猛烈に便意を催していた時、偶然ソレをみつけた。
神社らしきものは無いのに、やたらと目立つ幟と柱。
どうやらこの先にその神社はあるようだ。
バイクを止めて歩いていけるかと少し進んでみたのだが、結構道のりがありそうだったので再度バイクに跨り、便意と共に先へ進む。
突如ポツンと表れた白い鳥居。
でかでかと奉納と書かれている。
鳥居の向かいにあるこの広場が駐車場らしい。
あっ・・神々しい・・・(?)
今回訪れたのは「宮崎神社」
ツイッターで神主さんが中々のオタクだということが話題(?)である。
では早速鳥居をくぐっていこう。
随分と広場が広場感のある広場である(?)
さきほどの本宮八幡神社と比べるとかなり雰囲気が違う。
先ほどの神社を「厳か」とするならこちらはもっと庶民的な雰囲気がある。
誰もいない神楽殿ではスピーカーから常に音楽が流れていた。
神楽殿というよりステージって感じがあるw
境内があれだとすると、やはりこちらは広場になるのだろうか
便意が限界だったため、神楽殿裏にあったトイレを利用させてもらった。
ゆるフワ感強い
改修中の場所があった。
境内正面から拝殿と共に。
団子屋にありそうなベンチ
時期が時期だったこともあり、こいのぼりもある。
ご丁寧に手水のやり方が書いてある。
妖怪ウォッチ・・!!(名前知らない
少し小さいが、拝殿
どうやら交通安全にご利益の有る神社のようだ。
神社のイベントとは思えないポップなイベント目白押し!!www
おそらくこの広大な広場を用いていろいろイベントを催すのだろう。
今までの神社の雰囲気とは違う、新しいスタイルの神社を見た、という感じである。
世間の認知度が高いのか、伺ったこの日も家族連れや若いカップルが訪れていた。
また、母もこの神社に訪れたことがあると言っていた。
宮崎神社のホームページ曰く、由緒は
『創建年代は不詳ですが、元亀二(1571)年に、藤原朝臣児玉備前守元家と同大和守宗有が大檀那となり、社殿を再建立した棟札が残されています。 その後、寛文十二(1672)年及び元禄二(1689)年に社殿を再建しました。
「竹仁村郷土誌」によると、宮崎神社は、元々は宮崎大輔という人物の鎮守神で、境内にある若宮という祠の御神体には「大丈大輔家正 延徳二年庚戌三月二六(延徳二年は西暦1490年)と書かれてあったと云う。
明治四十三(1910)年七月、村内に鎮座していた八和田八幡宮、八坂神社、天満宮、住吉神社、厳島神社、素鵞神社、伊勢神社、熊野神社の八末社が合祀されました。 』
とのこと。
多くの神様を祭っており、子宝祈願、交通安全、縁結びなど、多くのご利益があるそうだ。