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意思による楽観のための読書日記

オリヴァー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史2 *****

アメリカ合衆国視点から俯瞰した、アメリカ近代史。全3巻の第一巻は2つの世界大戦、第2巻は第二次大戦後の冷戦からベトナム戦争終結まで。冷戦はトルーマンとアイゼンハワー、キューバ危機からベトナム戦争まではJFK(ケネディ)、泥沼のベトナム戦争はLBJ(リンドン・ジョンソン)、そしてベトナム戦争終結と米中国交回復はニクソンとキッシンジャー、それぞれの視点で振り返る。

ヤルタ会談など一連の終戦会議の中心にいたアメリカ人はルーズベルトだったが、終戦直前に死亡したため、ほとんど引き継ぎのないまま、準備のない副大統領だったトルーマンに指揮権が移ったことが冷戦の引き金だったのかもしれない。核爆弾という大きな交渉材料を持ったがために、あまりに強硬な態度に出たトルーマンに、ソ連は歩み寄りを見せたが、持てる交渉材料が、相手の手にも渡ることが時間の問題だと悟ったトルーマンは挑発を繰り返した。冷戦を招いたのはアメリカだった。

アイゼンハワーは、アメリカにどれだけの利益をもたらすのか、という観点でのみ他国を評価し、軍事介入を繰り返した。石油資源を手に入れるためには中当諸国とイスラエルの紛争をイギリスとともに作り出し、朝鮮半島では、ソ連と中国による共産主義の版図拡大を阻止するために、朝鮮半島住民を大量殺戮した。その座を引き継いだ若きリーダーJFKも、ラテンアメリカやキューバでの軍事介入では、失敗を繰り返した。国内では、アメリカだけではなく世界を核戦争の恐怖に陥れたと非難され、CIAと参謀本部からは弱腰と決めつけられる結果となった。キューバ危機では、ソ連のフルシチョフとの個人的相互信頼にまでこぎつけたJFKだったが、その弱腰を許せなかった勢力に抹殺される結果をもたらした。核戦争が起きなかったのは、二人の信頼関係よりも、現場での指揮官たちの最後の、本当に土壇場での良心だったのかもしれない。

ニクソンとキッシンジャーは同類だった。東南アジアやラテンアメリカでの市民への無差別殺人を伴う戦争は、この二人に主導される形で進んだ。二人の共通点は無慈悲なサイコパスという意味において存在していた。しかし、結果として、ニクソンは弾劾され、キッシンジャーはノーベル平和賞を受賞した。この時代ほど、アメリカ合衆国が世界から軽蔑された時代はなかった。

同じ頃、日本人でも沖縄返還実現で平和賞を受賞した政治家・佐藤栄作がいたが、日米安保条約において、ベトナム戦争の作戦上必要とされた、核兵器持ち込みを許容し、それを国民には秘密にしていたことは、アメリカ政界では公然の秘密だった。それでも「非核三原則」を国会では決議し、国民を欺いた。日本はアメリカから見れば、共産勢力との領土闘いにおける、必要不可欠な基地であり、何でも言うことを聞く都合のいい子分だった。そんな日本人政治家をニクソンは軽蔑していた。本書内容はここまで。

こういう歴史を振り返ると、今のトランプ政権のことを考えないわけにはいかない。トランプは明確に言っている。「アメリカ ファースト」、ここに紹介されてきたアメリカの歴代大統領と同じことを。そう、トランプがおかしなことを言っているわけではなく、アメリカという国のリーダーの多くが、同じことを繰り返してきたこと、この本ではしっかりと書いていると思う。そのようなリーダーを選挙で選んできたことをアメリカ人たちはどう思うのか。そして同じことを、日本人も繰り返してきているのではないか。そうしたアメリカの子分という位置づけを、外交政策の最優先事項としてきた政治家が、戦後の日本政治を司ってきたのである。いつの日か、このツケを日本人も支払う時が来るのだろうか。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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