ゴミと言われて ~ 関門海峡に祈りの飛行
旧北九州空港に今から20年前倒産した日本航業株式会社という国内最大の民間パイロット訓練会社があった。
その航空会社の社長は操縦教官でもあった。
深夜23時、会社で操縦教育証明受験のため猛勉強をしていた、突然社長が笑顔で現れ、肩をたたき、
「あとを、頼んだよ」 「まかせてください」最後に交わした言葉だった、その数時間後
突然脳梗塞で倒れ、生命維持装置を外す前に手を握って、僕の手を握り返す、それが僕のハートに火をつけた。
関門海峡近くの丘に社長のお墓がある。当時48歳の若さで、考えると46歳の今の自分と同じ歳に出逢った。
僕は当時21歳でプロのパイロットライセンスは取得したが就職がなく月給手取り9万円のアルバイト座学教官
たまたま大切な大型バイクGPZ900Rを埼玉にとりに行くため旧北九州空港から旅客機に乗った。
座席に座ると突然、シャツの肩の部分を手でつままれて、振り返ると社長が立っていた。
一番後方の座席に連れて行かれて隣に座らされた。
「君の目標はなんだね」 「朝日新聞社のパイロットになりたいです」
「ほー朝日新聞航空部は伝統あるから防衛省か航空大学校卒で優秀な20代じゃないと無理だよ」
「それでも、どうしたらなれますか?」離陸前、この旧北九州空港跡地で必死に聞いた。
旅客機が離陸すると、「君、操縦教育証明を1年後に受験しなさい、1回で合格しなかったら首だ!」
当時はベテランでも4回不合格は当たり前、1回で合格は聞いたことがなかった。
「きみね、若くて圧倒的な実力を見せるにはそれしか君にチャンスはない」
羽田に着陸して、お客様が全員降りても「お前はゴミだ、ゴミは迷惑かけないが飯も食べるし環境汚染だ」
「すみませんお客様・・・・・」CAが言うと、「うるさい!」20分以上、なぜゴミか言われ続け、社長を怒らせた。
僕は今、その時怒られた社長と同じ年になり、航空会社社長として飛んで初めてその気持がわかった。
お客様から水産航空のパイロットの多発機限定変更取得のために、ビーチクラフト式58型バロン
国籍記号JA5248、無償で、燃料代金も含めてプレゼントして頂いた。
この飛行機は25年前、僕のハートに火をつけてくれた社長と最後に飛んだ思い出の飛行機だ。
夢や希望しか語れない自分がゴミだとわかって初めて謙虚になった。
悲しみや苦しみは幸せの種だと教えてもらった。
北九州空港を離陸して、この飛行機で25年ぶりの祈りを込めて関門海峡上空で感謝の祈りを捧げたい。
魂に守られた事を感じる。
bluejet