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何か月ぶりかに、手指の消毒以外でアルコールが出てくる店に行きました。
以前は開店前から並んでいるような人気店だったのに、開店10分後には他に客はおらず……。
飲食業は大変な時期と思いますが、無くなってほしくない店なので応援したい。


今年は新型コロナや会場変更などがあり、長い事会えていない方も多くいます。
タイミングを見ながら、定例会以外にも少しずつ交流の場を設けられないか模索している所です。
とりあえず今週末10月4日(日)にまた KHJ東海なでしこの会 さんに場所を借りて
第3回なでなで会(仮)を開いてみようという事になりました。

まずは今の会場では参加が難しい参加者に声をかけて、少数で集まれる場から始めてみます。
そのためなでなで会(仮)は新規参加の受付はしていません。(新規の方はまず定例会の方にどうぞ)


10月の定例会は12日(月)にあります。
今回も参加・見学を希望する方は こちら に目を通して10月10日(土)までに事前連絡お願いします。

何かご不明な点などありましたら、メールやTwitter( @lowflightnet )のDMでお問い合わせください。


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新愛知新聞社(中日新聞社の前身)が大正14年に新聞紙上で募集して決定したという
「名古屋十名所」というものがありますが、名古屋人も存在を知らないという人が多いと思います。
ここ2年くらいで10か所コンプリートしていたので写真と共に紹介してみます。


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1. 名古屋城

「尾張名古屋は城でもつ」と歌われたくらいだし、名所を10個挙げるとなれば当然入りそうです。
大正時代に選定されたという事は、焼ける前の国宝だった頃。

河村市長は知事のリコールより木造再建を頑張ってほしい。


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2. 熱田神宮

妥当。
ここも大正時代には織田信長が造営した 海上門(国宝)
加藤清正が造営した 鎮皇門(国宝) がまだ残っていました。見てみたかった。


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3. 円頓寺

円頓寺商店街は名古屋最古の商店街といわれます。
名古屋で上位10か所に入る名所か?というと微妙ですが、まあテレビ塔もなかった頃ですし……。

境内にひっそりと十名所の碑があります。
(名古屋城と熱田神宮は広いし、碑があるのかわからないので探してないです)


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4. 闇之森八幡社(くらがりのもりはちまんしゃ)

更にマイナーなスポットです。名前はかっこいい。
境内には源氏の伝説的な武将、 源為朝(身長2m超) の鎧塚があります。

為朝の息子、尾頭次郎義次がこの辺りを拠点としたようで、尾頭橋の地名の由来ともいわれます。
尾頭次郎は鬼党という悪党退治により鬼頭の姓を賜り、新田開発で有名な鬼頭景義は子孫らしい。

江戸時代には浄瑠璃の名古屋心中で有名になったようです。
現在から大正14年は95年前、大正から江戸時代は50数年前、江戸文化の方がよっぽど地続きですね。


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5. 笠寺観音(笠覆寺)

尾張四観音の一つです。 2017年に街歩きで行きました ね。
ここも名古屋で上位10か所に入るか?というと微妙ですが、東山動植物園もなかった頃ですし……。

わかりにくいですが、2枚目の写真の真ん中辺りに十名所の碑があります。


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6. 櫻田勝景跡(桜田八幡社)

ここも街歩きで笠寺観音から続けて行きましたが、当時はまさか十名所とは知らなかった。
境内には桜田貝塚跡もあります。

「桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(しほひ)にけらし鶴鳴き渡る」
という万葉集の歌が詠まれた地だといわれています。
この「あゆちがた」が尾張国愛智郡の由来で、それが愛知県という県名の元になりました。

十名所の碑は見つからず。


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7. 久屋金刀比羅神社

久屋大通駅から少し北、久屋大通パーク(今は大通公園じゃないんですね)の東にあります。
以前の事業所の帰りに歩いて行きました。

戦前までは今より50mほど西、久屋大通パークがある場所にあり境内も広かったそうです。
100m道路もなかったですし。今も旧社地だった辺りにはご神木や石柱跡が残っています。
(久屋大通パークのリニューアルで今はもう痕跡も残ってないかも……と思いましたが、
ストリートビューで見てみると工事中のフェンスから外されているのでまだありそうです)

大正時代には栄の真ん中で広大な境内もあって、十名所にふさわしい賑わいだったのかもしれません。


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8. 榎白山神社(榎権現)

現在の感覚では理解できない十名所が続きます。
西区の押切、名古屋城から清洲、稲沢を経て美濃まで続く美濃路という旧街道沿いにあります。

織田信長が桶狭間に向かう途中で戦勝祈願をした神社の一つで、
この榎白山と大須の南にある日置神社、それから熱田神宮でそれぞれ祈願したといわれています。

個人的にも、仕事辞めて参拝したその日のうちに次が見つかったので、ご利益はある気がします。


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9. 山田元大将之社(現・山田幼稚園)

名古屋十名所の中で最高に誰にも知られてなさそうなスポットです。

ここは鎌倉~南北朝時代の武将、山田重忠の屋敷があった場所といわれています。
朝廷側についた忠臣だから戦前には楠木正成みたいな人気があったのでしょうか?

十名所の碑が残る場所はただの幼稚園になりましたが、社は遷座して現在も別名で人気があります。

江戸時代まで大将軍社、大将の宮などと呼ばれていたのが明治になって金神社と改められました。
(山田幼稚園を運営しているのが廣福寺という寺院なので、神仏分離で改名した可能性がある)
昭和58年に山田天満宮の境内に移されて、現在は金運のご利益があるとして金ぴかに祀られています。


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10. 天理教々務支庁(天理教愛知教務支庁)

何でここが十名所?と思いますが、新聞での募集なので組織票があったのかもしれない。

いつでも行けるのでここだけ後回しにしたまま、荒畑方面に行く機会もなく忘れていました。
夏の日が長い時期なら、仕事帰りに鶴舞線で立ち寄れば写真を撮れると気付いたので行ってみた。


令和時代にまた十名所を募集したら、名古屋城と熱田神宮以外は総入れ替えになりそうです。
テレビ塔やオアシス21、東山動植物園、水族館、大須観音(商店街)などが入るでしょうか。
ジブリパーク……は長久手か。