなるドイツ連邦と
なったが、「君主国」「自由市」
それぞれの違い。
「君主国」は「帝国都市」とはまた違うもの。
③ドイツだが、神聖ローマ帝国の辺りからコロコロと名前が変わる。
「プロイセン」という国名だった期間は。
ドイツ連邦の時に「普仏戦争」、「普墺戦争」があったが、何故ドイツ連邦として
ではなく、プロイセンとして戦ったのか。
①自治権を得て(領主から)独立した。
②君主国とは「君主制の国」という意味。
現代でも日本とかイギリスとかは君主国である。
ドイツ連邦に参加した帝国王国大公国公国侯国の総称である。
君主国=「独立した元領邦国家」である。
自由市(自由都市)=元帝国自由都市である。
そこまでの時代の流れで多くの帝国自由都市は自治権を失っており、ウィーン議定
書では殆どの元自由都市はどこかの君主国に組み込まれた。
独立を保った「ブレーメン、ハンブルク、フランクフルト・アム・マイン、リュー
ベック」の4都市は、独立した都市国家としてドイツ連邦に参加した。
自由都市なので君主はいない。
つまり君主国ではない。
一応分類的には共和制だと思われる。
(not民主共和制。
多分、各ギルドの代表により都市参事会が構成されるツンフト市制)
③前提として、ドイツ連邦は国ではない。
国家連合である。
ASEAN(東南アジア諸国連合)とかEUの仲間だと同じ。
この辺よりもっとずっと緩い繋がりである。
コロコロと名前が変わる。
「ころころ変わってる」の中にプロイセンが含まれる認識なら、恐らく国名は変わ
っていない。
プロイセン王国は神聖ローマの領邦ではない。
神聖ローマ帝国 962年~1806年
プロイセン王国 1701年~1871年もしくは1918年
ドイツ帝国 1871年~1918年 である。
(1871年~1918年はドイツ帝国の領邦(一部)としてプロイセン王国が存在する)
「プロイセンは何時まで存在したか」は真面目に答えの出ない歴史的なテーマなの
で高校世界史なら1871年にプロイセンはドイツ帝国を成立させた。
(その後プロイセンの存在については深く考えるな。
プロイセンはドイツになったんだ)
でいいと思う。
神聖ローマ帝国→プロイセン王国→ドイツ帝国×
神聖ローマ帝国は解体された。
ドイツは多くの独立国に分裂した。
空白期間を置いてドイツは統一され、ドイツ帝国が成立した。
ドイツを統一し、ドイツ帝国を作ったのはプロイセン王国である。
プロイセン王国は神聖ローマには含まれない。
しかし、実質的に神聖ローマの一部として扱われていた。
プロイセン王はブランデンブルク選帝侯を兼ねるので、神聖ローマ帝国の有力貴族
でもある。
神聖ローマ帝国とプロイセン王国が存在した時期は被る。
これをしっかり理解するには欧州史でもトップクラスのややこしい成り立ちをして
いるプロイセンについて理解しなくてはならない。
○プロイセンの成り立ち
(神聖ローマとプロイセンの関係)
神聖ローマ帝国の中に「ブランデンブルク選帝侯ホーエンツォレルン家」という
有力貴族がいた。
このホーエンツォレルン家が、跡目のいなくなった親戚の遺産相続で、プロイセン
という領地を手に入れた。
プロイセンは、元々ドイツ騎士団領だったりしてドイツと縁深い土地だが、
神聖ローマ帝国外である。
やがて、スペインでスペイン継承戦争が起きる。
プロイセン(ブランデンブルク)は直接関係ないが、戦力不足で困っているハプスブ
ルクに戦力を貸し出する。
で、見返りとして『プロイセンの王位(神聖ローマ帝国内での王位はあげない
けど、ホーエンツォレルン家の持っている神聖ローマ帝国外の領土であるプロイ
センの王位なら名乗って良いよ権)』を得る。
この時代、「王位」というのは大変な権威あるブランドである。
ホーエンツォレルン家は、ブランデンブルクとプロイセンの他にも、沢山の領土を
持っていた。
ホーエンツォレルン家はこの沢山のばらばらの領土を、「プロイセン王」の名の
元に統合した。
ホーエンツォレルンを主に抱く同君連合は、一つに纏まり、同じ法律の元に運営さ
れる単一国家となった。
プロイセン王国の誕生である。
厳密に考えると、多分ホーエンツォレルンの持つ神聖ローマ領邦は、神聖ローマか
ら独立してプロイセン王国になった……筈なのだが、なんかそのへん曖昧である。
数々の時代背景も後押しして、皆でその辺曖昧なままにしておく。
この辺説明してたら文字数が足りなくなったので、皆その方が都合が良かったから
時代背景的に誰も深く突っ込まなかったという事だけ。
神聖ローマの一部ではない筈だけど実質神聖ローマの一部っぽく扱われており、
プロイセン王は神聖ローマ帝国の選帝侯だったプロイセン王国。
何処までが神聖ローマなのか。
プロイセン王国内の神聖ローマ領邦地域はプロイセン王国に組み込ませた今も神聖
ローマの領邦なのか。
その辺は誰も白黒はっきりさせないまま神聖ローマ帝国は滅びた。
ナポレオン後、神聖ローマの各領邦はそのまま独立国となった。
ドイツ諸邦は「ドイツ連邦」という名で同盟を組んで纏まった。
そのトップにオーストリアが立ったのは、オーストリアとドイツ以外の列強との政
治取引の結果で、オーストリアがドイツを御せって事だったけど、プロイセン御す
とか無理すぎて、オーストリアとプロイセンの二大国(及びそのシンパ)と、
纏まって二大国を利用したい小国連合に分かれた。
で、最終的にドイツ諸邦を統一してドイツ帝国作ったのが、プロイセン王国。
(オーストリアは叩きだされた)
○「普墺戦争」と「普仏戦争」
単独で生きていけないオーストリアとプロイセン以外の領邦にとっては「ドイツの
統一を目指す」というのは既定路線だった。
(どういう形で統一するかは争いました)
オーストリア(ハプス)的には、ドイツが統一は、オーストリアの下に他の領邦が
つくという(元の)形になるべきだった。
プロイセンは、当初は「うちは単独でやっていけるからドイツ統一しなくて良い。
(うちは別にオーストリアの下につく必要ない。)」という意識だったのだが、
なにせ唯一オーストリアに対抗できる国だから周りが放置してくれる訳がなく、
最終的にオーストリア叩きだしてプロイセンがドイツ統一する路線にシフトした。
色々揉めたが、正直ドイツが統一するなら最初から「オーストリアが盟主になる」
「プロイセンが盟主になる」の二択しかない。
二大国以外が何を画策しようと、そもそも「ドイツを守れるだけの力を持つ国」は
オーストリアとプロイセンしかないのだから。
という訳で、最終的に行きついたドイツ連邦二大国、プロイセン(普)とオーストリ
ア(墺)によるドイツの盟主争いが普墺戦争である。
ドイツ連邦はオーストリア派とプロイセン派に分かれてどちらかについて争った。
結果はプロイセンの勝利。
オーストリアが「統一ドイツ(ドイツ帝国)」から叩きださせてプロイセンが盟主で
ドイツ統一する事に決定した。
よって、オーストリアを議長とするドイツ連邦はプロイセンに解体された。
(普仏戦争時はドイツ連邦解体済)
それに危機感を抱いたのが、フランスである。
ドイツが統一されてドイツ帝国になると、単純計算で面積が1.5倍になった。
(プロイセン王国単独で、現在のドイツと同程度の面積になる)
隣に自国を圧倒的に超えそうな強大な軍事国家が出現するというのは、それだけで
既に歓迎出来る事ではない。
フランスとドイツおよびプロイセンとの因縁を考えると更に歓迎できない。
フランスはドイツ統一を邪魔したが、普墺戦争の結果、ドイツ帝国誕生は避けられ
なくなった。
話は変わるが、その頃、スペインはぐちゃぐちゃだった。
フランスシンパだったスペイン王家は叩きだされ、スペイン王位は空位となった。
そこでスペインは他所から王様を迎える事にした。
新スペイン王として白羽の矢が立ったのが、プロイセンの傍系王族レオポルト・フ
ォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンだった。
今より1.5倍くらい大きいドイツ帝国。
と、同じ位大きいスペイン王国。
この二ヶ国が親戚。
……に、挟まれるフランス。
怖すぎるので、フランスはレオポルトさんがスペイン王になるのを邪魔し、プロイ
センがスペイン王位継承に関わらないよう外交圧力をかけた。
プロイセン的は、前々から散々干渉されてたし、ドイツ内のごたごたは片付いた
し、フランスが売ってきた喧嘩(外交圧力)に対し、実力行使(戦争)という形で応え
る事にした。
これが普仏戦争です。
直接の原因はフランスが、プロイセン王族がスペイン王になる事を阻止しようと
プロイセンに圧力をかけた事だった。
よって、これはフランスとプロイセンの戦争であり、プロイセン以外のドイツ諸邦
は直接は関係ない。
が、正直、ドイツ的には、フランスが散々ドイツ統一を邪魔した事に対するお礼参
りだった。
もうドイツ統一も決まってるし、プロイセン以外のドイツ諸邦もプロイセンの同盟
国として参戦した。
と、言う訳で普仏戦争を独仏戦争ということもある。
……あるのだが、ドイツ帝国の三分の二がプロイセンなのである。
30か国位を合わせて、残り三分の一(プロイセンの半分)しかない。
プロイセンを除く他の国と比べると圧倒的に大きいバイエルンでさえ、面積比で
プロイセンの五分の一位なのである。
国力差は面積比以上に大きい。
実質プロイセン(とおまけのドイツ諸邦達)VSフランス。
プロイセン以外のドイツが一緒に闘ったのは、これからドイツ統一するに当たり、
ドイツ諸邦の一体感を高めるのが目的であり、戦力的にはプロイセン以外不要で
ある。
そんな訳で普仏戦争は一般的に独仏戦争ではなく普仏戦争と呼ぶ。
【涙の謝罪会見】
小山慶一郎も悪いけど、女子高生にも非があるとおもいます。
NEWS小山慶一郎と加藤シゲアキの「未成年飲酒強要」疑惑、一年前にも
旅館貸切モノが流出
NEWS小山慶
一郎と加藤シゲアキの「未成年飲酒」疑惑で真っ向対立した2つの週刊誌の
画像1
『BLUE』NEWS
NEWSの小山慶一郎(34)と加藤シゲアキ(30)の声が録音された“飲み会”の
音源がネット上に流出した騒動が、web媒体だけでなく週刊誌にも取り上げられた
ことで一気に拡散している。
小山は報道番組『news every.』(日本テレビ系)のキャスター、加藤は
先輩・TOKIO国分太一が司会を務める『白熱ライブ ビビット』(TBS系)の
コメンテーターを務めており、こうした仕事への影響も免れないかもしれない。
小山慶一郎と加藤シゲアキの“疑惑”については、6月7日発売予定の「週刊文春」
(文藝春秋)が掲載しており、6日夜にいち早く記事の一部がネット配信された。
流出した3つの音声ファイルは、Twitterユーザーが5月29日にアップしたもので、
カラオケルームのような音の響く場所で、小山に似た声の男性が他のメンバーに
酒を飲むよう煽る声が録音されたもの。
「コヤマ」「シゲ」および女性たちの名前が登場する。
「文春」では、このデータが録音された飲み会に参加したという未成年女性を
突き止め取材、実際にその場にいたのは小山と加藤であったことを証言している。
具体的にどのような煽り方をしていたのか。
小山は「××(女性名)がっ、飲んでないっ、××がっ、飲んでないっ!
さんさんっ、にーにー、いちいちせーのっ! コヤマもっ あっそーれ、
コヤマもっ」、「●●(女性名)ターゲット、●●ターゲット、飲み干せっ!
はいっ、はいっ、はいっ、はいっ」と盛り上げ、「●●」という女性への
コール後には、「●●このほうがいい? このほうがわかりやすい?」と、
“気遣い”も見せている。
もともとネット上に音声が流出した段階で、「未成年に飲酒を強要しているの
では」との憶測が瞬く間に広がり、NEWSの存続を危ぶむ声も出ていた。
それでもネットの噂レベルの段階であれば、所属するジャニーズ事務所も知らぬ
存ぜぬを貫けただろう。
しかし今回、ジャニーズ事務所は「その音声は事実」と認めている。
一方で、同席した女性が未成年であったとは知らなかったとのことだ。
TOKIOの山口達也(46)が、未成年女性を自宅に呼びつけて強制わいせつ行為に
及んだ罪で書類送検され、退所するという大事件があったばかりのジャニーズ
事務所。
山口に関する後追い報道は雨後の筍のようにわき、その中には「前から危ない
酒癖だった」「飲み方がひどかった」という話が非常に多くあった。
であれば、なぜ事件を起こすまで放置していたのかが疑問である。
なぜなら小山は、昨年にも「旅館貸し切りプライベート音声」がTwitterに
流出し、ファン界隈で大騒ぎとなったことがあったからだ。
当時流出した音声データは、旅館に女性30人を集めたお泊り会を開いて王様ゲーム
をしている様子などを録ったもの。
小山らしき声の男性が「絶対内緒なんですけどー。ツアーが決まってまして。
結構大きいとこでやるんで。あのエッグでやるんで、卵型のエッグでやるんで。
よかったら皆さん水道橋にお越しください!」と東京ドーム公演の情報を
漏らしていたことから、小山本人の声で間違いないと見られていた。
また、小山が2014年7月に放送されたラジオ番組『KちゃんNEWS』(文化放送)
にて、大人数で旅行に行き旅館を貸し切ったと話していたことから、
その際の隠し録り音声であることがわかる。
旅館貸切パーティー音声と同時に、小山の誕生日会で録音されたというデータも
流出した。
この前例がありながら、事務所は所属タレントに指導もせず放置していたという
ことになる。
ネットで一部のファンがうるさく騒いでいるだけであり、テレビやスポンサーへの
影響はないとたかをくくっていたのだろうか。
NEWSは、かつて未成年飲酒事件で脱退したメンバーのいるいわくつきのグループ。
小山も加藤も、認識が甘すぎるといわざるを得ない。
みなさんは、どう思いますか?
女子高生にも非があるとおもいます。
飲み会に未成年がいた事だけが問題じゃないんだよなー。
そもそもアイドルが女性と飲み会。
アルコールの掛け声、それもいい年をした大人が、芸能人が、アイドルが、
キャスターの仕事をしてるのに、女性も悪いはバレたきっかけに過ぎません。
彼の人間性はクソです。
普通に考えて糞です。
それに小山の音声はこれで2回目。
一度目は24時間テレビや障害者をバカにしたような発言をして
お金の為に泣く?的な発言をして女性と温泉旅館。
NEWS結成時は手越をいじめ、ジャニーさんのお気に入りとわかりすぐに
やめて取り入ろうとし、仲が良くないNEWSが分裂し脱退すると居なくなった
メンバーの事をいつまでテレビで言いお涙頂戴。
さらっと目も二重に整形。
アイドルと熱愛写真の多数流出に匂わせ、女の子との飲み会の時にメンバーと
撮ったやつだけを流すも今回の事でメンバーだけではなく一般女性との合コンの
ようだったものだとバレ、過去のチェルノブイリ発言。
デビュー前のキスマイ?だったかにデビューしなきゃ意味ない笑笑と舞台かな?
何かでバカにして国分にフォローさせたり、彼はありえないような失言が
多数あり、とてもキャスターをしていい人間性じゃない。
NEWSが脱退続きなのも納得ですよ。
増田はアイドルの鑑みたいなのをみますが、彼も手越とAKBメンバーとのデート?
写真ががっつり流出してます。
NEWSが8月12日、東京・味の素スタジアムで2日にわたって行われた
結成15周年記念ライブの最終公演を行った。
小山慶一郎(34)と加藤シゲアキ(31)が未成年女性と飲酒していたことが
6月に発覚し、開催を危ぶむ声も上がったが、2日で計11万人のファンが
温かい声援。
小山は開演前に取材に対応し、「一曲一曲をかみしめて歌っている」と
反省の念を口にした。
グループの大事な節目の舞台は、メンバーが騒動後初めて、ファンの前に姿を
見せる場になった。
20歳未満と知らなかったとはいえ、未成年女性と飲酒。
一気飲みをあおるコールをした小山は、報道番組に出演する立場を重くみて
19日間の活動自粛。
同席し、制止しなかった加藤も厳重注意を受けた。
ただ、この日はファンに、騒動についての説明や謝罪はなし。
トークでも努めて普段通りに、ファンに語り掛けた。
賛否両論が予想される「謝罪なしの公演」。
小山が復帰後、パーソナリティーを務めるラジオ番組などで謝罪や説明を
したことを踏まえ、レコード会社関係者は「ライブを純粋に楽しみに来ている
ファンには、あえて重い空気を味わわせないようにしたいと考えたのでは」と、
その思いを代弁した。
もちろん済んだこととの思いはない。
開演前の取材で小山は、反省と再起に懸ける思いを語った。
「今回の15周年ライブを、もしかしたらできないかもという覚悟をしていた
中で、ファンの方の温かい声援や、スタッフのお力添えがあって、
この2日間を迎えることができた」と神妙な顔つき。
続けて「当たり前にステージに立てるとは思っていません」とみそぎが
終わっていないことを強調。
「歌を通じて、皆さんへの感謝の思いを伝えるつもりで臨んでいる。
“小山慶一郎”としての覚悟を、誠心誠意を込めて伝えたい」と話した。
03年の結成時は9人だったNEWSだが、相次ぐメンバーの脱退によって
現在は4人。
11年、山下智久(33)と錦戸亮(33)が脱退した際には解散危機に
立たされた。
それを乗り越えて迎えた15周年に、リーダーである小山自らが泥を塗る形に
なった騒動。
それでも付いてきてくれたファンを裏切ることはできない。
ライブ中盤に流された映像「15年前の君へ」で、小山はデビュー当時の自分に
「初心に戻って、ファンの皆さんに元気と勇気を与えられるよう頑張って
いきたい」と語り掛けた。
本編のラストでは来月12日発売の新曲「『生きろ』」を披露。♪生きろ!敗北を
知ったって 0(どん底)にいたってまだやり直せるだろ?――。
自らの立場を代弁するような歌詞。
歌えることへの感謝をかみしめ、4人はリスタートを切る。
よろしくお願い申し上げます!!