暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

人間関係での生きづらさ

2020-12-04 18:55:49 | 日記

子どものころから、友人関係の築き方に難儀した。

幼稚園に行く前から、私の家庭では大人が喧嘩ばかりしていた。

父、母、祖母、叔父、叔母

ギスギスして、子供心に穏やかにしてほしい、と願っていた。

「ケンカやめて、やめて!」

と叫んだことを覚えている。

母は、「あっちに行ってなさい」と言った。

人に謝る、などということを見たこともなかった。

幼児のころから、謝り方を知らない。



友人との付き合いは難しかった。

今までも何度も書いてきたかもしれないが、学校を卒業するときは、「あーー、せいせいした!」といつも思った。


我が家にはこどもがいない。

だから、ママ友の関係もなかった。



そのような関係を築くことなどできなかったろうと思うので、子どもがいなかったことは心から良かったと思っている。

ずっと集まっている友人は、高校時代の同級生だ。



結婚してからの年賀状は、夫婦で80枚くらい印刷していて、使いきっていた。

去年あたりから、年賀状に疑問を持ち始めた。

職場や、学生時代の、何十年も会ってない旧友に、年賀状を儀礼的に交換していることに、なんの意味があるのだろうと。

おそらく、いや、ぜったい、この相手に年賀状以外の連絡を取ることはないだろうと思う人が何人もいる。

顔も覚えていない。

相手からの年賀状も印刷だけで、ひとことの書き込みもない人もいる。

去年は50枚だけ、今年は30枚だけ印刷した。

高齢のため、年賀状をやめるという終活をする人のこともテレビなどで、目にするが、そのようなお断りの文言もなく、フェイドアウトしたい。


コロナ禍で、人と会っておしゃべりするなどがないので、食品や日用品の買い出しと、役所に用事があるとか、特別この店に行かないといけない、ということでもないと、大きな街に出ることもなく、今年は終わろうとしている。

集まらないことに、自分に理由付けができて、今年は楽だった。


登録者が数十万人いるYouTuberで、ブロガーの やまぐちせいこさんの動画をよく観て、「友達とは」、「孤独とは」、というのを興味深く拝聴している。



話はかわって、夫の慢性腎臓病に関して、食事療法でこのブログを見に来てくださるかたもいらっしゃるので、時折、夫の過日の一日の食事記録表を掲載しておくことにします。

ご参照ください。



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