折にふれて

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『陰翳礼讃』

2020-11-15 | 折にふれて

 

その夜は一時帰国した妹夫婦と食事を共に。

せっかくの機会だから、久しぶりに金沢情緒を楽しんだら...と「ひがし」へ誘った。

 

 

妹のダンナはイギリス人で20年間日本の会社で働いた後、

昨年、定年退職を機に夫婦でイギリスへ戻った。

戻ったものの、元来の日本好き、さらには妹の希望もあって

日本に家を残し、一年の半分は日本でも暮らすつもりだった。

ところが、このコロナ騒ぎでなかなか戻れず、

コロナ禍が下火となった頃を見計らって、一年ぶりの帰国となった次第だ。

(皮肉にもその後、イギリスはたいへんな騒ぎとなってしまったのだが...)

 

和食通、さらに日本酒通の彼。

イギリスにも今や和食も日本酒もあるのだが

「純」和食は久しぶり、、また北陸の地酒は殊の外美味しいのだとか。

舌鼓を打ったかどうかはわからないが

大いに喜んでくれた。

 

さて、その食事も終わろうとした時。

店内の片隅に飾られた塗り物の椀が話題となった。

最近注目されている輪島塗の作家によるものらしいが

暗がりの中から艶やかな朱に染められた模様が浮き出し

眺めれば眺めるほどにその朱色に惹き込まれていく。

 

 

その時、椀を眺めながら、

暗がりの美について書かれた本のことを思ってもいた。

谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼賛』で

暗がりの中の「漆」の美しさについて

どこかに書かれてあったことを思い出したのだ。

 

ある建築家にすすめられて読んだ『陰翳礼賛』。

昭和初期に書かれたものだが

日本古来の衣食住など暮らしぶり、

ひいては積み上げてきた文化が

西洋化され変わり始めたことに警鐘を鳴らし

日本人が持つ美意識を改めて見つめ直す、というものだった。

そして、その美意識こそ「影」や「薄明り」の中にある、

つまりは、終始、陰翳を褒めたたえる内容で

興味深く読んだことを記憶している。

 

以下、暗がりの中の漆器に関する著述を引用する。(谷崎潤一郎著『陰翳礼讃』より抜粋)

 

日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、

始めてほんとうに発揮されると云うことであった。

「わらんじや(*1)」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、

床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。

が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆら/\とまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、

それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、

全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。

そしてわれ/\の祖先がうるしと云う塗料を見出し、

それを塗った器物の色沢に愛着を覚えたことの偶然でないのを知るのである。

われ/\は、茶事とか、儀式とかの場合でなければ、膳と吸い物椀の外は殆ど陶器ばかりを用い、

漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、

それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。

事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。

今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、

昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、

それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、

周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。

(⋆1)京都の料亭

 

ところで...。

この夜は家内の誕生祝いも兼ねていた。

店が用意してくれたケーキを『陰翳礼讃』風に撮ってみた。

...谷崎潤一郎先生に怒られるかな。

 

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