さっき、ようやくわかった。

自分の意志なんだけど、私がなんで花火を見る側だったのか、自分でもずっとわからなかった。
でも、今までアマの押し上げの性質も、カムの心配もなんなのかずっと興味を持ってきた。
だから、最初カムも望み通り五角形のことを伝えてくれた。

最初の双子組は、
カムの心配が有る無しに関わらず、アマはずっと押し上げる意志が存在してて、アマの押し上げる意志が有る無しに関わらず、カムにはずっと落ちる心配があった。
それが前提でカムが先に動いた。
だから、カムはアマに押し上げられる事は知らなかったけど、押し上げられたということは、ずっとアマの意志があったということを知ったから。


でも、私の場合は、カムの元素を知るのは、私が死にたくないだけで、最初アマのように生きたい(=悲しみを押し上げる意志)というわけではなかった。


カムの心配がどうかではなく、余剰というのは、押し上げる気が全く無い為に、元素の前提自体が崩れているということで、結局、たとえ自分の双子に、全ての元素が欠けずに心配があったとしても、私自身が押し上げる意志は最初から全くなかったんだと思う。

その結果、花火を見ているしかなかった。


記憶用紙って、押し上げる意志や心配する意志がもしあるならば、それに記憶が必要だよね、ということであって、

心配を感じれるのは、押し上げる意志があるアマやカムであって、
「心配があったとしても押し上げる意志なんかないでしょ?」
って、最初カムは私に知らせたかったんだ。


何もわかってなかった。