おはようございます🌞
今日はいい天気爆笑
春らしい暖かさですね。

昨日は、会社でも黙とうがありました。
もう8年も経つのですね。

自分の中でも風化せぬよう、当時つけていたmixiの日記を探して読み返してみました。
こちらにも転載したいと思います。

あの時より家族も増え守るべきものが増えました。
もう一度防災について家族で考えてみたいと思います。


以下転載
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つぶやきでも報告しましたが、3月11日は無事に13時間かけて自宅に帰宅でき、子供と再会することができました。

メールも遅延していて、電話も通じなかった時、mixiとTwitterだけがタイムリーな情報を報告、見ることができました。
今さらながらmixiに感謝。&心配してくれたり、応援メールやコメント下さった方々。本当にありがとう。

【地震発生時】
オフィスにいました。営業さんと話をしていたので、18階。
あれ?地震?と思ってから、どんどん揺れが強くなっていきました。
高層ビルと言うこともあり、ほんとうに信じられないくらい揺れました。
NZの地震が頭をよぎり、「もうダメかも」と思うくらい揺れました。
もちろん、一番に考えたのは子どものこと。
ちょっとボロイ保育園なので、耐震にはなっているとはいえ、とても心配でした。
しかも、大人の私ですらこんなに不安になるのに、保育園の子どもたちはママパパと離れてどんなに不安だろうと思い、なんだか涙が出てきました。


地震発生後自席に戻ると、オフィスの窓からテレコムセンター付近で黒煙があがっているのが見えました。

同僚が、Yahooで震度を見てくれたら、自宅そばが震度6弱。
私がいた品川より揺れていたようす。
当然のことながら、保育園への連絡は通じません。

「子どもの元に帰ろう」
このことしか思い浮かびませんでした。

その時考えたことは、

・きっと歩けば7時間~8時間くらい自宅までつくだろう。
←この計算が大きな過ちだったことをあとから気がつきます・・・。

・歩いて千葉に向かうまでに電車が通るだろう。
←この計算も甘かった。

・また大きな地震が来たら、帰れなくなる可能性がある。それならば、歩いてでも子どものそばに帰りたい

正直、これが一番でした。
帰巣本能というか、「子どもの元に帰らなくっちゃ」という一心。
理性というより、本能で動いちゃった感じです。
たぶん、関東を中心とした地震だったら、この判断で私は死んでただろうな。と今なら思います。
有事の時の冷静な判断って大切ですね。

課長に「子どもが心配なので、今日は早く帰ります」と告げ、早々帰宅しようとしたら、余震1回目。
本震と同じくらい揺れました。

ビルからも避難命令が出て、帰宅をする私だけでなく、みんなオフィスから避難をし始めました。
オフィスは17階。
余震で揺れている中、階段での避難は辛かった・・・・。

オフィスを出たら、品川駅には人がいっぱいでした。
電車はやはり当分動く様子もなく・・・。
昨日は「ハイヒール履かなきゃ!」と思っていたのですが、今日はすぐ断念してペッタンコ靴を履いてきて良かった。と心から思いました。

なんとなく、土地勘もあるので、まずは東京方面を目指して歩き始めました。
品川から新橋までの道のりですべてのオフィスビルからみんな避難して、道路に出てきていました。
ヘルメットを被った方も大勢。
まだみんな状況が把握できていないのか、携帯でテレビをつけている人も大勢いました。

私はすぐ機転がきかなかったのですが、この時点で電池式の携帯の充電器を買っておくべきでした。
後から携帯が充電が切れてしまい、大変困ってしまったので・・・。

品川から旦那さんの勤め先のある東京まで歩くのに、2時間以上もかかってしまいました。
電車だと、品川⇒東京間10分なのに、歩くと遠い。
当たり前ですが、電車ってすごいなぁ。と思いました。

【17時ころ】
東京駅もすごい人だかりでした。
でも、私のように歩いて帰ろう。という人はこの時点ではあまりいない様子。
旦那さんと連絡がつくまで小休憩と思って、ちょっと休んでいましたが、一向にメールが繋がっている雰囲気がないので、歩きだすことにしました。
途中、義母から連絡があり、「歩いて1人で帰るなんてかわいそう。」と電話口で泣かれてしまい、なんだか自分も悲しくなって、半べそになりながら歩いていました。

公衆電話があり、公衆電話だとみんな電話が繋がっていそうだったので、実家に電話。
父親の機転で地震後すぐ、子どもを保育園に迎えに行ってくれたそう。
ちょっと一安心。
自宅からの電話だと繋がるようなので、実家経由で旦那と連絡を取り、約1時間かけて合流。

「一人でも歩いて帰ってやる!」というすごい気迫だったのだけれど、旦那さんと合流したら、ちょっと気が抜けた。
疲れがどっと出る。

【20時ころ】
ようやく錦糸町付近に到達。
このくらいにはみな道路を歩いて帰る人がいっぱい。
疲れもピークなので、食事を兼ねてご飯を食べようということに。
沿道の道はどこも行列。
スタミナつけようと、なぜか焼き肉屋へ。
さすが、私たち(笑)
お店の前にも「大地震でもがんばって営業中」と書いてあった。
余震で揺れながらも七輪囲んで食事。
このくらいで、個人携帯が電池切れ。
会社携帯も電池があと半分くらい。
mixiでしか状況把握ができないので、本当はダメなんだけれど、会社携帯からもmixiチェック。
上司も有事だから許してくれることだろう。
食べたらまた歩き出す。

沿道の靴屋さんがスニーカーを売っていたり、自転車やさんに人がいっぱいだったりした。
一人だったらきっともっと手前で自転車を買っていたと思う。
今から思えば2人でも自転車を買えば良かった・・・・。

どんどん寒くなっていって、旦那さんと2人で歩けていることに本当に感謝。
1人だったら、きっと泣きながらこの道を歩いていただろうな。
あと、道にあるコンビニの存在をこんなに温かく思ったことはないかも。
トイレ休憩ができるだけでなく、温かいものを飲むこともできるし、休むこともできる。
京都で景観のためにコンビニの営業時間を短くしよう。という話も出ていた気がしたけれど、こういうことも考えてコンビニは24時間であって欲しいと思ってしまった。
本当に街のホッとステーションでした。

【22時ころ】
最大の難関、荒川越え。
車でぴゅーと行く、荒川にかかる橋がなんと長く遠かったことか。
しかも寒い。
でも、月とスカイツリーは美しかった。
写真撮ろうにも電源なかったけど。

【0時ころ】
私の当初の計算だと、もう家についていても良い時間。
甘かった。
品川⇒******間って一体何キロあるんだろう。

その後、第二の難関。
江戸川越え。
京葉道路は高速として川を越えるので、歩く私たちは迂回して水門の方へ回る。
寒いし、遠いし、15時から歩き始めているので、疲労もピーク。
トボトボ歩いて、ようやく千葉入り。

【2時ころ】
*****市の公民館が24時間開放してくれていて、暖をとり、少し休憩。
職員の方に寝て行けば。と言われたのだけれど、やっぱり帰ろうということになり、また歩き始めることに。
足はもう、感覚がない。
自分の体じゃないみたい。
職員の人から*****まで10キロほど。
と言われて、また気が遠くなる・・・・。

【4時ころ】
明け方の4時ころ、ようやく*****交差点が見えた!!
本当にあとちょっと!!!
ここからラストスパート。
とは言え、早く歩けたわけではないけれど。

4時過ぎ。
無事帰宅。

【子どもと再会】
全身筋肉痛のまま子どもをお迎えに。
昨日父母が保育園へお迎えに行ってからは、ずっと泣きもせず、いい子だったとのこと。
有事だったのがわかって我慢してたんじゃない?と言われる。
私たちが行って、眠くてごろんとしていたら、わんわん泣きだした。
やっぱり、寂しかったのかな。

ようやく電車も動き出した様子。
思ったより、時間がかかって翌日まで待っても大した時間の差はなかったのだけれど、子どもを見たら歩いて帰ってきて良かった。と思った。

【教訓】
持ち歩いた方が良いもの
・携帯充電器(電池式のもの)

会社においておいた方が良いもの
・スニーカーと靴下

その他
・Twitterとmixiのアカウントを旦那に作らせて、リアルに状況報告し合えるようにする。携帯メールはあてにならない。


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自宅に帰って、この地震が想像を絶する惨事になっていることを知りました。
お仕事でご一緒したことのある方が被災地のそばにおります。
皆さまの無事をお祈りしています。

余震が続きながらも家族が一緒に温かい場所にいられることが幸せなことなんだと感じています。
被災地の方々のためにできること。小さなことかもしれませんが、私ができることはしていきたいと思います。

最後に。
メール、mixiなどなどで心配、応援して下さったみなさん。
うちにおいで。と言って下さった方々。
車に乗せて下さると言って下さった方々。
本当にありがとうございました。


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