先日、PLACEBOという曲について書いたとき、魔性の女性について触れたので、ちょっと補足しておきたいと思った。

わたしは世間で魔性と呼ばれるような人たちというのは実際のところ、ほぼサイコパスなんだと思ってる。

過去に短期間ではあったけれどサイコパス的人物に関わった苦い体験からそう思う。

 

「白夜行」って小説があるけど、あれに出てくる雪穂のイメージ。

以下、このドラマなり小説なり読んだことない人には何のことやらサッパリだと思うのでスルーしてください

 

 

 

 

TBSでドラマをやったとき、ドラマの公式掲示板があったようで、そこの書き手のひとり「ひがしのり~」さんという方の書き込みをブログに纏めた方がいてそれを読んだんですが、その解釈にすごく同意する。というか痺れてしまいました。

http://prius.cc/d/20060316_shiroyakoubbsnohigashinori_san.html

 

わたしも雪穂が愛していたのは亮司ではなく、一成だと思っている。

雪穂のような女にとって愛という言葉が不適当なら一目置いていたと言い換えてもいい
雪穂が一成に一目置いていたのは、彼だけが彼女の正体を見抜いていたからではないだろうか
わたしはそこに少しだけ救いを感じるんです
詐欺師は自分に簡単に騙されてしまうような被害者を馬鹿にこそすれ決して心から愛しはしない
この被害者は決して自分の本当の姿を愛しているわけじゃないと知っているから
もし詐欺師が一目置く人間がいるとすれば自分のことをしっかり見抜き、騙されない人間だけじゃないだろうか
しかし一方でいつか騙してやろうと虎視眈々と狙っているのかもしれない
本当の姿を愛してもらえる可能性を感じているのかもしれない
自分とは全く違う「本物」の育ちの良さに対する憧れもあったかもしれない・・・

そういう意味での執着を雪穂は一成に対してずっと持ち続けていたんじゃないかと思う
スカーレットが唯一自分の思い通りにならないアシュレにずっと執着し続けていたように
その執着を愛と呼ぶか、単なる執着と呼ぶかはその人の恋愛観によると思いますが