親も、親自身を大事にすること | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

こんにちは!

 

佐伯です。

 

 

 

「家庭を子どもにとっての『安全基地』にする」

 

って言うんですけど、これって、

 

「親は子どもを最優先にして、自分は後回しにする」

 

とか、

 

「親は子どもの言うことを聞いて、言いなりになる」

 

っていうことじゃないんです。

 

 

 

ここで言う『安全基地』っていうのは、

 

「子どもにとっての『安全基地』」

 

でもあるし、

 

「親にとっての『安全基地』」

 

でもあります。

 

 

 

しかし、そうは言っても、時には、親子間で利害が対立することがあります。

 

例えば、こんな感じで。

 

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佐伯さん

 

こんにちは。

 

いつも何か気づかされるメッセージをありがとうございます。

 

 

 

12歳の息子に対して以前はゲームの制限をかけていましまが、考え方を変えて子供を受け入れ、今はやりたいならどうぞ、と制限なしでしています。

 

確かに楽しそうにしていたのですが、夏休み明けから、学校に行かなくなり、更に最近この1週間前から、夜と昼が逆転になり、夜中にゲームをするようになりました。

 

 

 

誰かと話しながらする為、私や同居家族(祖父母)が寝られず困っています。

 

夜は寝る時間だから、やるなら話さないで静かにしてほしいと言っても、

 

「うるさい」

 

と反抗してきます。

 

 

 

祖父はもう孫のことを依存症の病気だと言い張っています。

 

悪化していると。

 

私は息子に迷惑をかける人になってもらいたくありません。

 

夜はしないようにまた私が時間を制限することは、解決にならないと思います。

 

できれば他の方法で解決したいと思うのですが、解決方法がわかりません。

 

 

 

その時に、家庭で安全基地を作るという、佐伯さんからのメルマガを読み、子供は今の家(6月から父親とは別居)を安全基地だと思っていないのが、原因なのでしょうか…

 

私と母が息子を今の息子を受け入れようとすると、共依存だと父から言われるのですが、そうなのでしょうか?

 

 

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メールありがとうございます!!

 

ゲームをしていると、コントローラーのカチャカチャ音や、子どもの絶叫などがやかましい時があります。

 

 

 

子どもにとってはたしかに、やりたいことができる良い場所になっているかもしれません。

 

しかし、それによって、親や他の家族の安心感が妨害されているなら、子どもとのコミュニケーションが必要です。

 

 

 

家族で共同生活を営むというのは、

 

「そこにいるメンバーがみんな穏やかに過ごせるように、配慮と気遣いをしよう」

 

っていうことでもあります。

 

 

 

自分の行動や言動によって、メンバーが嫌な気持ちになったり、メンバーの損失が発生しているなら、気付いて修正していきたいところ。

 

でも、それが気付かないこともあります。

 

気付かない場合は、相手からの訴えを聴いて、自分の行動や言動を改善したり、相手に対策をしてもらったりして、お互いが納得する結論を話し合いたいのね。

 

 

 

で、こういう時に取るコミュニケーションのポイントは、

 

「一切、妥協をしない」

 

っていうことです。

 

 

 

「一切、妥協をしない」

 

っていうのは、

 

「怒りをぶつけて、血みどろの争いになってでも、主張をしろ!」

 

って意味ではありません。

 

 

 

子どもに、

 

「夜は静かに眠りたいから、ゲームをやらないか、音が出ないようにしてほしい」

 

って伝えて、

 

「うるさい」

 

って言われても、

 

『引き下がらない』

 

っていうことです。

 

 

 

力や怒りでねじ伏せるのではなく、

 

「子どもに、こちら側の気持ちを理解してもらう」

 

っていうことです。

 

 

 

そして、

 

「理解してもらえないなら、理解してもらえるまで、何度でも伝える」

 

です。

 

 

 

これは、この記事↓とも繋がる話ですね。


 

 

子どもが理解できるまで、理解して行動が変わるまで、何度でも繰り返し伝える。

 

怒りをぶつけたり、権力を使って、ゲームを制限するのは悪手です。

 

それは争いが起こるだけで、解決はしません。

 

 

 

「今、何が起こっているのか」

 

「それによって、どんな気持ちになっているのか」

 

「子どもに望むことは何なのか」

 

この3段階で、子どもに何度も何度も繰り返し主張をしていきます。

 

 

 

この時に、こちら側が望むのは、

 

「夜にゲームをやめてほしい」

 

じゃなくて、

 

「夜は静かに眠りたい」

 

っていうことです。

 

 

 

ゲームの音や、子どもの声で目が覚める

「静かに寝たいから、音を立てないようにしてほしい」

また、ゲームの音や、子どもの声で目が覚める

「静かに寝たいから、音を立てないようにしてほしい」

 

この主張って、子どもからしても、

 

「口出しせずに、ゲームをしたい」

 

っていう気持ちがあるわけで、それを妨害しているわけですよね。

 

 

 

でも、そういう見方をしてしまうと、

 

「親が、子どもの言いなりとなって、我慢を強いられる」

 

っていうことになってしまう。

 

 

 

そしたら、家庭が親にとっての『安全基地』ではなくなってしまう。

 

 

 

僕は、子どもに自然から学習をする、

 

『自律学習』

 

っていうのを提唱しています。

 

 

 

『自律学習』

 

っていうのは、

 

・自分で考える

 

・自分で決める

 

・自分で行動をする

 

・自分で責任を取る

 

っていう体験から学ぶ学習方法のことです。

 

 

 

『自律学習』を簡単に言えば、

 

「自分がやったら何が起こるのか、から学ぶ」

 

っていうことです。

 

 

 

今回の件で言えば、

 

「夜、親たちが寝る時間を過ぎて、ゲームで音を立てて、親を目覚めさせてしまうと、口出しされる」

 

っていうことを体験してほしいわけです。

 

 

 

ほんで、子どもが理解してくれて、

 

「分かったよ、夜の時間は音を立てないようにする」

 

って言って、ちゃんと約束を守ってくれたとしますよね。

 

 

 

そしたら、親は、

 

「守って当然でしょ」

 

じゃなくて、

 

「理解してくれてありがとう!これで気持ちよく眠れるよ」

 

っていう態度で接してほしいのです。

 

 

 

そうすると、

 

「夜、親たちが寝る時間を過ぎて、ゲームで音を立てて、親を目覚めさせてしまうと、口出しされる」

 

っていう体験から、

 

「夜、親たちが寝る時間を過ぎて、親たちが気持ちよく眠れるように配慮するのは良いことだ」

 

っていう学習をしてくれます。

 

 

 

親の主張 ⇒ 子どもが理解・対応してくれる ⇒ 親の感謝 ⇒ 子どもにとって良い学習

 

ってなります。

 

 

 

またしばらくして、やかましくしたら、同じことを繰り返すだけです。

 

ここを徹底する。

 

一切、妥協しないし、引き下がらない。

 

怒りや、権力は使わない。

 

 

 

親が伝えるのは、

 

「親自身の気持ちと要望」

 

です。

 

 

 

親と子どもは、対等な存在なはずなので、一応、

 

「深夜にも、子どもが自由にゲームをする権利」

 

はあるはずです。

 

 

 

でも、同様に、親にも、

 

「夜は静かに眠る権利」

 

だってあるはずです。

 

 

 

自分の権利はちゃんと主張しないと、自分が我慢することになっちゃう。

 

そうすると、親がしんどくなるだけで、そのしんどさは、結局、子どもに返っていきます。

 

これを子ども目線から言えば、

 

『因果応報』

 

とも言いますね。

 

 

 

「うるさい」

 

って言われたら、

 

「しゃーないやん、あんたがうるさくしてるんだから」

 

って話なんです(これはそのまま言うと喧嘩になりますw)。

 

 

 

 

 

 

で、仮に、子どもが、

 

「どうしても、深夜にゲームをしたい!」

 

っていう理由があるとしますよね。

 

 

 

例えば、時差のある国に住んでいる人とゲームをしているとか、海外のゲームの大会があるとか、深夜帯にゲームをする友人がいるとかで。

 

そうやって、子どもにもっともらしい理由がある場合でも、こっちの態度は、

 

「そんなん知らんわ」

 

です。

 

これもそのまま言うと喧嘩になります(笑)

 

 

 

が、子どもにどんな理由があろうとも、どんな言い訳をしようとも、親が

 

「夜、静かに眠る権利」

 

「夜、静かに寝たいという要望」

 

は取り下げない。

 

 

 

「その理由があるのは分かった。そこに関しては、何も異存は無い」

 

としながらも、

 

「それとは話が別で、私たちは夜、静かに眠りたいんだ」

 

って主張をし続ける。

 

 

 

で、お互いの理由が明らかになったら、次に考えるのは、

 

「じゃあ、どうやるとお互いの主張が満たされるのか」

 

っていうのを考えます。

 

 

 

これも、子どもが方法を考えてくれない場合は、考えてくれるようになるまで主張をし続けます。

 

妥協はしない。

 

子どもに命令をしているわけじゃなくて、親はただ自分の気持ちと要望を伝えているだけです。

 

 

 

「ゲームをどうのこうの」

 

っていう要望じゃなくて、要望というのは、

 

「夜、静かに眠りたい」

 

の方ね。

 

 

 

ゲームをどうするのかは、子どもが自由にしたらいい。

 

ただ夜に静かに眠れさえすれば、手段は何でもいいはずじゃないですか。

 

 

 

ここで引き下がると、子どもは

 

「親は、『うるさい!』の一言で簡単に引き下がってくれる。ちょろいわ」

 

って、親を下に見て、なめてかかるようになります。

 

 

 

これを

 

「人をバカにしている」

 

って言います。

 

 

 

親子間は対等な関係でいたいので、

 

「親が、子どもの上に立たない」

 

のも重要だし、

 

「子どもを上に立たせない」

 

っていうのも重要なんです。

 

 

 

親が我慢して、簡単に引き下がってしまうと、

 

「ふん、親なんてちょろいな」

 

って親をバカにするようになります。

(これは、親を崇拝しろ、って意味じゃなくて、人をバカにするな、って意味)

 

 

 

人をバカにするような、人をなめてかかるような態度は学習させたくないじゃないですか。

 

だから、子どもになめた真似はさせたくない。

 

 

 

とはいえ、それは

 

「子どもに怒りと権力を使って、分からせろ」

 

って意味じゃなくて、

 

「子どもに親の訴えをし続ける」

 

っていうことね。

 

 

 

これは言い換えれば、

 

「親が、親自身を大事にすることをやめない」

 

っていうことでもあります。

 

 

 

子どもがなんで親をバカにしてくるかと言えば、

 

「親が、親自身を大事にしていない」

 

から、子どもが、

 

「この親のことは、適当にあしらってもOKなんやな」

 

って思うんです。

 

 

 

子どもからしたら、

 

「いやいや、親自身が、自分で自分を雑に扱ってるんやん」

 

って話になります。

 

 

 

だから、親は、自分の居心地の良さや、安心感、快適さに関して、

 

"子どもを責めず"に、

 

"一切の妥協をせず"に、

 

主張をしていきます。

 

 

 

「私は、私を大事にしたいので、協力をしてほしい」

 

っていう主張です。

 

 

 

「協力をしてほしい」

 

っていうスタンスなので、協力をしてくれたら、

 

「ありがとう」

 

です。

 

 

 

お互いが、お互いの居心地の良さ、安心感を感じられるように配慮をする。

 

そういう協力体制を経て、

 

『安全基地』

 

って作られていきます。

 

 

 

「親が何でもかんでも我慢して、子どもが好き勝手にできるようにしましょう」

 

じゃないんです。

 

 

 

 

 

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