子どもの遊びの制限は、極めて慎重にやった方がいい | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもの遊びを制限し、勉強や宿題へと誘おうとすると、子どもの精神は未熟な状態のまま、もしくは、鬱積した気持ちを携えたまま、成長していくことになる。

 

例えば、大人になって、何かに一生懸命になれなかったり、感情的に不安定だったり、決断をする力が弱かったり。

 

 

 

なんでかっていうと、子どもは遊びの中で、人生で生きていくことに必要であり、重要なことを学んでいくから、である。

 

「勉強こそが将来に繋がる」

 

って思っている親は少なくないと思うけれど、それは違う。

 

 

 

勉強は、あくまでも、遊び、もしくは、労働の1つに過ぎない。

 

専門分野の1つに過ぎないのね。

 

 

 

だから、勉強自体が、子どもの将来を決めることはない。

 

そう考えれば、例えば、高校受験のタイミングでは、勉強も必要だけれど、それと同様に、先生に取り入って内申点を上げてもらう試みも大事だ、ってなってくる。

 

その是非はともかく。

 

 

 

勉強を極めた先は、研究者や学者です。

 

だから、子どもに一生懸命勉強をさせようとするのは、子どもを一生懸命研究者や学者にさせようとしているのと同じ。

 

 

 

もしも、子どもにその素質というか、研究者や学者に関心がある子であれば、特に抵抗もしないでしょう。

 

けれど、子どもが研究者や学者に興味が無ければ、親がその子に勉強をさせようとすれば、

 

「おい!ふざけんな!」

 

って抵抗してくる。

 

 

 

 

 

「いやいや、学校に行って、学歴を取得することで、将来の選択肢を増やすためだよ」

 

とか、

 

「学校は、子どもが立ち入る最初の社会だから、そこで仲間を見つけたりして、社会性を身に付けていくためだよ」

 

とか、学校で得られることに注目する人もいるかもしんない。

 

 

 

すなわち、子ども自身が勉強自体にはそれほど関心が高くなく、勉強以外の要素を手に入れようとする場合。

 

そういう場合でこそ、いかに子どもが思う存分遊べているのか、っていうのが大事になってくる。

 

 

 

なぜなら、子ども自身がそもそも学校で学ぶ内容に関心が無い場合は、

 

・集中力

 

・自制心

 

・ルールを守る気持ち

 

・自分を高めていくことへの喜び

 

・忍耐力

 

・コミュニケーション力

 

・前向きに楽しもうとする気持ち

 

など、持ち前の能力を使って勉強に取り組むことになる。

 

 

 

大好きだから勉強をする、っていうよりも、必要だから、重要だから、取り組む、っていうこと。

 

勉強をする目的はあるんだけど、自分を自動運転させてくれる『ワクワクした気持ち』はそれほど働からかない。

 

でも、勉強が必要だし、別に嫌いではないから、やる。

 

 

 

この場合、子どもがこれまでどれだけ遊び倒してきたか、普段、どれだけ遊べているかが大事。

 

なぜなら、上に挙げたような能力は、遊びの中で身に付けていくから。

 

 

 

子どもは勉強をしたり、学校の中で成長していく、っていうよりは、遊びの中で身に付けた能力を使って、勉強に取り組む、っていう感じ。

 

だから、子ども自身が(学校で学ぶ)勉強内容自体に関心を持たず、持ち前の能力で勉強に挑むのであれば、親が遊びを制限してしまっていると、子どもは勉強や宿題に太刀打ちできなくなるのね。

 

つまり、親が遊びを制限してしまっていると、勉強に取り組んだ時に、理解不能で、くじけやすくなる、ってこと。

 

 

 

そういう意味で、学校の勉強に取り組むことを善とするなら、なおさら、家庭では、いかに子どもが遊べているか、自由に振る舞えているか、っていうことが極めて重要なんです。

 

家庭は、学校の勉強に取り組むための準備の場所、っていう位置づけなわけだ。

 

 

 

また、子どもが学校に行かない場合、準備をする目的が、学校の勉強から、人生で直面する課題に代わるだけ。

 

だから、基本的にやることは変わらない。

 

 

 

家庭では、子どもは思う存分遊び、友達とも交流し、親子で対話もするし、家族で旅行に行ったりする。

 

一人でこもることもある。

 

 

 

子どもの本心は分からんけれど、一見すると何のバイアスもかかっていない、子どもの自発的な行動を親が邪魔しないようにする。

 

それがたとえ、部屋に引きこもるようなことや、ゲームに没頭するようなことであっても、親が子どもを邪魔しないようにする。

 

子どもの自発的な行動なのであれば。

 

 

 

これは傾向というか、僕が見てきた子の範囲では、特に男子は、一人の時間、親の干渉を全く受けない時間・空間は大事かな、って思う。

 

それがたとえ、肯定的で、ポジティブな介入であっても、男子は秘密基地のようなものを必要としていることがあります。

 

大人であってもね。

 

 

 

その秘密基地にこもっている間に、子どもは色々と実験するし、色々と思案するし、自分の精神状態を整えたりする。

 

ほんで、子どもが秘密基地から出てきた時には、

 

「今までいったい何をしていたの!?」

 

って問い詰めたり、眉を逆ハの字にせずに、

 

「お疲れさま!ご飯、食べる?」

 

って温かく迎えてあげてほしいのね。

 

 

 

その時間は、間違いなく、その子にとって必要な時間だったはずだから。

 

 

 

親が、子どもの遊びを制限したり、一人でいることを否定したり、不安に思ったり(これは態度に出るからね)、小言を述べたりするのは、子どもが本来家庭でするべき心の準備、思考の整理を妨げちゃう。

 

そして、遊びを想う存分できないのであれば、子どもが身に付けるはずだった能力や、情緒制御能力、コミュニケーション能力などが、身に付けられないままでいることになる。

 

 

 

そしたら、学校に通ったり、勉強したり、人生の困難にぶち当たった時に、能力不足だったり、上手く取り組めなかったり、現実から目を背けがちだったり、諦めがちになったりする。

 

取り組みが上手くいくことを重視しているんじゃない。

 

子どもの自分の能力の認識が低いと感じるから、そもそも、取り組もうとしなくなるよ、ってこと。

 

 

 

家庭で、子どもが親から圧力をかけられてしまったり、否定・批判されたり、遊びを制限されたりして、自由を失ってしまうと、子どもの勇気がくじけた状態ができやすくなるんだ。

 

「自分には能力が無い」

 

「自分にはできっこない」

 

って思うようになるから。

 

 

 

成功体験が重要なわけでもないから、家庭で親が子どもを褒めまくる必要もない。

 

成功体験から得られる快感も、失敗体験から立ち上がり、学んだ事柄も、どちらも必要なんだ。

 

 

 

親は、子どもを慰め、褒める存在なのではなく、子どもの味方でいてほしい。

 

親が、どんな時でも、子どもの理解者であり、子どもの味方でいること。

 

それが子どもにとっては、一番の勇気づけであり、人生の中で大きな困難に対しても、チャレンジしていける大きな力になる。

 

 

 

子どもの遊びを制限することは、子どもの敵になることはあっても、子どもの味方となることには繋がらない。

 

たとえ、それが、親がどれだけ

 

「これは、子どもにとって必要なこと」

 

「これは、子どものため」

 

って思っても、子ども目線に立てば、理不尽さを感じてしまう。

 

 

 

子どもの遊びを制限する時には、子どもがその必要性を理解し、自分自身で遊びのルールを設定した時のみ。

 

子どもに課すルールは、親が設定するんじゃなくて、子どもが自分で設定するもの。

 

もしくは、親がルールの必要性を説明して、子どもが

 

「仕方なく」

 

ではなく、

 

「たしかに、それは必要だね」

 

「たしかに、ルールがあった方が、自分にとっても、周りにとってもプラスだね」

 

って思えて初めて、ルールが生きてくる。

 

 

 

もっともらしい理由、正論を持ち出してきて、子どもが訳も分からないうちに子どもを縛らないであげてほしいのね。

 

『遊びの制限』は、子どもの成長を鈍化させていくから、もしも、やるんなら慎重に慎重を重ねて実施した方がいい。

 

子どもとの度重なる対話も欠かさずに。

 

 

 

もしも、親が、子どもの内面的な成長を望むのであれば、子どもの同意・納得(説得ではなく)無しには、『遊びの制限』はしない方がいい。

 

また、例えば、ゲームを買い与える時に、

 

「ルールありきで買い与える」

 

「あらかじめルールを守る約束をさせた上で買い与える」

 

っていうことも僕はオススメしません。

 

 

 

そんなことをすれば、子どもの認識は、

 

「好きなことには、常に制限が付きまとう」

 

「自分自身は、思う存分遊んではいけないんだ」

 

「自分は、いつも制限がかかっていて、小さな存在なんだ」

 

「好きなものを手に入れようとすることは、悪いことなんだ」

 

って思う可能性が出てくる。

 

 

 

『遊びの制限』は、親の不安を回避するために、されるべきじゃない。

 

『遊びの制限』は、子どもの成長を促進するためであり、子ども自身とその周りの人たちの幸福に繋がると確信できた時に、初めて効果を発揮する。

 

 

 

周りの人が安心するとしても、子ども自身がそれでハッピーではないのであれば、今から課そうとしている枷(かせ)は、もう一度考え直した方がいい。

 

『遊びの解放』は、子どもの根源的な部分の成長や、今後の人生戦略に関わっていくものだから、安易にやらない方がいい。

 

何度も何度も考えて、子ども自身が理解して、納得してから、実施した方がいい。

 

 

 

だから、子どもが自分の遊びを制限しようとしていたら、むしろ、親の方は、

 

「どうして?」

 

「なんで、その制限が必要だと思ったの?」

 

と問いを投げかけるくらいの立場でいたい。

 

 

 

子どもは、自分のことは自分で考え、決めることができる。

 

 

 

僕は、そのことを心から信じられる状態でいたい。

 

 

 

 

 

 

★メルマガ登録はこちら★

「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」

 

 

 

★ イベント情報 ★

 

★関東★

〇東京

佐伯和也講演会「怒りをゴキゲンに変える5つのメソッド」

 

2018年9月22日(土)9:45~11:30@吉祥寺

 

申込はこちら!

 

 

 

 

〇東京

浅井智子&佐伯和也 トークライブ

 

2018年10月13日(土)18:00~@新宿

 

詳細はもうちょい待ってね!

 

 

 

 

★関西

○長浜

佐伯和也講演会「テーマ未定」

 

2018年11月25日(日)

 

詳細はもうちょい待ってね!